第47話 輪舞 5

「まあ、本当に素晴らしい輝きですわ……」

「夜空の星を散りばめたような輝きでございます」


 女房たちは、そんな賛辞を口々にしながら、葵の君の髪を乾かして、くしを入れる。葵の君は、今再び心の中で、前世の友人である花音ちゃんに感謝していた。(くだんの回し蹴りを教えてくれた友達である。)


 自分の仇名あだなは“歩く食事管理アプリ”だったが、花音ちゃんの仇名あだなは、“時空を超えたナチュラリスト”だった。


 そして紫苑との何気ない会話から、その教えを思い出した自分も偉い!


 紫苑が実家に帰る前、彼女の故郷の話をしている時に「“布海苔ふのり”くらいしか名産がない田舎で……」などと、照れながら言うのを聞いて、“布海苔ふのりシャンプー”を思い出したのだ。


 いまの時代では布海苔ふのりは、漆喰しっくいに混ぜる建築資材なので、髪を洗う時に使うと聞いた紫苑は混乱していた。


 そりゃそーだよね、わたしだって、いきなりコンクリートの粉で、髪が洗えるとか言われたら、頭おかしいと思っちゃう!


布海苔ふのり”で髪が洗えることを教えてくれたのも、今日、紫苑にプレゼントした“絹雲母きぬうんも”と呼ばれる“現代の白粉おしろい/ファンデーション”のもとになる鉱物を教えてくれたのも、実は花音ちゃんだった。


 大学の近くで一人暮らしをしていた彼女のワンルームに泊まりに行って、髪を海藻を溶かしたお湯で洗っているのを知った時は、頭の中にワカメでも詰まってるんじゃないかなどと、かなり失礼なことを思っていたが、いまになれば本当に感謝しかない。


 自分は緩めにかけると、肩こりに効く関節技を、頻繁にかけて上げていたけど、全然お礼が足りてないと前世を振り返る。


 彼女がいまここにいれば、どんなに助かるかとも思ったが、このふたつを思い出しただけでも大収穫であった。


 せっかくの休みだというのに、わたしの“布海苔ふのりシャンプー”が気になっていたのか、慌てた顔の紫苑が勢いよく部屋に顔を出すと、綺麗になったわたしの髪を、まるで貴重な毛皮でも撫ぜるかのように触り、いやに神妙な顔つきで櫛を受け取って髪を梳いている。


「どうかしたの?」

「いえ、なんでもないです。本当に艶々ですね……」


 いつの時代も、いや、この平安時代というのは『黒髪、超ウルトラロング&ストレート信仰』とでも言えばいいのだろうか? 髪に対する執着は、そら恐ろしいほどで、湯シャン&米のとぎ汁よりも“布海苔ふのりシャンプー”の絶大な威力は、いつもの如く女房たちから、いつの間にか情報が広がってゆく。


 そして紫苑の実家の特産品、“布海苔ふのり”は、娘が京に帰ってしばらくすると、受領である彼女の父親が首を傾げるほど、ひっきりなしに問い合わせと注文が入った。


 いわゆる“左大臣家姫君の御用達ごようたつ布海苔ふのり”というブランド化の結果であった。


 ちなみに紫苑にプレゼントした“絹白粉きぬおしろい(わたしの命名)/絹雲母きぬうんも白粉おしろい/ファンデーション”を開発するきっかけになったのは、彼女が実家に帰ってすぐに、兄君である蔵人少将くろうどのしょうしょうが、鉛や水銀などの、重金属の入った白粉おしろいを、出仕の決まった妹君へのプレゼントにと買ってきた『穏やかな殺人未遂事件』があったからだ。


 ひょっとしたら、運命に逆らって光源氏との結婚と、それによる死を回避しようとするわたしへの、運命の女神からの贈物だったのかもしれない。


 歴史の授業の中で、昔の白粉おしろいへの、うっすらとした悪い記憶が残っていた葵の君は、必死に脳内を検索し「怨霊じゃなくて兄君に、じわじわと殺されるところだった」と顔をしかめ、重金属の入った白粉おしろいは処分してから、脳をフル稼働させると、出仕前の勉学と並行して、前出の“絹雲母の白粉おしろい”を、なんとか作り出すことに成功し、手に入れていた。


 必要は発明の母。出仕すると、ほぼ毎日、白粉おしろい必須と聞いて、あとがなかった彼女は必死であった。


 絹白粉きぬおしろいを手に入れ、ここ最近、公務が多忙になったせいか、御祖父君の勉強からは、なんとか解放された彼女は、紫苑に髪を梳いてもらいながら、ぼんやりと怒涛の勢いだった最近の生活と、今後を考えた。


 自分が抱えている問題はふたつ。(何気に増えてないか?)


 1.光源氏との結婚阻止

 2.帝と自分に取り憑いているらしい怨霊退治(六条御息所ろくじょうのみやすどころ?)


 もちろん一番の課題は光源氏との結婚阻止だ。


 彼女は、葵の君と自分の視点で見ると、妻を愛人に祟り殺させた挙句、その後も被害者面で、やりたい放題の人生を送っていた光る君を、蛇蝎だかつよりも忌避きひしていた。


『誰が結婚なんてするもんか! こっちが生霊になって取り憑いてやりたい!』


 出仕に際しての勉強地獄は本当につらかった。だがしかし、つらい話ばかりでもない。


 関白に提出した財政健全化をテーマにした、税収のあり方に対する論文、『救済物品税の新規設立と財源の安定的確保』


(簡単にまとめると、貴族や寺社仏閣が主な購入先である贅沢品に、貧民救済に使用目的を限定した税を、新規に設立する法案と運用。)を、大層に気に入ってくれたらしく、なんでも欲しいものを褒美にやろうと言われたので、“絹白粉きぬおしろい/絹雲母きぬうんも白粉おしろい”を、いっそのこと事業として立ち上げるべく、摂関家が保有している“絹雲母きぬうんも”を大量に産出する鉱山をひとつ、自分名義に譲ってもらったのだ。


 ついでにと宇治の別邸ももらった。


 こんなにポンポンもらって、いいのだろうか? とは思ったけど、ここまできたら、もらえるモノは、もらっておこう!


 葵の君は“絹白粉きぬおしろい”と名づけた、新しい白粉おしろいを国内だけではなく、ゆくゆくは干しシイタケのように外貨獲得の手段にした上で、自分の個人の財産を積み上げられるようにと、壮大なプランを立てていた。


 実際、日本で採掘される“絹雲母”は、前世でも高級ブランドが、わざわざ輸入するほどの品質だと聞いた覚えがあったので、勝機は十分にあった上に、重金属に蝕まれる世の女性を助けられたら、との思いもあった。


 壮大なビジネスプランを立てた彼女は、左大臣家の蔵に保管してあった、献上品の“絹雲母きぬうんも”の鉱石を、許しをもらって手に入れ、口の堅いことでは信頼のおける、母君づきの古参の女房、御園命婦みそのみょうぶに、これをどうにかして“きな粉”くらいになめらかにして欲しいという指示を出し、ひとまずサンプルを幾つか用意した。


 人払いをした上、声を潜めて相談する姫君の姿に、尋常ならぬことと認識した命婦みょうぶは、怨霊騒ぎのあったうたげの時と同様に、忠実に秘密裏の使命を果たしてくれた。


 紫苑にプレゼントした“白粉おしろい”は、その内の最後のひとつだった。


 出来上がってすぐ、自分と母君の分を確保して、母君を通して日頃から親交のある元内親王や先帝の血を引く、やんごとなき方々にも暮れのご挨拶と一緒に、“絹白粉きぬおしろい”を、珍しき品が手に入ったのでと配って頂いたが、すぐにもご自分の姫君にも使わせたいと、あり得ないほどの速さで問い合わせが相次いだので、鉱山が欲しいと言う姫君を不思議がっていた御祖父君にも、思い切って“絹白粉きぬおしろい”のサンプルと、それに対する反応を講義の合間に打ち明けた。


 歴代の当主の中で、もっとも傲岸不遜で頭が切れ、政治的権力だけでなく、莫大な財を積み上げることにも成功していた彼は、再び姫君を大いに褒めたたえ、鉱山の早期の採掘規模の拡大と、大規模な製品製造ラインを整える約束もしてくれたのだ。


 桐壺更衣きりつぼのこういの亡き父君に、関白の1/5でも蓄財能力があれば、彼女も彼女の母君も苦労はなかったと思われる。


 女の美に対する執念は、世の古今東西を問わず恐ろしいほどであることと、なぜか白粉おしろいを使う女は、ひと時の美しさと引き換えに、見る見るうちに老いさらばえ、体を壊してゆくのを、彼は長い人生の中で実感していたので、姫君の話に確実な勝機を見いだしていた。


 関白は、鉱山自体は、いまは姫君の山であるのだからと、純利益の半分と採掘権として製品の一部を、毎年配当としてもらえる、破格の条件内容の正式な契約書も用意する。


 やっぱり勉強以外は優しい! その時の葵の君は思った。


 これは自分が老い先短い年寄りであり、大切に育てられた高貴な身分の姫君であっても、なにかしらの事情で、実家からの援助が絶え、悲惨な人生を送る姫君も、この時代には、ままある話であるのと、いままさに国家の屋台骨が揺らぎつつあることを知っている、関白である自分にすら予測できぬ不測の事態が起こった時を想定しての、冷静な判断と、己の掌中の珠である姫君への関白の思いやりであった。


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