第58話 幻想即興曲 10

 まだ捕り物騒動が続く中、現場をあとにする牛車の中で、中務卿なかつかさきょうは必死で涙を堪えている、姫君の背中をそっとぜていた。


 この小さな姫君は、一体なにがあって、なにを思って、関わるすべてを救おうとするのか。


 彼女が関白に提出した、有能な官吏ですら思いつかぬであろう膨大な提案は、多岐に渡っていたが、一貫した姿勢は、民と国を思う気持ちに溢れていることだった。


 短期間にあれだけの質量だ。かなりの無理をしていたことは、簡単に想像ができる。姫君は変わらず美しいながらも、抱き上げた幼い体は驚くほどに軽く、健康を取り戻したといっても、心配は尽きないと彼は思う。


 姫君自身の命を救うための、御仏の条件であるとでも言うように、姫君は貴賤の分け隔てなく、多くの命を守ろうとしているのかもしれない。たとえ自分を犠牲にしても。


 そして、それを許してしまった自分の行動は、いまにして思えば、狂気の沙汰であった。

 周囲の大人が守ってやらねば、この幼くも尊く儚い姫君は、どうやってこの世を生きてゆくというのか。


 中務卿なかつかさきょうは遠くに見える姫君が倒れ込み、襲われそうになった瞬間、九字を唱えながら、矢を放った出来事を思い出した。


 彼は自分の手が僅かに震えたのを思い出し、己の浅はかな考えと行動を深く恥じ入る。


 ずっと小刻みに震えている、姫君の冷え切った小さな手を温めるように守るように、自分の手で包み込んだその時、彼は『天香桂花てんこうけいかの君』が、姫君から一瞬の金色の光に包まれて浮かび、再び消えたことを目撃し、無言のまま“六”と視線を交差させた。


 どうやらお互いに時折現れては消える『天香桂花てんこうけいかの君』が見えているらしいが、姫君に自覚はないようであった。


 牛車の揺れが突然止まり、ただひとり、徒歩でつき添っていた、家人の猩緋しょうひが左大臣家に到着したことを控えめに告げる。


「到着しました。東の対までお連れいたします。ご無礼をお許し下さい」

「はい……」


 姫君の血が混じった、砂だらけの素足を痛ましげに見つめていた“六”は、回復の呪を唱え、そっと手をかざす。これは他人の痛みを自分に移し取るだけなので、陰陽師たちは日頃は決して使わぬ呪法であったが、見ていられなかった。


「まあ、ありがとう」

「いえ……」


 姫君は驚いた表情のまま“六”に礼を言い、先に牛車を降りた中務卿なかつかさきょうに抱き抱えられて、あっという間に東の対まで駆け抜けた彼と“六”に、御神刀ごしんとうと一緒に大切に東の対に届けられた。


 左大臣家の門番は立ったまま眠りについており、邸内はさながら『眠り姫(Sleeping Beauty)』に出てくる城の様相ようそうを呈していた。


 東の対で彼らを出迎えたのは、“六”と同じ、真白の陰陽師の“弐”。彼が後詰として左大臣家にて、巨大な“催眠術法”の方陣を張っていたのだ。


「早くして下さい! そろそろ術法が限界です!」

「ご苦労!」


 やかた中を深い眠りにつかせていた“弐”は、さすがに疲れ切った顔をして待っていた。隣に立っているのは、葵の君と同じ姿形をした、無表情の“ふーちゃん”


“六”が“ふーちゃん”を元の小鳥の姿に戻している間に、中務卿なかつかさきょうは素早く姫君に念押しする。


「よいですか、事件は解決します。ですから二度と勝手に門から出てはなりませんよ?」

「はい、あの……」

「どうかしましたか?」

「あの時は、ありがとうございました……」


 葵の君は自分の命が消えようとしたあの時、陰に向かって飛んできた矢が、彼が放ったものだと思い当たり、こみ上げた気持ちは隠したまま、震える小さな声で礼をのべる。


「気がついていたとは思いませんでした」

「だって、誰にでもできることではありませんもの。そうでしょう?」


 目を細めて、よくできましたとばかりに、葵の君の髪をぜた彼は、“六”にせかされて姿を消す。


『早ク早ク』


 葵の君も“ふーちゃん”に急かされて、几帳の影で素早く土埃にまみれた砂だらけのころもを脱ぐと、“ふーちゃん”が着ていた夜着に着替え、砂だらけの衣は残っていた“弐”に手渡した。


 やがて白々と夜は明け、“弐”は初めて見た、本物の葵の君の花も恥じらう美しいかんばせに浮かんだ感謝の笑顔に、一瞬ポカンと見とれたが、気を取り直し、いかにも宿直とのゐの帰りを装って左大臣家をあとにする。


 任務は完了であった。(“ふーちゃん”は、美化しすぎじゃないかと思っていたら、本物は更に上回っていて驚いた!)


 疲れ切った彼は、やかたに帰ると、同居している“伍”が、用意していったらしき朝食を、勝手にかき込み、着替えもせずに、そのまま布団に身を投げ出すと、夢の世界に旅立つ。


 一方、葵の君を無事に送り届けた中務卿なかつかさきょうと“六”は、羅城門に引き返すと門を出て、火柱がようやく落ちついた、くさむらであった焼け焦げた現場に戻っていた。


 すぐに検非違使の別当が近づいてきて、昨夜のあれからの出来事や、犯人像を説明すると、また指示を出すために近くの武官に声をかけている。


「ことがうまく治まってよかったですね」

「ああ、うまく運び過ぎたくらいだ」


 別当の説明を横で聞いていた“六”の言葉に、事件への一抹の疑念を抱いていた中務卿なかつかさきょうは、独り言のようにそう呟く。


 別当いわく、割り出したさくの日に、わざわざ危険を冒してまで現れたこの犯人は、猟師のような、山賊のような男であったという。


 初めに事件があったと思われる、大和国やまとのくにには、これから問い合わせをするとのことであった。


 たがしかし、猟師であったとするならば、いままでの被害者であった女童めわらを、やすやすと“捌けた”理由にはなるが、この京の中に展開していた、多数の検非違使の目をかい潜るように起きた事件は、まるでこの地に住み、土地勘や警備状況すらも把握していた様子が見えていたことが、少し気にかかる。


 しかも氷漬けで見つかった女童めわらは、“解体”されたあと、再び丁寧に衣をまとって、石をつけて沈められていたと聞いていた。他の被害者たちも川の流れがなければ、同じように衣をまとっていたと思われる。


 女童めわらの衣装は、葵の君をはじめ、幼い姫君たちが着ている装束と構造は同じで、他者によって着付けられることが、当たり前であるほどかなり複雑だ。


 普段からそれを見慣れている、身内に女君がいる貴族や女房であればともかく、常日頃は山で生活している一介の猟師に、そのような真似ができるものであろうか?


 自分が犯人であったとしても、脱がせた衣装を元通りに、着付けることはできない気がした。何度も攫っているうちに、自然と覚えたという線もあるだろうが。


 しかし、目の前にある焼死体が姫君を襲ったのは疑いようがない。針山のように矢が刺さり、右肩であったであろう部分には、あの時、己の放った矢が突き抜けたまま炭化していた。



 *



『本編とは多分関係ない小話/シェアハウス』


 不規則な出勤の関係で、大内裏にある陰陽寮の近くに住みたいけれど、大きな寝殿造りの一棟貸ししか見つからなかったので、シェアハウスして暮らしている真白の陰陽師たち。


“六”は、プライベートの方が大切と、遠くから通っている。騒動が終わってみんな、それぞれ帰ってきた。


伍「あの、誰か僕の朝ご飯を知りませんか?」徹夜になると分かっていたので、用意してから出ていた。


四「知らん! 眠い!」眠いと超機嫌が悪い。


参「ちゃんと名前を書いた紙を貼っておくといいね」言いながら、ついでに朝ご飯を出してくれた。


伍「ありがとうございます……」四にまで叱られて、納得がいかない顔で、朝ご飯を食べている。


壱「こいつの仕業か……」自分か敷いて行った布団の上で、“弐”が寝ているのでした。

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