第51話 幻想即興曲 3

“六”が立ち去る前に、姫君の小さな口は開かれ、透き通る声が耳に入り、彼は観念する。


「わたくしは貴方あなたを信じています」

「…………」


『わたくしは貴方あなたを信じています』


 そのひと言が、適当に嘘をついて流してしまおうとした、彼の冷静な判断をき止める。無理矢理でも『寝言封じの呑札』を先に紫苑に呑ませておくべきだったと思いながら、姫君を見上げた。


 高欄(寝殿の周りにある柵)から、自分に向かって伸ばされた姫君の白く小さな両手で、彼は顔をそっと優しく包まれ持ち上げられて、まなこを優しくのぞきこまれる。


 吸い込まれそうな輝きに、煌めく黒蒼玉ブラックサファイアのような瞳に、気づけば見とれていた。


 心の奥を見透かす呪法を放つ、そんな瞳の輝きに真っすぐに自分の瞳を貫かれた気がした彼は、姫君の瞳に映る自分の困ったような顔に苦笑するしかなかった。


「……危ないですから、手を放して下さい」


 高欄からかなり身を乗り出している姫君にハラハラし、顔に添えられた手を慎重に外すと、天香桂花てんこうけいかの君”と目の前の小さな姫君のどちらが、あるいはどちらもが、このように風変りな行動をする姫君なのだろうか? そんなことを“六”は頭の隅で考えた。


 姫君に直接にお会いできたのは、可惜夜あたらよ(※明けてしまうのが惜しい素晴らしい夜)ともいうべき行幸だが、姫君は怨霊騒動の時といい今回といい、心配過ぎるほど想像もつかない行動を取る。


「では、訳を話して……ああ、その前に……」


 姫君は柔らかく握った右手の小指を軽く立てて、自分に差し出す。


「おまじないです」

「まじない?」


 不思議な仕草を、いぶかしげに思いながら、彼はうながされるままに、同じように小指を姫君の指に向けて近づけると、そっと小指同士を絡ませた姫君は、童歌わらべうたのような聞いたことのないしゅを小声で唱えている。


『嘘ついたら……』


「針が千本……」

「そう、嘘をつくと針を飲んでしまうまじないです」

まじない……」


 花がほころぶような、春風のような笑顔が、美しいかんばせに再び浮かぶ。


 まだ嘘もついていないのに、なぜか胸の奥が痛み、いまのまじないは大丈夫なんだろうかと思った。


 鸚鵡おうむ返しに呟いて、姫君の小指から外された自分の小指をながめていた“六”は、軽く頭を振ると女童めわら失踪事件のことを、あえて隠すことなく事件の内容を淡々と話す。


 彼は姫君を怖がらせるために、女童めわらたちの非業の最後まで詳細に話したあと、紫苑には協力をするように、姫君からも声をかけてほしいと告げ、一番大切なことをつけ加えようとする。


「そんな訳で、なにかと物騒なので、二度とひとりでは庭に出たり、門に近づいたり、ましてや……」


 彼が至極当たり前の注意をしている途中なのに、姫君は自分の声で蓋をする。


「わたくしが協力します」

「えっ?!」

「丁度、御祖父君の講義も終わりましたし、おとりにする女童めわらを探しているのであれば、わたくしが役に立ちましょう。女童めわらたちを、これ以上の危険に晒す訳にはゆきません。それに紫苑は、もう裳着を済ませたのでおとりには使えません。駄目ですよ?」

「いえ、そういう訳ではなくて……」


『恋バナとはまったく関係がなかったけれど、怨霊でなく相手が人だったら、わたし以上の適任者はいない! 恐らく女童めわらというカテゴリーの演武大会が、この世界にあれば、間違いなく全国一の実力を持っている。いまこそ前世の蓄えた武道の経験を生かして、犯人逮捕に役に立てる時!』


 御簾みすの中に入ってなさい、入ってなさい、奥に入っていなさい、几帳のうしろにいなさい。と言われ続ける姫君の生活に密かにストレスが溜まっていた、なにより強い正義感で胸が高揚した、葵の君の耳に、「姫君こそ国家の宝、そういう訳には……」などと、真っ当な意見を述べる“六”の声は、まったく届いていなかった。


『罪もない女童めわらに極悪非道なことをする犯人を野放しにするなんて言語道断! いまこそ自分にしかできない“ノブレス・オブリージュ/Noblesse Oblige”(高貴なる者の義務)を果たす時! これこそ、御仏の御導きと違う?!』


 今回、通用するかどうかは未知数ながらも、前世のわたしは電車で痴漢に会っていた女子高生を、自分よりも遥かに体格のよい犯人に怯むことなく助け出したこともあった。


 逆上して自分に手を上げようとしてきた相手の腕を、逆関節に技を決めて、駅員に突き出した時は、あきれた顔でやり過ぎないようにと注意はされたけど。


『段持ちでも、体格負けしてたから正当防衛だった! よかったねわたし!』


 そんな前世と同様に、葵の君は正義感と気概だけは、充分に持ち合わせていた。


『今回は随分と犯人が凶悪だけど、世間知らずの少女たちより、少なくとも、わたしは心構えが取れると思うの』


 そう思った彼女は、自信ありげに“六”に告げる。


おとり捜査をするんですね! 検非違使と陰陽寮の合同捜査? “ふーちゃん”をわたくしソックリにして、東の対に置いておけば、二日、三日くらい屋敷を抜け出しても大丈夫ですよ」


 被害者は全員短刀で一突き。あとで持って帰って解体作業して、川に流すという(なにそれ怖すぎる!)同じパターンらしい。


 ならば犯人の第一波の攻撃さえ、体捌きなり小手返しで投げ飛ばすなり、なにかしらの回避行動さえ取れば、あとは大量に配置している検非違使が駆けつけて、数の差で楽勝のはず!


 合氣道、短刀取りの稽古まで、たどりついてて、よかったねわたし!


「あの……」

「いまここで、この話を知ったのは神仏の御導き、大丈夫です」


『なにが大丈夫なんだろう? 姫君のなさろうとしていることは、慈悲が深いを通り越しているし、危険過ぎる』


 彼女の内側を知らない“六”は頭痛がしていた。


 あるいは知っていても、危険だと止めたとは思う。それほど実際の事件現場は悲惨だった。


 確かにおとり捜査は実行中で、人材確保だけが難航中とは聞いているけれど(“伍”が女童めわらに似せた“式神”を出してやったが、なぜかまったく反応がなかったらしい。できが悪かったのか?)怨霊に関係がないと分かった時点で、陰陽師の管轄外だが、せめて情報提供くらいはしようと思っていただけで……。


 葵の君はもちろん、紫苑にだって囮を頼む気などなかった。それに自分は『姫君を守護』することが、一番大切なのに……。


“六”は心の呟きを、今一度、口にしようと思ったが、姫君は“六”にしばし待つように言って、部屋の奥に引っ込んでしまい、なかなか戻ってこない。


『どうしたんだろう?』


 言われた通りに待っていた彼は、余りに真剣な表情の姫君が御神刀ごしんとうを手に、もう一度現れたので、なにも言えなかった。


 感動したのではなく、唖然とし過ぎたのである。


 *


『多分本編とは関係のない小話/呪法編/内裏で宿直の休憩中』


 弐「本当にあった怖い話をしよう、御弁当を持ってきたのに箸を忘れた……」蝋燭を顔の下に持ってきて、恐ろしそうな顔で言っている。

 伍「……(この寒いのに、怪談話? それとも大喜利がしたい?)給料日前に立ち寄った市場で、いきなり立替を頼まれる」弐を見ている。

 参「碁笥(碁石を入れる器)の中に入っていた、昔、書きかけた恋文を、同僚に発見される……」


 書いている時に誰かきたので、隠してそのまま忘れていたのを“壱”に発見された“伍”の話。


 六「可愛すぎて、呪法がかからない生物がいる……」

“弐”“参”“伍”「えっ、そんな生物が?!」

 六「恐ろしいことに、京にいる……」御弁当を食べだして、話は終了。


 弐「洗って返すから、あとで箸を貸して……」自分が箸を忘れていた。

 伍「絶対に嫌です。誰かの置き箸を借りればいいじゃないですか」冗談。


 勝手に借りて、洗ってそっと返している“弐”を見て、置き箸はやめようと思う“伍”でした。(わりと潔癖なところがある。)

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