第53話 幻想即興曲 5

 一方の葵の君は、“六”の複雑な胸中にはもちろん気づかず、無意識ながらも“ノブレス・オブリージュ/Noblesse Oblige”(高貴なる者の義務)を建前に、目前に迫る出仕によって、目下の最大の問題、光源氏との避けられない対面から、ひとまず目を反らすかのように、必ず犯人を生けどりにすると闘志を燃やしていた。


 政略結婚の兄上の結婚生活の様子を切り取って、いくら平安時代でも、まさか十歳になるかならないかの子供に、恋がどうこうとか思うのは、幼女にも母を見いだす光り輝く“マザコンの星”光源氏以外はそういないはずと、たかをくくっていたもの大きい。


『なんて酷い事件なんだろう! 相手はサイコパス? それとも呪いかなにかに使おうとする狂信者だろうか? 怨霊と魔法が本当に存在する世界だから、そちらの方が可能性は高いのかもしれない。絶対に捕まえて、市中を引き廻した上に、晒し首にしてくれる!!』


 残忍な犯人とはいえ、子供ばかり狙う卑怯者。相手も油断しきっているだろうし、背後には警備が沢山、もしもの時の怨霊対策も“六”がいれば安心! 勝機しかないと思う葵の君は、尊さを備えた幼い外見からは思いもつかぬ、そら恐ろしいことを考えていた。


『人の世に舞い降りた、冬の白と蒼天をまとう、神聖な“氷姫こおりひめ”』


“六”が彼女にいだいたのは、あくまでも冬の神聖な“光”を思い描いたものであったが、一面では今生の祖父である関白同様に、あるいはそれ以上に、彼女が抱く思いは“氷姫こおりひめ”のように、冷たく凍てついた氷柱つららのようだった。


 前世の彼女は、二十一世紀の現代社会に生まれ、真面目が取り柄の平凡な市井の人間であったが、格段に勧善懲悪を好む傾向にあったので、どこから見ても残酷で残虐な事件を起こした凶悪な犯罪者に対しては、曲解であると自覚するが、ロシア文学における“ラスコーリニコフの理論”「ひとつの微細な罪悪は百の善行に償われる」を適用し、罪業に対して正義の鉄槌を下すことで、三千世界を超えてなお察するに余り有る、遺族の胸臆きょうおくへ漂う悵恨ちょうこんへのせめてもの賠償にあて、同時に犯罪に対する抑止力への供犠くぎとするべきだと思う。


 もちろん現代では極端な意見なので、一度も口にしたことはない。その上、この平安時代というのは、建前上は死刑制度が廃止されているのだ。なにを考えてるんだろうと彼女は思っていた。


 有名な物語『モンテ・クリスト伯爵』の時代における、死刑が一種の娯楽というか、見世物感覚というのは、さすがにどうかとは思うが、現代社会での、なんの罪もない幼い女の子を、たくさん殺しておきながら「極刑です」ボタンをポチっ! みたいな前世風の処分だとなにかモヤモヤするやん? 常々そう思っている彼女であった。


(※もちろん彼女が知らないだけで、この時代は往々にして、貴族や侍による私刑は存在していたが、彼女は知らない。)


 もし叶うなら、犯人を生きて確保した上に、律令国家における最大派閥である己自身が属する一族の嘆願を持って、死刑制度を確立し、少女たちの無念を少しでも晴らして上げたいと思うのは正直な気持ちだった。


 葵の君は、あどけなくも尊い顔で、そんな物騒なことを考えていたが、ふと大慌てで自分を受け止めてくれた“六”の顔を見上げる。凄く紳士的でお姫様扱いだなと思い、長い睫毛をパチパチさせて思い出した。


『ああ、わたし、お姫様だった!』


 そして、重たい衣装をまとった自分を、軽々と抱き上げてくれている“六”を、近くで見ても、綺麗な人だなぁとため息をつく。


 結構な重さだと思うけど、以外にも陰陽寮おんみょうりょうは体力勝負な部署なんだろうか?


 確か十六……年が明けたから、十七歳? 高校生くらいなのに、もう第一線の大魔法使い(陰陽寮所属の陰陽師)って、きっと物凄い才能と努力なんだろうなと思いながら、「歩けますよ?」とも声をかけてみたが、スルーされてしまう。


 まあ確かに、踏みつけて歩いている、この裾の“超”長い袴じゃ抱えて歩いてもらったほうが、早いかもしれない。


 子供だから歩幅が小さいし。


 本当は少し年上の彼女は、“六”を合理的な子だなと思った。


 一方の“六”は、あの、おまじないは、なんだったのかなどと、やはり、ずれたことを考えていたが、止めてあった自分の質素な牛車に姫君をそっと乗せて、自分も乗り込むと左大臣家をあとにする。


『“可愛い”って呪法より強力なのかな……』


 腕の中にいた姫君からは、清純な睡蓮の薫りがしていた。季節外れだが、“水の女神”といわれる睡蓮の薫りは、姫君にふさわしいと思う。


 姫君と出会うことで“可愛い”と言う感情を、会得したばかりの彼は、姫君への可愛いと思う気持ちが、自分の無意識化の恋心と複雑に、そしてぜになっていることには、考えは及ばない。


 そんな自己分析よりも、摂関家の姫君を連れ出した自分の首が、比喩ではなく実際に「飛んでいくかもしれない」と今更のように彼は思い当たり、正直いって、女童誘拐殺人事件めわらゆうかいさつじんじけんより、左大臣家の姫君誘拐事件の方が、余程、罪は重いと、常に無表情な彼には珍しく顔を大仰にしかめていた。


 その頃、姫君に化けた“ふーちゃん”は、姫君の部屋に平然とした顔で戻ると、豪華な几帳台の布団の中に潜りこむ。


 やがて中務卿なかつかさきょうのやかたに到着し、出迎えにきた年老いた女房が、幼くも輝くように美しい姫君を見て目を丸くする。


『意外と近所だったんだ!』


 左大臣家の門を出て、大通り沿いをまっすぐ、寝殿を何軒か挟んだところに、中務卿なかつかさきょうの一町ほどのシンプルな寝殿造りのやかたはあった。


 何軒といっても、そこはすべて寝殿造りだから超遠いけどね! そして大通りの道幅が広い! 御堂筋の倍くらいあったような……錯覚?


 寝殿(巨大なリビング)の周りを、ぐるりと囲む簀子すのこ(通路)を歩いていた葵の君は驚く。


 ようやく朝の光が立ち込め、やかたが全容をあらわにしていったからだ。目の前に広がる前栽(庭)には規模は違えど、左大臣家と同じように大きな池と橋。


 違っているのは、西の対から更に増設されて、庭に貼り出している建物。


「あそこは武道場なんですよ」

「武道場……」

「西の対は端から端まで、丸ごと武道場です」

「……?!」(ええぇ?!)


 元、武道系女子の葵の君は、ビックリどころではなく驚愕きょうがくした。


 個人の武道場の規模じゃないんですが?!


 ここは普通サイズ? の寝殿造りだから、端から端まで100mくらい? もっとある? 絶対、屋内型の弓道場あるよね?! 最高にカッコイイ!! やっぱりわたしの『神/アイドル』


 恐る々々、主人の座に、葵の君を案内した年老いた女房が、足早にそちらに向かって行くのを見ながら、葵の君は住んでいる主人の趣味で寝殿造りの中も随分と違うものなんだと、西の対の方角を眺めて感心していた。


 実際にはそんな気がふれたような事をしているのは、中務卿なかつかさきょうくらいであったが、彼女はそんなことは、知るよしもなかった。


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