第68話 春の訪れ 3

 左大臣家の姫君の突然とも言える、裳着もぎの儀式の話が持ち上がって以来、政治的に失敗はできないと心得ている、わきまえた公卿や、東宮位への思惑のある右大臣と弘徽殿女御こきでんのにょうごをはじめ、これから出仕する姫君はもちろんのこと、姫君につき添われる帝の最愛の妹宮、『三条の大宮』と顔を会わす機会の増える後宮の后妃たちも、話を聞いたその日から、それぞれの実家も巻き込んで知恵を絞り、まさに東奔西走といった呈で、祝いの品を準備して左大臣家に届けていた。


 すべての祝いが出揃った裳着もぎの当日、母屋に設けられたいわゆる『裳着もぎ祝い展示場』には、素晴らしい祝いの品々が、それぞれの立ち位置を考慮され美々しく並ぶ。その光景は、まるで竜宮城もかくや、そんな眩しさで満ちあふれていた。


 まずは先に通された、公卿や親王たちの北の方と姫君が案内され、お披露目される。女君たちは美しい品々を、うっとりとながめ、得心したあと、御簾みす内に入ってゆく。


 入れ替わりで、いったん西の対に案内されていた、大臣や公卿、公達が、女君たちが御簾みす内に入ったのを確かめてから案内された。


 彼らは、それぞれの趣向を凝らした品を興味深くながめ、自分たちの送った品が、どの位置にどのように配置されているかで、摂関家からの自分たちへの扱いと、意向をはかろうと必死であった。


 ある公卿は、教養の高さが広く知られている姫君のために、高名な書家に意匠デザインを凝らした唐紙で、当代の和歌を書き留めさせた冊子(書物)を、何冊も作らせて届けている。最前列左、まずまずの位置に飾られているのを見た彼は安堵した。


 ある女御にょうごは、ことのほか髪の美しさが知られる姫君が気に入るであろうと、当代きってといわれる職人に、細かな美しい装飾や細工の施された象牙や銀でできたくしを、何十種類もあつらえさせた。


 この時代、くしは女君の必需品であり、祝賀に送るにふさわしい装飾品のひとつであった。同じことを思いついて出遅れた公卿は、ほぞを噛んで悔しがったらしいと聞いて、彼女は思わず高笑いをしてしまい、とりまきの女房に驚かれ、咳払いをしていた。


 これは最前列右、出席していた女御の実父である公卿もしゃくをグッと握りしめて、満足げな顔をする。


 三条の大宮の後見を受けて、いまの地位を確立した、中務卿なかつかさきょうが送った宮中でも伝説となっている、代々、国宝とされていたこと、“螺鈿らでんの君”は、右大臣や弘徽殿女御こきでんのにょうごが送った祝いと共に、最前列の中央に陣取っていた。皆は伝説のことを、食い入るようにながめる。


 ことの名手とうたわれる母君に似て、姫君も大層にことが大層お好きらしく、大いに喜んで大切にされていると言ううわさは、親王の地位すら持てなかった元皇子が、臣下の頂点を取る野望を抱いているなどと、やっかみ半分のうわさと一緒に内裏中に広まっていた。


 中務卿なかつかさきょう的には、“螺鈿らでんきみ”は、上手に弾いてもらえぬ恨みのあまり、自分のやかたの蔵で付喪神つくもがみ(※長い年月を経て、精霊になってしまった道具)になってしまい、頭痛の種でしかなかったので、葵の君のことになれば本望だろうと、なかば厄介払い的な贈物であったが、姫君は大喜びされたと聞いているし、“六”によるとことも、本来持つべきあるじのところに収まって、大人しくことの姿のままで、姫君の側にいるらしく、自分もことも姫君も、三方が幸せになってよかった。そんな風に考えていた。


 また、内裏のおかしなうわさは、兵部卿宮ひょうぶきょうのみやあたりが出所だろうと思っていたが、八省の屋台骨と言える、自分が管轄する中務省なかつかさしょう、そして民部省みんぶしょう大蔵省おおくらしょうの、三省による財政対策会議が、姫君の裳着の前日に大詰めであったので、相手にしている暇はなかった。


螺鈿らでんの君』は、右大臣の『蓬莱ほうらいの玉の枝』、弘徽殿女御こきでんのにょうごが送った、『大鏡』と一緒に、『裳着祝い展示場』の中央、最前列に並び、ほかの祝いの品々も、さすがは左大臣家の姫君の祝賀の贈物と言える一品ばかりだった。


 この時代、鏡は特別な品で、それでも顔が辛うじて映る程度の、小さな品がほとんどであったが、弘徽殿女御こきでんのにょうごは、どうやって入手したのか、姿が半分も映る大きな鏡を用意して、姫君への祝いとし、宮中でも大きな話題をさらっていた。


 女御にょうごというやんごとなき身分なので不参加だが、女御にょうごは大満足であった。右大臣の懐には大打撃であったが、第一皇子の東宮位のためと、文句は言わなかった。


 将来の後見人でもある『』をつける腰結役は、摂関家の姫君ゆえ、親王や右大臣など、申し込みが多数あったが、怨霊事件のことを知っている関白の差配によって、中務卿なかつかさきょうが指名されていた。


 大抜擢ともいえる指名に、殿上人たちは驚きの声を発したが『尚侍ないしのかみ/従三位じゅさんみ』として、姫君も中務省なかつかさしょうに所属するためだという関白の話に、皆は彼の幸運をうらやんだ。


 三条の大宮のうしろ盾に加えて、尚侍ないしのかみになられた左大臣家の姫君が、いつの日か、東宮の女御として入内されれば、姫君の思し召し次第ではあるが、彼の後々の出世は約束されたも同然。


 中務卿なかつかさきょうは、先々の姫君のお心次第で、摂関家が掌握する左大臣のくらいすら、夢ではなくなるのだ。


 蔵人少将くろうどのしょうしょうは左大臣が年を取ってから、ようやく授かった跡継ぎゆえ、中継ぎとして彼が左大臣のくらいに就くのも、考えられなくはない話である。


 無品親王として臣下に降りながらも、彼の持ち合わせる強運は、周囲には恐ろしくさえ思えた。


 今回の裳着もぎは、姫君が後見を得るのではなく、彼が後見を得る儀式だと、悪意を持って吹聴していた兵部卿宮ひょうぶきょうのみやは、美しく飾りつけられた『裳着祝い展示場』に鎮座する、“螺鈿らでんの君”を忌々しげに見つめていたし、先に『裳着祝い展示場』を見た妹宮の藤壺の姫宮は、大勢の姫君に混ざって、つらつらと祝いの品を見て回ったあと、これまた祝いの定番のひとつ、沢山の薫物たきもの(お香)の入った香壺こうご(※お香の入ったつぼ)が飾られている、厨子棚ずしだなの前で足を止め、硝子ガラスでできた香壺こうごの前で、思わず目を見張っていた。


「これは……龍涎香りゅうぜんこうでは、ありませぬか?」


 硝子ガラスでできた香壺こうごの中には、琥珀色に輝く美しい石。


「よくお分かりでいらっしゃいますね」


 ふと呟いた自分の声に、応じた声に振り向くと、少し年嵩としかさで、質素ながらも教養深そうな女君。彼女は香の調合の上手さでよく知られた、中納言の北の方であった。


「調合した薫物たきものと、どちらにした物か悩み抜いた末、姫君に趣向をうかがってから、念入りに調合すると、あるじが言い出しまして、皆様がこうも整えられた薫物たきものを送られた中、こり性も良し悪し、お恥ずかしい話でございます」


 困った表情の中納言の北の方は、謙遜けんそんした口調でそう言う。


「まあ、これが、龍涎香りゅうぜんこう!」


 周囲にざわめきが走り、姫君たちが集まってくる。ほとんどが恵まれた境遇の公卿の姫君とはいえ、龍涎香りゅうぜんこうのように珍しき品は、誰も見たことがなく、中納言の北の方が、へりくだりながらも、少し誇らしげなのは、無理もなかった。


 藤壺の姫宮は、面白くなさそうな顔で、御簾の方に向かう。なにせ以前、自分が欲っした時は、丁寧に断られていたから。



*



『本編とは恐らく関係ない小話/龍涎香りゅうぜんこうとキノコと陰陽師たち/1』


弐「龍涎香りゅうぜんこう、初めて見てきた!!」

参「クジラの腹の中で見つかるとか……」

弐「う〇こ?」

参「違います……」

弐「ふ――」頬ずりしてきたので、一瞬ドキドキしていたのでした。

伍「どうしたんですか? ご飯できましたよ?」シェアハウス始めて、一年の記念で、鍋を作らされていたのでした。


龍涎香りゅうぜんこうは、クジラの結石だそうです。


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