第56話 幻想即興曲 8

検非違使けびいしは京中の治安維持を担当、裁判所と警察署を合わせたような組織で、官位は、別当(従四位上)を長官に、以下、佐、大尉、少尉、大志、小志と続きます。


・中務卿の官位は、従四位上より上位の、正四位上なのですが、このお話の中では、正三位(公卿)ながら、上が人数的につっかえているので、公卿(太政官の最高幹部の地位)ながらも、いまの官位、八省の最高位部署の中務省の長である、中務卿に就いている設定です。



 *



「それでわたくしの立てた、恐ろしい犯人を、捕縛するための計画なのですが……」

「………」


 せっかく逸らした話が、元に戻ってしまう。面倒なことに、姫君の熱意は本物のようだ。


 かつぎ上げてでも、大宮のところにお返しした方がよいのだろうか? いや、そうなれば、そもそも姫君がなぜわたしのやかたまで、たどりついたかという話に……。


 なんとか見つからずに無理矢理に送り返しても、またこの勢いで、勝手に左大臣家を脱走されては困る。それこそ一大事。


 どうしたものか……。


 世の姫君を持つ親は、こんな悩みを実は抱えているのだろうか? 子供はおろか結婚相手もいない彼は、唯一の幼い身内である、葵の君の取り扱いに悩む。


 少しの間を置いて中務卿なかつかさきょうは、真剣な表情で彼女の前に、扇子を手に座り込み、おもむろに口を開く。


「聡い貴女だからこそわたくしは公人こうじんとしての立場で注進申し上げよう。もし、この度の一件がおおやけになれば、いかがなるとお思いか? “六”は、“摂関家の姫君”をかどわかした罪に問われ、重い罪になることを、まぬれませぬ」

「えっ、そ、そのようなつもりは……」

「また、摂関家の警備についている随人(宮中から派遣されている警備)や侍、それらの一族郎党にまで影響が出るほどのとがを、彼らは必ず受けましょう」

「………」


 自分が説教をしている間、姫君は愛らしい唇を噛みしめて、うつむいていらっしゃる。


 恐ろしい事件から哀れな女童めわらを助けることで頭が一杯になり、自身の起こした行動のために、誰かが罪に問われることなど、頭になかったのであろう。瞳の中の光が揺れていた。言い過ぎたことに反省する。


 仕方のないことなのに。聡過ぎる方ではあるが、本質的には、まだまだ幼い世間知らずの深窓の姫君なのだから。


 しかし、姫君の言う通り、これ以上の“釣り餌”はないのも事実。ここのところ検非違使けびいしの警戒もあってか犯人は息を潜めているが、これほどの獲物を見逃しはしないだろう。


 事件に関する上がってくる情報が自然と耳に入り、既に片足を突っ込んでいる自分には分かる。そして、姫君の言い出した『囮作戦』は、実際に別の姫君が、囮として立つ予定になっていると聞き及んでいたが、恐らく計画が成功しても姫君が負傷、もしくは死亡する予感も大いにあった。


『屋敷内が世界のすべて』


 姫君や女房見習いの女童めわらは、程度の差はあれど、風にも当たらぬような穏やかな箱庭育ちには変わりなく、彼女たちに怨霊事件の時の姫君のように、毅然とした姿勢で犯人に挑める者など、いないのは分かりきっている。


 それゆえに『まともな貴族』は、検非違使けびいしの別当の提案に、協力する者は当然おらず、最終的に自分の妹君を説得した彼の苦悩と、国家安定のための供儀として、妹君を差し出さねばならなくなった経緯、失うことを覚悟した悲壮感を、自分は知っていた。


 なぜならば検非違使けびいしの別当は、自分のやかたの道場に出入りしている、親しい人間のひとりであったから。


 数日前もこのやかたを訪れて、夜更けに黙々と弓を放っていたが、そんな打ち明け話をして帰ったところであった。


 この一件を検非違使けびいしの少志から伝え聞いて以来、中務卿なかつかさきょうも協力はしていたが、決して別当も手をこまねいていた訳ではない。


 特に今年に入ってから川で見つかった女童めわらの死体は、不幸中の幸いというのも不謹慎だが、気温が下がりすぎ、川の流れがほぼ凍りつくほどに低下したために、いままでは流れ出して、細かな事は分からずじまいだった、犯行の手口がかなり掴めたのと、女童の勤めていたやかたの女主人が、ほぼ同時に病で亡くなり、その日記を夫であったひとりの貴族が、せめてもの手がかりになればと別当に提出していたのだ。


 それにより典薬頭てんやくのかみであり、遥授国司ようじゅこくしである刈安守かりやすのかみにも問い合わせ、有力な情報提供がなされている。


 なんとなく手にした扇子をもてあそび、幹に突き刺さったまま矢に縫い留められた、赤い紅葉に再び目を向ける。向かいには肩を落として、じっとしている姫君。


「一度だけ……」

「え……?」

検非違使けびいしの別当に言って、手筈を整えさせます……一度だけ、協力して頂きましょう」

「よいのですか……」


 そっと姫君の白い顔に片手を当てる。


「本来であれば、わたくしの知己である検非違使けびいしの別当が、自分の妹君を囮に出すところでございましたが、確かに姫君の言うとおり、ここまで“お転婆が過ぎる”方は、他にはいないでしょうから」

「まあ……!」


 見開いた瞳には少し不服気で嬉しそうな色。


 先程まで泣きそうな顔で、うつむいていた姫君は、自分の説教はすっかりなかったように、ニッコリと冬の日だまりのような笑みを浮かべている。


「絶対に成功させてみせます! もちろん誰にも迷惑がかからぬように、終わればすぐに帰ります!」

「いずれにせよ、二度とこのような真似はしないと約束して下さい」

「はい、大丈夫です!」


 姫君は、小さな両手で自分の手をギュッと握り、頬を紅潮させて何度も強く頷きながら、自分を見つめていた。


 中務卿なかつかさきょうは、なんて小憎たらしくて、可愛い存在なんだろうと思いながら、姫君の手をそっと自分の手から外して、姫君の膝の上に戻す。


 さっさと左大臣家に返して塗籠ぬりごめにでも監禁してもらった方がよかったかも知れない。早くも後悔が浮かぶがもう遅い。


 遠くから聞こえる足音は検非違使けびいしの別当のものだろう。姫君を式神と信じた家人が、気軽に通したものと思われた。


 自分は物忌みで、一応身を慎むために欠勤しているのだが、このやかたに出入りする者は、ほとんどソレを突発的な有給のように考えるのは、困ったものだと思う。まあ、自分もご同様ではあるが。


 別当の目に入らぬように、いつもは上げたままの御簾みすを素早く降ろし、葵の君は自分の胸元に差していた檜扇を念のために顔にかざす。


 中務卿なかつかさきょうは扇越しに姫君を見つめながら思う。正義のためとはいえ、こうも易々と、姫君の提案に流されてしまうのは、つまるところ彼も“六”と同じく、姫君には格段に甘くなってしまう同じ穴のむじなで、きっと今回と同様に、これから先も姫君のおおせとあらば、無理を道理にするべく、奔走するのだろうと。


 それでも姫君への責任が“六”よりも格段に重い彼は、『中務卿なかつかさきょう』としての地位と権力を最大限に使って、手筈を整えることにした。


 目が覚めてそっと顔を出した“六”に、左大臣家で今夜、宿直とのゐをする予定の者も含めて、“真白の陰陽師”全員を、陰陽寮を退出後、ここに呼ぶように言うと、姫君の美しい瞳に真剣な眼差しを向ける。


「これだけは忘れず覚えておいて下さい。姫君、貴女は多くの者たちの一生を、次の時代を背負っているのです」

「……はい」


 葵の君が返事をした直後、勤務を抜け出してきたらしき検非違使けびいしの別当が寝殿に顔を出し、いつもは上げたきりの御簾みすが下がり、かなりの身分と見受けられる小柄な女君のころもの裾が、御簾みすの端から出ているのを見て、いささかうろたえる。


 御簾端から見える淡い鳥の子色の綿が入った小袿こうちぎは、金糸と銀糸が複雑に織り上げられた二十織ふたえおり


 葡萄えび色から御空みそら色に移りゆく色のかさなる数枚のうちぎは、彼女の高い身分と教養を表すように、高雅で豪奢なものであった。


 不意に御簾みすの端からころもがするりと消える。檜扇を顔にかざしたままの女君は、中務卿なかつかさきょうになにやら耳打ちをされて、自分の目を避けるように奥に下がり、やがて姿を消した。


 垣間見えたその所作も、真に典麗で上品であった。


 豪奢ながらもくつろいだうちぎ姿の女君は、中務卿なかつかさきょうの特別な方に違いなく(第一そうでなければ、男が自分の家に姫君を連れて帰っているなど、まずありえない。)


 世間からは恋も結婚も縁がないと言われている中務卿なかつかさきょうは、実のところは相手の身分ゆえに、自分の色恋沙汰を公表していなかったのかと別当は密かに思う。


 火傷のことはともかく、元皇子であり正三位(公卿)の彼が、隠さねばならぬ恋人に強く興味が沸いたが、それどころではないことを思い出し、自分の無礼を詫びてから本題に入る。


 やがて冬の日はあっという間に暮れてゆき、検非違使けびいしの別当と、駆けつけた真白の陰陽師たちが、中務卿なかつかさきょうと犯人捕縛の計画を練る中、葵の君は密かに隣の塗籠ぬりごめに潜み、“六”が気を利かせて、どこからか調達してくれた『御弁当』と紙包みに入った干柿を食べていた。


『干し柿って、もうあったんだ!』


 真剣な討議をよそに、葵の君は家に帰ったら、早速取り寄せてもらおうと、のんきに考える。


『焼き芋もひょっとして?』


 そう思ったが、そういえば薩摩藩に伝わったから、薩摩芋だったと思い出し残念に思った。


「南蛮船でもあれば、輸入できるかもしれないけれど……っくしゅ!」


 小さく呟いて、寒さにクシャミをひとつ、干し柿をもうひとつ。



 *



『多分本編と関係の無い小話/若き日の母君』


母「中務卿に推薦しておきましたから!」皇子から臣下に降りる寸前の中務卿に言っている。嫁入り前後。13歳~14歳くらいの内親王時代。


中「それは少し無理が……」親王がなるのが慣例なので、いくらなんでもと思っている。自分的には、どこか兵部とか検非違使とかに空きでもあればいいなと思っていた。


母「大丈夫です!」なんとか、母君と左大臣を結婚させたかった関白に、無理押ししていたのでした。


関「これで、よろしいかな?」


母「この件は、これで結構です。それから、あとは――」なんでも願いを聞いてくれると言ったので、何回でも頼めると思っている。


関「願い事を叶えるのは、あとふたつです」初めに回数制限をしておくべきだと思いつつの返事。


母「えっ?!」素で驚いている。


関「……では、あとみっつでお願いいたします」


 *

葵「大丈夫です!」


中「……」凄く既視感を覚えているのでした。

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