第48話 輪舞 6

 正式に発売後、国内の貴族階級の女君や姫君の間で、またたく間に人気を得た“絹白粉きぬおしろい”は、葛粉くずこや水を混ぜた水白粉みずおしろいレシピなども考案され、国内にゆき渡った数年後、ようやく海を渡る。


 葵の君は、水白粉みずおしろいのレシピを、自分の自動翻訳機能? を使って、漢文で書きしるしながら、ひょっとして、いまならラテン語すらも読めるのでは? などと思ったが、残念ながら並行世界のヨーロッパにある、フランク王国等は、影も形も見えない遠い世界だった。


 唐に渡った“絹白粉きぬおしろい”は、いままで以上に肌を白く引きたてる品質のよさに、肌への負担の軽さ、東の果てでしか手に入らぬという希少性が相まって、高貴な身分や裕福な女性たちに珍重され、裕福でなくとも、一生に一度のハレの日に、大切な女性への贈物にと、こぞってみなが買い求めた。


 やがては葵の君の予想通り、シルクロードに乗って、平安の世の日本では、未だ存在も知らぬ、ヨーロッパの国々へも輸出されてゆく。


 そうして世界中の女性の抱えていた、重金属の白粉おしろい問題は、時をさかのぼって、ゆるやかではあるが消滅し、葵の君は、この鉱山が生み出す莫大な利益により、数年後、十三歳を迎える頃には、かなりの資産を自分自身の力で所有した、初めての姫君となり、十年も経つと彼女の資産総額は、臣下の間では並ぶもののない、摂関家自体の財産とも互角といえるほどの、巨額の個人資産に積み上がってゆく。


 なぜ葵の君が、世の女性のためという大きな思いとは別に、並ぶべく家もない摂関家の姫君に転生を果たしながら、自分自身の財産の確保に思い当たったかといえば、自分が今現在どんなに高貴な身分であろうと、たとえ『薬師如来の具現』と、もてはやされようと、御祖父君や父君の意向次第では、明日の朝、目が覚めた時には『第二皇子/光る君』と結婚が決定していても、おかしくはない弱い立場だと、数日前、母君に届いていた帝の手紙で、改めて気づいたからであった。


 実際、元々の源氏物語でも、葵の君は東宮妃候補として、大切に育てられていたにも関わらず、左大臣の光る君への傾倒のあまり、あっという間に結婚を取り決められていた。


 本来であれば、すでに亡くなっていた関白、御祖父君の講義を通して、平安の世界における、まつりごとの、世の成り立ちと、現実に即した高度な教養と勲等を受けた彼女は、摂関家が唯一の名家であり続けられる、大きな理由のひとつ、時には武器以上の効果と力を発揮する、莫大な財力の大切さを正しく理解し、いずれ訪れる時に備えることにしたのだった。


 手紙を見ていた、その時の母君は、帝からの手紙を『左大臣家の姫君』の尚侍ないしのかみ就任を祝うお便りと口にしていたが、見たことのないほどに、険しい顔つきであった。


 ソレを火鉢にくべようとした時に、丁度、父君がやってきたので、母君は手紙を硯箱の中に素早く隠すと、父君と一緒に北の対に姿を消した。


 脳内で真っ赤な警報アラートが鳴り響いた葵の君は、隙を見て硯箱の中にあった手紙を素早く盗み見ると、案の定、帝からの手紙には祝いと一緒に、受け取りようによっては、左大臣家の姫君の将来の結婚相手に、光る君はどうかと、ほのめかすような歌が詠んであった。


「煮え切らない……嫌な男」


 眉をひそめて、個人的な感想を呟く。


 しかし、その持って回った、遠回しな内容だからこそ、まだ逃げ道があるのも事実で……。


 真っ白な顔で震えながら、手紙を元通りに戻し、努めてなにもなかったかのように振る舞うと、誰の邪魔も入らない御堂に閉じこもり、対策をゆっくりと考えた。


 嫌な相手には無関心が一番とも言われる。が、実際のところ無関心だけでは、光源氏との結婚は、避けきれそうにない。


 燈台の灯りに、小さな薬師如来像の横に飾られた、怨霊の力を振り払った御神刀ごしんとうが、鈍く光を放っているのを、ぼんやりながめる。


 あの時の石の枕のように、降りかかる災厄を、すべて叩き切れたらいいのにね。物騒なことをチラリと考えて、深くため息をひとつ。


 母君はなぜか気が進まない(だからこそ手紙を握りつぶすべく、隠したのであろうが)ご様子だが、手紙が示すように、自分の身に『光源氏との結婚』が迫っているのは確実であった。


御神刀ごしんとうを持って家出する?』


 そんなことも思ったが、いくらなんでも、摂関家の姫君が、行方不明になれば、見つかるまで捜索されるだろうし、御神刀ごしんとうを持って出たとしても、陰陽師おんみょうじの守りなしに、怨霊から自分を守り切れる自信もない。


 薬師如来の具現と言われている割には、元の葵の君を守り切れなかった僧侶には、彼女はあまり信頼を置いていなかった。


 それに御神刀ごしんとうは、まだ体格的に持ち上げるだけで精一杯だ。予期する出来事への対策に向けて、せっかく確保する予定の収入も、どうやって受け取ればいいのか、分からなくなってしまう。


『出家する?』


 しかし、ほとんど修行らしい修行もない『バーチャル出家』でもよいとはいえ、よくよく考えれば、出家すれば精進料理一択。大好きな動物性たんぱく質が、食べられなくなるのだ。


 せっかく左大臣家の食べ物も、おいしくなりつつあるのに! いや、出家以外、他にも方法があるはずだ。


 彼女は自分の一生と、食い意地を同列に考える、食生活にこだわりが過ぎる、残念な女でもあった。


「怨霊事件を解決して、恩を売るのはどうだろうか? それとも……」


 行儀悪く床に敷かれた畳の上で、あおむけになって、寝転がっていた葵の君は、自分が巻き込まれた帝にも関わる、怨霊事件を思い出すと、悪い笑みを浮かべ、ガバリと身を起こした。


 尚侍ないしのかみとして出仕後、これを解決することによって、帝に恩を売るのと同時に、なにかしら弱みを握り、御祖父君の、関白以上の影響力を、今度は自分が帝に対して保持することができれば、光る君など歯牙にもかけない存在として、無視することも可能になるかもしれない。


 第一皇子には、御祖父君のスパルタ教育を受けてもらい、もっと強くなってもらおう。わたしだって耐えたんだから、将来の帝である彼には、その義務と責任があるだろう。


 近頃の帝のうわさを聞くにつれ、叩けば埃の十や二十は、出てきそうな感触は十分。勝機は見えたり! 彼女は思った。


 大会前の最終日のように、円陣を組んで、大声で自分の抱負を叫べないのは残念!


 あと、出仕したらできるだけ、『生意気で賢い女アピール』にも励もう! この時代の基本的な『モテ』の必須条件のひとつは、賢さをひけらかさず、漢字が読み書きできないほどの、頼りなさをアピールすることらしい。


 御祖父君が、わたしを勉強地獄に追い込んだのは、どう考えても高級官僚である尚侍ないしのかみの実務を、摂関家の面目が立つくらいに、体裁を整えさせるためのようだったが、この際、丁度いい。


 内裏に出仕している間は、積極的に公務に励み、私生活(そんなものあるのかな?)でも『さかしげで生意気な女』を、普段から全力アピールすれば、時代背景的に、いまは小さい光る君も、このひとだけは、勘弁して下さいって思うだろう。


 刷り込み! いまから自分のことは、嫌な女だと光る君に刷り込んで、同時になるべく、六条御息所ろくじょうのみやすどころのよさを、引き立たせよう!


 本妻を祟り殺すくらい、執念深い彼女のことだから、結婚さえ成立させてしまえば、監禁してでも、光源氏の女遊びを止めるかと思う。


 わたしや周囲の姫君たちの幸せのために、是非とも頑張って欲しい。


 初めからカップル成立がなれば、もし今回の怨霊が、六条御息所ろくじょうのみやすどころのフライングだったとしても、それはそれで、恨みが消えて消滅するだろうし、その頃には帝の弱みも、なにか掴んでいるはず!


 そういえば、母君の同腹の兄妹の夫に、先立たれた未亡人だから、嫁と小姑関係の母君から、引き出せる情報があるかも!


 思い切って、裳着もぎの時に招待してもらえば、面通しできるよね! いつか怨霊の正体が見えた時に、顔を知っていれば本人かどうか確認できるはず!


 そう彼女は思い、固く決意を固めると、ぐっと小さな拳を握りしめていた。

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