第59話 幻想即興曲 11

「どうかなさいましたか?」


 黙って焼死体を見ている中務卿なかつかさきょうに、検非違使けびいしの別当は声をかける。


「いや、可能であれば、これからも夜間の警戒を続けられよ」

「そういたします。これほどの事件ゆえ、人心が落ちつくまでは、時間がかかりましょうから」


 別当は深々と頭を下げて、そう述べてから、事件現場を一目見ようと押し寄せる野次馬を追い返すよう侍たちに指示を出し、中務卿なかつかさきょうや陰陽師をはじめ、彼の手配した武芸者たちに、今一度、深々と頭を下げる。


「どうかあの時の女君にもよしなに!」


 帰ろうとする自分のうしろ姿にかけられた別当の言葉に、中務卿なかつかさきょうは軽く手を上げて了承の意思を見せ、その場をあとにした。


 今回の捕り物劇で事件が収まれば申し分はないが、今回の犯人は模倣犯ではないかという考えが、どこか心の隅に引っかかる。が、証拠が出そろった現行犯ゆえ、考えすぎという気もする。


 いずれにせよ、これから先のことはまだ分からぬ。これを教訓に、大規模な治安強化に取り組むことによって国家の安定に向けて、抑止力としての武力を増強した方がよいと中務卿なかつかさきょうは考えたが、何分、管轄外のこと、さっさと現場をあとにした。


 なにせ自分は物忌み中だ。他の武芸者たちも同様の身の上なので、そそくさと撤収して行った。


“弐”をのぞく真白の陰陽師たちも、“壱”の撤収の合図をもって、煙が立ち込める現場をあとにして、彼らの慌ただしい日々は、ひとまず終わりを告げ、再び内裏と左大臣家を往復する日常に戻ってゆく。


 その頃、葵の君は、御堂に御神刀ごしんとうを戻すと、すました様子で部屋に戻っていた。


 つい先頃まで関白の出された課題のために、御堂に籠りがちだったので、姫君の様子には誰も不審を抱かない。


 朝餉を食べ終えた姫君は少し眠り、今日はゆっくり過ごし、夕方、風呂殿に向かうと紫苑に言う。


「まあ、よかった! 最近、風呂殿はよいとおっしゃっていたので、体調でもお悪いのかと……」


 ここしばらく姫君のご様子が、どこかおかしいと思っていた紫苑は、嬉しそうにそう言った。


「ええ、大丈夫。少し気が乗らなかっただけだから」


 姫君はいつものように、花がこぼれるような笑顔を見せてから、また、しばらく眠っていらっしゃった。きっとまだ、お勉強の疲れが残っていらっしゃるのだろう。


 そんな姫君のご様子に紫苑は安心し、夕刻には風呂殿に姫君が向かう意向を女房に伝え、どこかに逃げてしまったと、心配していた“ふーちゃん”を、庭先の椿の花の上に見つけた。そろりそろりと近づくと、ざるを被せて確保に成功する。


 彼女は満足げな顔で、姫君の側に置かれている鳥籠に、“ふーちゃん”をそっと入れた。


 夕方、葵の君は女房たちにかしずかれ、風呂殿の湯船でゆったりとくつろぎながら、そういえば“ふーちゃん”は紙だから、お風呂に入ると溶けちゃうのかもとも思う。


 そして反省もしている彼女は、事件の顛末をその日の夜にやってきた“六”から伝え聞き、いささか残念ながら、無事に京の都に平和が戻ったことを素直に喜ぶと、裳着もぎまでの春に移りゆく季節の間中、やたかの中で、静かに暮らそうと思っていた。


 勢い込んでみたが、実際に事件に巻き込まれてみると、当たり前のことだが、映画でもドラマでもないので、自分はヒーローにはなれなかった上に、浅はかな考えで目の前の“六”の命を危険に晒していたのだ。


「ごめんなさい、貴方あなたを巻き込んで……」


“六”は、そんな風に素直に謝る姫君に静かに頭を振って、自分が止めるべき立場だったと、言葉少なく返事をし、姫君とふと目があって小さくほほえんだ。


 全部、僕のせいにすればよかったのに。


 姫君が自分を無理矢理、引き込んだのだからと、中務卿なかつかさきょうの怒りを静めてくれたのは知っていた。


 まあ、本当の話なんだけど。


「もう二度と、おまじないの嘘には騙されませんから」

「まあ!」


 姫君のバツの悪そうな表情が、とても可愛らしい。今回の騒動で彼が学んだのは、大切にすることと甘やかすことの違いであった。


 事件は終焉をむかえ、恐ろしい事件は終わりを告げた……少なくとも、いまのところは。

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