第49話 即興幻想曲 1

〈 時系列は元に戻る 〉


 髪をいてもらいながら、色々と思い出していた葵の君は、なぜか自分のつぼねに帰りたがらない紫苑と一緒に、他愛もない話に花を咲かせていた。


 久しぶりに実家に帰ってきたから、里心がついて寂しいのかな? そう思い、紫苑を自分の几帳台のそばに寝かせてあげることにして、布団をふたつ並べると、葵の君は、もう目の前に迫った、自分の裳着もぎ十二単じゅうにひとえのことやら、紫苑の裳着もぎの話、道中の土産話、久々に楽しい時間を過ごしていた。


 普通の女童めわらならば、許されぬ行為であったが、地方の受領の娘とはいえ、紫苑は姫君の乳母の娘であり、その母君は遠いながらも、左大臣家の血筋であったので、姫君の『友人』的な立場と、特別扱いされている。


 やがて紫苑は、思い出したかのように、嬉しそうに姫君に言った。


「そう言えば、もうわたし、結婚できるんですよね!」

「あ、そう言えば……」

「実家の母が、変な男に引っかからないように、くれぐれも注意なさいとか言い出して……」


 なんだか紫苑は嬉しそうだ。そして葵の君は思った。これは紫苑の母君でなくても心配になる。この子はこの時代には珍しいほど『年相応の女の子』なのだ。


 そういえば兄君も十二歳なのに既婚者だった。法律でいえば結婚は一応、十三歳からになってるらしいが、元服げんぷく裳着もぎが済んでいれば実質セーフで、有名無実の法律らしい。


 本当に凄いギャップだと思う。


 実年齢に頭の中で十を足すのよ……。葵の君は、こめかみを押さえつつ、なんとか自分の中のギャップから目を逸らすことに成功した。


「わたし、今回の出仕で姫君が、気に入った皇子が、東宮になると思うんですよ」


 紫苑は声を潜めると、姫君の耳元で嬉しそうに言う。


「えっ?!」

「だって姫君は、摂関家の唯ひとりの姫君ですもの!」


『摂関家=キングメーカー』


 これは揺るぎようがない現実だ。勝ち誇った顔で宣言する紫苑の意見は、半分以上は正しい。


『せめて自分の中の結婚法定年齢、十六歳までは、そっとしていてくれないかなぁ……』


 光源氏との結婚回避だけで、恋愛関係はいまのところ、お腹が一杯である葵の君は思った。


「出仕したら色々な殿方を、ながめ放題ですね! わたし宛に歌とかもらえたりして……姫君は出仕なさったら、もうそれこそ何百って……」


 紫苑は可愛いから、変な男に目をつけられたら大変だと葵の君は思った。本当に心配になってきた。


『あ! 光源氏! 確か左大臣家の周りの女房にも手を出してた! 絶対に阻止しなきゃ! 出仕したら紫苑にも、くれぐれも気をつけるように言っておかないと!』


「……歌は要らないわ」


 葵の君は本当に歌には興味がなかった。なぜならば、帝の歌を見て気づいたが、自分の中の便利な『全自動翻訳機能』のお陰で、どんな技巧を凝らした美しい歌も、自分の目には現代文表示になってしまう。


 意味が丸わかりなのは助かるが、美しいもなにもない、ただのSNSの呟きだった……。


 せめて美文調とかに切り替え表示があれば、内容はともかく、美しさをある程度は汲みとれるんだろうけれど、そこまでの機能はついていない。


「内裏には節操のない貴族も沢山いるから、くれぐれも気をつけるよう母君がおっしゃっていました。決してわたくしの許可なしに、うかうかと返歌など渡してはいけませんよ」

「も、もちろんです!」


 浮かれていた紫苑は、珍しく自分に厳しい顔をする葵の君に、慌てて返事をした。


 姫君に“六”の悪行を、言いつけはしなかったが、『てるてる坊主』の恐怖から、まだ“六”がいるんじゃないかと、つぼねにひとりで帰る勇気がなかったので、楽しい内裏生活への期待と憧れついでに、頭に浮かんだ話題を延々と話していただけなのだ。


 考えは浮かばないけれど、いくら有能でも、あんな恐ろしいやからは早く姫君を遠ざけねば! 姫君に寄り添って、生涯お側で暮らすのが、自分の一番の願いである。


 そう言えば姫君も裳着もぎが終われば、結婚も目の前だけど、恋愛話には、そんなに乗り気そうではない。


「………」


 それもそうかも知れない。理由に思い当たった紫苑は、内心、大きく反省した。


 自由な和歌のやり取りからはじまる、平安女子の最大の楽しみともいえる恋愛生活も、姫君の立場では、できやしない。姫君にある選択肢といえば、いまのところ、帝の二人の皇子のどちらかの二択だけ。


 第一皇子の外祖父である右大臣を、コッソリ見たことがあったが、なんと言うか、関白のように年老いてなお渋い魅力にあふれ、若い頃はさぞかしふみが山積みに……いまでもきっと……。


 というタイプでは、まったくなかった。


 見目のよい女房を見かけると、いまでも右大臣は年甲斐もなく、素早く口説いて回っている。


 あれは社交辞令のつもりなんだろうか? みんな、本気で嫌がっているのに。右大臣家の姫君が全部、母親似なのは奇跡だと、世間では言われているのに。


 もし第一皇子が、見た目も性格も右大臣に似ていたらどうしよう? あまりにも姫君が気の毒だ。皇子の母君である女御にょうごは美しいけれど、性格に大いに難ありと聞いているし。


 第二皇子はというとまだ六歳。


 並はずれた美貌と、あふれんばかりの魅力、末恐ろしい才に恵まれている、そんな華々しいうわさは聞くが、うわさなんてまわりが積極的に流している場合も多い。実際に見るまでは分かりはしない。


 それに彼の母は『今楊貴妃いまようきひ』と呼ばれている帝の寵姫なのも、話半分に疑り深くなる原因だ。


 帝が『親馬鹿』を発揮している気がするもの。


 だって自分の父君に言わせれば、三国一の眩しいくらいに美しい姫君だって言われている。そしてわたしは姫君を見ているので、それが親馬鹿だと知っている。


 少しばかり美しく賢い子供であっても、どうせ姫君に比べると、うわさだけで、たいしたことはないだろうし……。


 彼女にとって、否、彼女や左大臣家の女房たちにとって、葵の君以上の美貌や才などありえなかったので、実のところ、姫君と並び称される光る君の、ちまたに流れるうわさに、彼女たちは、あからさまに敵対心を持っていた。


 男子も女子も美しさを尊ぶ時代にあって、自分たちの崇拝する『葵の君』に並び称される、あるいは『“葵の君”の美しさも、尊き“光る君”には遥かに及びますまい』などと言ううわさ話すら、帝に仕える女房たちが口にしているのを、彼女たちは看過できなかった。


(もちろん姫君に是非とも第一皇子と結婚して欲しい、弘徽殿女御こきでんのにょうごや、桐壺更衣きりつぼのこういを毛嫌いしている他の女御や更衣のところの女房は参加していない。)


 去年『甘葛あまかづらの会』の会合の席で、そのうわさを耳にした時、まだ準会員であった紫苑はなにも言わなかったが、憤慨して唇を不服気に尖らせたのを思い出す。


 その時、同席していた年嵩の左大臣家の女房は、なにがあってもそれだけはないと、そんなうわさを面白そうに口にした内裏勤めの女房に、檜扇を叩きつけて啖呵を切っていた。


 大宮つきの女房はともかく、元々、後宮の女房と摂関家の女房は、お互いに犬猿の仲であるのも、対立が深まる大きな一因であった。


『うちの姫君こそ至高の存在! 異論は認めない!』


 左大臣家の女房たちの、一致した意見であった。


『姫君の瞳は煌めく黒蒼玉ブラック・サファイア』『星々の輝きが降り注ぐ夜の射干玉ぬばたまが流れ出したような美しい黒髪。国の至宝であった母宮に瓜ふたつの美しいかんばせ』『鶴の皷翼はばたきごとく優雅を極めたお振舞』


 それが、左大臣家の女房たちが口にする姫君の数々のフレーズであり、尚侍ないしのかみとして出仕すれば、接する機会のある予定の公卿たちくぎょうたちはもとより、手の届かぬ高根の花であることを、重々承知している殿上人てんじょうびとが、ひょっとして、ひと目でもお会いする機会があるかもしれぬと、密かに期待で胸を高鳴らせている原因だった。


 葵の君が、自分のキャッチフレーズを聞けば、「ハードルをガンガン上げるのを止めて!」そう叫んだと思われる。


 第一皇子との話を置き去りに、葵の君が知らない間に、光る君と彼女との間での前哨戦ぜんしょうせんは、すでに水面下ではじまっており、戦いの火蓋は『光る君VS葵の君』という、あさっての方向に出仕前から、女房たちの間で切って落とされていたのであった。


 そんな訳で、姫君が考案されたさまざまな素晴らしい発案や、髪を美しく洗い上げる方法は、後宮には秘密にと摂関家以下、貴族の女房たちの連絡網で、こっそり回されているので、後宮の女たちは時代の波に乗るのが遅いと、なぜか弘徽殿女御こきでんのにょうごが妹君である四の君にまで、不思議そうに言われる始末であった。


 彼女は葵の君の兄君、蔵人少将くろうどのしょうしょうの正妻であり、政略結婚ながらも、最近では夫とは割合に仲良く過ごしていたので、彼から色々と姫君が編み出した最新の情報を教えてもらっていた。


 姫君に同情した紫苑は、なにか楽しい話題はなかったかと思い、少し黙って考えていたが、これだと思い、姫君の耳元に顔を近づけると思い切って話しだす。


典薬寮てんやくりょうの畑の内緒話があるんですよ……」

典薬寮てんやくりょうって、医療とか薬を扱う省ですね?」

「そうなんですよ、さすがは姫君! で、特別に研究用の薬草園が、典薬寮てんやくりょうには、あるらしいんですけど……」


 紫苑は勿体ぶりながら、姫君に秘密を漏洩ろうえいした。


「それは……本当ですか?」

「そうなんですよ」


 紫苑が話したのは、左大臣家から配られた『突然変異蜜柑とつぜんへんいみかん』の栽培にこっている隠密師おんみょうじのひとりが、勝手に典薬寮てんやくりょうの畑を、無理矢理、一部を占領しているというものだった。


 彼は、ただでさえ広いとはいえない、大内裏にある研究用の畑で、蜜柑栽培みかんさいばいを強行しているらしい。


「なんですか、そのひど過ぎる話は……」

「そうなんですよ! でも、そのうち、あの特別な蜜柑みかんは、ぎっしり大内裏に実るかも知れませんよ!」


 官庁街の大内裏に、ぎっしりと突然変異蜜柑とつぜんへんいみかん(温州蜜柑)がなる光景、凄くシュールだ。葵の君は呆れたが少し期待する。


「そうなれば、いつか二人で、蜜柑狩みかんがりに行きましょうね」

「はい! 大きな籠を用意します! 沢山もらっちゃいましょう! 元々は左大臣家の蜜柑みかんの種ですし!」


 なんだか笑える光景に、葵の君の顔に、思わず笑みがこぼれる。大きな籠を背負って姫君二人で蜜柑狩みかんがり。

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