第43話 輪舞 1

〈 年末鹿肉をもらった翌日の朝の葵の君 〉


「そういえば最近、気づいたんだけど、いやに漢文とか覚えやすいと思ったら、全部、普通に現代文として読めていることに気がついたの! しかも、自分が書くときは、自動翻訳機能とでもいうように、漢文でも仮名でもサラサラ書けちゃうの!」


 父君の用意してくれた書物の暗記を、コツコツとクリアした葵の君は、あまりにも自然すぎて気づいていなかった、自分にある嬉しい機能の発見と、自分の鈍さに内心驚いていた。


 関白邸についた牛車から降りると、塗箱に入った鹿肉を持った女房をうしろに連れて、肩に“ふーちゃん”をとまらせたまま、禅寺みたいな庭のある関白邸の邸内を歩く。


 広すぎる寝殿造りとはいえ、家の中にこもってばかりの毎日だ。


 隣だけど、全然、おもむきの違う、関白邸に遊びにきた葵の君は、いい気分転換だなぁと思いながら、母屋の昼御座に向かって歩きながら、邸内を見学していた。


 悲劇のはじまりであった。



〈 翌年、正月八日/女叙位の日/左大臣邸 〉


 正月の行事を終え、関白と左大臣が、内裏で女叙位の行事に出席している頃、遂に燃え尽き症候群になった葵の君は、今日は、なにもしないと宣言し、自分の布団の中で丸くなっていた。


“ふーちゃん”はフカフカの枕の横で、ちゅんちゅんと小鳥らしく振舞いつつ、不思議そうに葵の君を見つめている。


『スパルタって、日本にあったっけ?! スパルタ教育って、日本が発祥だっけ?!』


 葵の君は、そんな頭の悪いことを、天井を見上げながら考えていた。


 彼女は鹿肉を持って関白邸に行った年末から昨日まで、関白自身や、彼に手配されてやってきた博士たちによる怒涛の勉強地獄に、疲れ果てていたのであった。


 布団に寝転がりながら回想を始める。


 受験勉強……いや違う。大学に入ってからの、一年分の中間レポートと期末レポート、なんならそれに付随するテストまでをギュッと煮詰めて、まとめて無理やり一気にやり遂げたような(しかも、正月行事に周りは、それなりに華やいでるんですよ?)生活を送っていたのだ。


 ほんと、体力つけたあとでよかった!


『知恵熱が出ればいいのに!』


 葵の君は崇高ともいえる、決意と使命感もどこへやら、時々そんなことを思いながら、風の強い日も、雪の降り積もる日も、ひたすら一日の半分以上、関白が差し向けた、あるいは関白自身との講義や、課題(レポート)提出に追われていた。


 特に御祖父君の課題はやっかいで、資料も自分の仕上げた課題資料すら、誰にも見せぬようにとのことだったので、彼女は体力作り以外にも、日がな一日、御堂おどうにこもる日が多くなっていた。


『何回、御堂おどうで徹夜したわたし?!』


 ちなみに父君は、たまに母屋では顔を合わすが、御堂おどうにはこなかった。まあ、家に帰ってまで、仕事の続きみたいなことしたくないか……。


 個室が欲しいとは思っていたが、まさか御堂おどうに缶詰めになるのは予想外だった!


 わたしはイワシかなにかの缶詰なの?! もう栄養バランスとか、どうでもいいから、チーズたっぷりのピザが食べたい!!


 よせばいいのに、根が真面目なので、ちゃんとことの稽古も、体を鍛えることもやめず、毎日が限界を超えるような、一杯一杯の日々が続いていた。


『誰か助けて!』


 彼女は毎日そう思っていたが、あいにく誰も助けてはくれなかった。


 可哀そうに思った母君が、蘇の蜂蜜がけとプリンを、ふたつに増やして、食事につけ足してくれたくらいである。


 彼女は博士たちの一般教養に加え、いわゆるまつりごとに携わる、実務レベルの関白の講義と課題の提出ノルマという、正直なところ、なんの面白味のない、実に重く地味な毎日を送っていたのであった。


 ああああ~~~!


 御祖父君が厳しい! 超厳しい!! 遊びに行っていた時は、出会った頃は、あんなに優しかったのに!


 まあ、そうか、仕事だもんね。しかも『摂関家』の金看板を背負って出仕するんだもんね!!


 怨霊対策という内実はともかく、自分は内裏(宮殿)の舞踏会にドレスを着て、王子様とダンスを踊りに行くんじゃないんだ。


 高位官僚として、執政官のひとりとして、住み込みで働きに行くのだ。なんにも知りませ――ん! という訳にはいかないんだろう。


『ノブレス・オブリージュ/Noblesse Oblige(高貴なる者の義務)』


 自分には無縁の世界だと思っていたけど、いまや自分は『国で一、二を争うほどのお姫様な上に、平安の世には珍しい、女性高級官僚』になっていた。


 王子様と結ばれたら、不幸な早死にが待っている以上、怨霊からの避難の一環とはいえ、いっそのこと、実務能力を見せつけた方がよいのか? そういうことなのか?


 中世のヨーロッパ風に言えば、皇帝の娘=帝の内親王(母君)とすれば、自分は皇国で唯一無二の公爵家の姫君なんですよね――。そりゃ、高貴な義務も発生しますわ!


 心の中で涙ぐみながら、葵の君は、あの小さな本物の葵の君が、どれほどのプレッシャーを抱えていたのか、更に深く同情していた。


 財政の立て直しとか、国の穀倉庫のやりくりとか、ほんと地味でえない話ばっかりだ。


 前世で算盤そろばん教室に通っていたのは、神様の思いやりだったのかも知れない。武道派女子で暗算ガールでもあった自分の暗算能力は、カロリー計算以外にも、所領の生産物量の計算などにも、大いに役立っていた。


『まだ算盤そろばんないんですよ!』


 絶対に算盤そろばんは作ってもらおう。暗算は自信あるけど、検算が面倒くさいし、間違いが多すぎる……。


 なに考えてるんだよ、この御空みそら地方の受領!! 産出物を確認がてら、提出されている資料を、ちらっと見ただけだけど、前とうしろ以外、全然、数字があってないじゃん!


 葵の君は顔も知らない、いい加減な一地方の受領に、脳内で回し蹴りを入れた。


 そういえば、世界史で習った有名なハプスブルク家の女帝『マリア=テレジア』の夫、神聖ローマ帝国皇帝フランツ一世も、財政的な面でいえばオーストリアを救ったともいえる、世界有数の辣腕の財務に関する才能の持ち主だったのに、一生涯を女帝の地味な添え物扱いだった悲劇を思い出す……。


 どこの世界に転生しても、こういう苦労ばっかりで報われない、地味で大切な話は、実は潜んでいるんだろうなと思う。


 いま、西暦で言えば、どれくらいなんだろう? そもそも、この源氏物語の世界に、世界軸があるとしてだけど。地球は丸いっていったら、やっぱり寺に入れられるんだろうか?


 神聖ローマ帝国の皇帝って、七人の選帝侯が投票していた訳だけど、わたしがいまいる源氏物語、なんちゃって平安時代の摂関家に置き換えてみると、その七つに分散された権利を、ほぼひとつの家で独占している……恐ろしいほどの権力やね。


“汝幸いなる摂関家よ……”


 頭の中をハプスブルク家の有名な諺? をもじった台詞せりふが通り過ぎた。光源氏を回避しても、わたしもそのうち誰かとの政略結婚的な縁談が、持ち込まれるんだろうか?


 無理過ぎる相手だったら、出家してしまおうか? 摂関家が後援している大きな寺もあるみたいだし。特に女子なんて坊主にする訳でもないし、バーチャル出家風味が満載だ。(前世のわたしより髪も長いし。)


 葵の君は、そんなことを、つらつら考えながら、ゴローンと借り物らしい巻物を御堂おどうの中に転がす。


 これはいま、ふと考えていた貴族の主な出家先である『官僧』に関する資料だ。


 官僧というのは、帝が定めた国家的な行事に関わる、公務員的な僧侶たちで、国からの手厚すぎる保護を受けているらしい。


 こんなに数がいるんだろうか? それに資料からして官僧の世界は“第二の宮中/内裏”にしか見えない。出家前の俗世間であるはずの血筋や家柄が幅をきかせた世界になっている。


 なんだこの俗世にしか見えない僧侶の世界? 存在の意味が分からない。しかも非課税!


 葵の君はそう思いながら、巻物を巻きなおして、葛籠つづらにしまった。

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