第29話 Letter 1

「へっ? 尚侍ないしのかみ?」


 そんな大人たちの騒ぎをよそに、すっかり疲れて眠っていた葵の君が目を覚まし、自分の運命が大きく変わっていることに気づいたのは、その日の昼過ぎであった。


『ウソデショ?』


「わたくしも姫君の出仕に、ご一緒するんですよ! 裳着もぎもして! 十二単じゅうにひとえ着て!」


 あまりのことに、これは夢だと布団にもう一度、潜り込もうとするのを止めたのは、先に起きて女房たちのうわさ話を、耳に挟んでいた紫苑であった。


「そ、そうなの?」

「そうなんですよ! でも、お妃じゃなくって、本当に少しの間、内裏でのお勤めらしいですよ! 行儀見習い的な! 結構その内らしいですよ!」

「そ、そう……」


『なんでやねん!』


 葵の君は、自分が望んだこととはいえ、急激に変化し続ける運命に、いささかぐったりするが、紫苑の子供らしい能天気さに助けられると思い、あきらめて布団から出ることにした。


 驚いたことに、昨夜の怨霊騒ぎを、紫苑をはじめとした女房たちは、すっかり忘れている。


 人間のメンタルの防衛本能のなせるわざ? 陰陽師おんみょうじの仕業?

 しかし結構その内って、なんにもはっきりしないなぁ。


 とりあえず『光源氏』との遭遇からは、逃げられない運命のようである。うーん、このっ!!


 遅い朝食のあとに、昨日の疲れで、さすがに一日中ゴロゴロし、夕餉のあとに、お風呂に入って髪を乾かしてもらっていると、顔をのぞかせた母君に、中務卿なかつかさきょうにお礼の手紙を書くようにうながされた。


 それはそうですよね。命の恩人には、ちゃんとお礼しないと……電話もSNSもないので、最速の連絡方法は『ふみ』、つまり手紙なのだ。


“のろし”とかあるのかもしれないけれど、それは把握していない。


 自分が暮らす東の対には、夜は陰陽師おんみょうじが警備に来てくれているから安心するようにと、こっそり母君が耳打ちしてから、風呂殿に向かうのを見送る。


 陰陽師おんみょうじのエリート集団だって! かっこいいよね! なにかの特殊部隊みたい! 六人の魔法使い?


 葵の君は、とりあえず、お手紙を書こうと螺鈿細工らでんざいくの葵の花の模様が施されている、自分用の少し小ぶりな文机の前に座り、用意してもらった料紙から種類や色を選ぶと、硯箱から筆を取り出して、少し首を傾げ考える。


 歌はお嫌いなので、普通の手紙でよいと言われたのだが、人の手を介する以上、守秘義務的に、怨霊のことは触れぬ方が、いいだろうとも思う。


 難しいなぁ。


『寒さ厳しい季節ですが、いかがお過ごしでしょうか……』


 しまった! また、なにかの礼状みたいになってる!


 葵の君は何枚か書きなおし、悩み過ぎて料紙りょうしで鶴を折ってみたりもする。


 そして閃いた。今日も来ているらしい『真白ましろ陰陽師おんみょうじ』の誰かに渡せば、そんなに気を遣わなくても、大丈夫じゃない? 


 そう思いつき、一生懸命に筆を走らせはじめてから気づく。


「あ、そうか、昨日の陰陽師おんみょうじの人が来てくれるとは限らない」


 念のために名前を聞き損ねた、もうひとりの命の恩人にも、お礼の手紙を書いた。


 慣れないながらも、なんとか外づけHDの記憶を頼りに、筆を走らせること数刻、やっと手紙を書きあげる。気づけば夜もすっかり更けていた。


 筆を持ったのは、高校の書道の授業以来だ。元の姫君が英才教育で、本当によかった!!


 ため息をついてから、ここが迷信と本物の呪いが入り混じった『源氏物語』の世界の中なのだと、葵の君は改めてぞっとする。


 これはインチキ占いも、ついウッカリ信じてしまう環境だ!! いつか浄水器とか、壺とか買わされそう……気をつけなくちゃ!!


「もうすぐ大晦日……あっという間に今年も終わり……早い……寒い…………」


 そして夜中、独り言を小声で呟きながら、みんなが寝静まっているのを確かめて、燭台しょくだいを手に、几帳きちょう屏風びょうぶで囲まれた一角を通りすぎる。


 床の冷たさにビックリするが、誰もいない表側の簀子すのこ燈籠とうろうの灯りを頼りに歩きながら、そのあたりに居るはずの『真白ましろ陰陽師おんみょうじ』を探してみる。


 遠く、大通りに面する門の近くの篝火かがりびに、ユラユラと警備のためのさむらいたちの影が見えるが、東の対は陰陽師おんみょうじか結界を張ってくれているせいか、わざと人気ひとけを少なくしているようで、いつもより静かなくらいだ。


 母君によると陰陽師おんみょうじは、関係者以外が通ると、相手を吹き飛ばす“なにか”も用意して、庭に埋めてくれたらしい。


 なにその高性能な地雷?!


 いつもはどこかから聞こえる、うわさ話をする女房たちの小さな声も聞こえない。覚えていないみたいだけど、怨霊騒ぎでみんなは疲れているんだなと思った。


 自分は姫だから、ゆっくりしていたけれど、女房たちは仕事してたもんね。


 そんなことを、つらつらと考えながら歩いていると、意外にもすぐに“六”が驚いた顔をして現れた。


 いきなり姫君が簀子すのこに出てくれば、まあビックリもするか!


 とりあえず、紫苑がつぼね(部屋)として使っている、建物の裏側に面した孫廂まごびさしの角に移動することにした。


 本来なら角地の両側にも女房のつぼねがあるのだけれど、紫苑のつぼねの両サイドのふすまと障子の向こう側の空間は、ぽっかり開いているだけなので、個室に近くて好都合だった。


 通路をパーテーションっぽく区切って部屋にするって、どこまでも体育館仕様だなぁ。孫廂まごびさし簀子すのこの間に格子が入っているので、ここまでが部屋の中っぽいよね。


 実は、葵の君は紫苑のつぼねを、密かな隠れ家にしている。


 紫苑は一度眠ると、朝まで絶対に起きないのだ。いつもわたしが上げた果物(菓子じゃない方)を嬉しそうに食べたあと、話をしていると彼女はいつの間にか眠りにつく。


 さすが本物の子供、夜には弱いようだった。


 たまに、ここの高欄(手すり)にもたれながら現代とは違う、くっきりと美しい星空をボンヤリとながめていたりもする。


 部屋の中にある燈台とうだいに、小さな灯りがついているが、昨日は遅くまで起きていたからか、今日の紫苑はもうすっかり夢の中。


 いまの生活は豪華絢爛だけど、プライベートスペースがほぼないという点では、本当につらい。現代人だった自分には息がつまる。


 来年の裳着もぎのお祝いに、塗籠ぬりごめをくれないだろうか? 怨霊も光源氏も怖いけど、プライバシーほぼなしもつらい。


 色々と考えが飛んで、遠い目になっていた葵の君だったが、現れた陰陽師おんみょうじが、見知った昨日の陰陽師おんみょうじだったことに内心ほっとしながら、うしろについてきたものの、部屋の外で控えている彼を中に手招きする。


 つぼねには小さな灯りが灯る燭台しょくだいと、隅で布団に丸まって眠りについている紫苑。


 さっきは驚いていた陰陽師おんみょうじは、昨日と同じように無表情な顔に戻っていたけれど、まったく知らない人より、よほど気が楽だ。なによりも命の恩人、自然と笑みもこぼれる。


「寒くはございませんか?」


“六”は眠る女童めわらを気遣って、姫君に小さく声をかけた。チラリと目に入った姫君の装いは、先日の正装ではなく、簡単な小袖こそではかま。それと綿の入ったうちぎを一枚、軽く羽織っただけの、いわば『部屋着』だった。


 室内とはいえ、火鉢の火も消えたつぼねの寒さには、華奢きゃしゃで小さな姫君は耐えられそうな雰囲気がしない。


「大丈夫です」


 葵の君は小さく返事をする。だって、前世の合氣道の真冬の演武大会の時なんか、道着と袴一枚で床板の上ですし、今日は綿がふかふかの布団みたいなうちぎを着てるし!!


 陰陽師おんみょうじにニッコリ笑って答えながら、前世と違っていまは背中に貼るカイロないけどね、と心の中でつけ加えた。


 わたしは、いまは甘やかされているけれど、実は結構、我慢のできる女なのだ。


 顔を上げるのは、失礼だと思っているのだろう。うつむいたまま話す、見知った、けれど名前すら知らない陰陽師おんみょうじに、顔を上げるように再び小さな声をかけた。


 隅っこで寝言を言いながら寝ている紫苑は、まあ、絶対に起きないだろうけど。


「顔を上げて下さい。わたくしの顔はもう昨日、見ているのではないですか?」


“六”はそう言われ、ゆるゆると顔を上げる。幼くも美しい姫君の煌めく黒蒼玉ブラック・サファイアのような瞳の中に、いたずらっぽい光がきらめくのを見て苦笑した。


 相変わらず自分の“白い”容姿に対する恐れはない。


 昨日の今日で、さすがに少し顔色が悪く疲れたご様子だが、今日も姫君の魂は虹色の美しい光が、後光のように差している。


 ややもすると、心眼でしか見えぬ虹色の光に、うっすらと人影が見える気もしたが、まぶしさゆえに、中務卿なかつかさきょうが見た『天香桂花てんこうけいかの君』を、彼はうっすらとした人影にしか、いまのところは判別ができなかった。



『本編とまったく関係のない小話/紫苑』


 姫君と話をしながら、つい寝てしまう紫苑。隅っこに丸めてある布団を持ち出して、かけてあげる葵の君。

葵「かーわいい!」よしよししてから、遠くの篝火で照らされた庭とか、美しい星空とか見ている。

紫「……唐菓子! 蜂蜜! 唐菓子! 菓子! ぜんぶ菓子! わたしの菓子!」

葵「本当に寝てるのかなぁ……」凄く寝言がうるさいので、見習いだけど、結構上等な孤立した角地の部屋? に住んでいるのでした。

女房たちにも、いい子なんだけど、あの子が隣だと一晩中眠れなくて……とか言われてる。



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