第13話 近づく光と影 1

 豪華で巨大なサッカースタジアム……。


 転生したての『葵の君』に、そんな感想を持たれた、寝殿造りの左大臣のやかたは、京に立ち並ぶ貴族のやかたの中でも一際に巨大で、母屋である北の対と寝殿、東西の対からなる、広さ二町にも及ぶ、壮麗な大邸宅であった。


 大体でいうと、サッカースタジアム2個分の、庭つき、池つき、倉庫つき、個室ほぼなし! のやかたである。


 普通の貴族のやかたは、スタジアム一個分の一町なので、実に倍の広さだ。


 葵の君が目を覚ましたときに、喜びにあふれ、涙ながらに駆けつけた母君は、離れた母屋の北の対から東の対まで、生まれて初めての急ぎ足で駆けつけた結果、すっかり体力的に参ってしまい、そのまま数日間寝込んでいたのも、無理はなかった。


 葵の君は、自分も横になったままであったが、本当に申し訳なかった。


 現在、母君は、そのまま同じ東の対で、つまりわたしのそばで体力を回復しつつ、家政やうたげの準備を女房たちに指示しながら、お暮しになっている。


 倒れるのも当然だよね。おしとやかな本物のお姫様(母君だけどまだ二十代だし、どう見ても美しい母君じゃなくて美しいお姫様!!)が、十二単じゅうにひとえで、精一杯の全力疾走をしてくれたんだもの。疲労困憊するよね……20㎏だもの!


 葵の君はひとり、感慨深くうなずいていた。


 今日も今日とて、自分の回復を祝ううたげの準備のために、朝早くから各地からやってきた牛車や馬、荷車の行きかう騒ぎが、東の対まで聞こえる。


 葵の君が回復して以来、母君が姫君のためにと、様々な物を取り寄せたり、うたげの準備や、母家と寝殿の模様替えの指示をしだしたりと、左大臣を初め蔵人少将くろうどのしょうしょう、女房以下、使用人たちは屋敷中を右往左往。


 左大臣家は、帝の妹宮にあたる女三宮おんなさんのみやであった、母君がご降嫁されて以来の大騒ぎだった。まあ、葵の君である自分の我儘も、母君を通して、かなり聞いてもらってるんだけど。


 さすが、摂関家の嫡流、天下の左大臣家!!


 全国津々浦々の左大臣家の受領(左大臣家の広大な私的荘園の管理人)も、母君の指示ひとつで、夜を徹して京の都に『姫君平癒の祝い』として、頼まれた品々を持って、駆けつけているらしい。


『お手数をおかけしています!!』


 葵の君は御簾みす越しに、騒がしい方角に向いて合掌がっしょうした。


「まあまあ、姫君が拝んでいらっしゃる。なんと愛らしいことでしょう」


 三条の大宮は、そう女房に声をかけられて、視線を姫君のいる方向に向け、手を合わせている姿に目を細めた。


 身分高き姫君(自分も含めて)は、親が慎重に育てねば、教育がゆき届いたとて、なにかとおごり高ぶった、ややもすれば高慢で見苦しいところが無意識に出るもの。


 弘徽殿女御こきでんのにょうごなど、隠しもしていないのは、大宮をはじめ、すべての殿上人が知っている。能ある鷹は爪を隠すと言うが、彼女は有能で多才なれど、爪痕をえぐり残すくらいの勢いがあった。


 が、幼い葵の君は、どうやら自分のために、周囲が大騒ぎになっていることに気がついて、密かに感謝している様子だ。


 共にいる女童めわらの紫苑も、見よう見まねで一緒におがんでいる。その姿は、さながら一幅いっぷくの絵であった。


「薬師如来は災難を鎮め、今生に生きる者の病を治し、苦しみから救う御仏。きっと御仏は姫君を救われただけでなく、今再び姫君を、ご自分の化身として、今生へつかわされたのやも知れませぬ……」


 宮中より大宮についてきた古参の女房が、大宮の横で感動のあまり、あふれてきた涙を、十二単じゅうにひとえの袖でおさえ、言葉を詰まらせながらそう述べる。


 我が人生をかけて、お仕えしている大宮の幼き日と、瓜ふたつの神々しさ。女房は内心そう思っていた。


「………」


 大宮は女房の長々とした昔話に、また始まったと苦笑したが、目の前の美しい景色には、ただただ瞳を潤ませているばかりであった。


 思い込みとは恐ろしいものである。


 *


〈 後書き 〉


 いまのところ、大宮は東の対で姫君と生活していますが、正妻が、よく『北の方』と呼ばれるのは、寝殿造しんでんづくりのやかたに住んでいる公卿や貴族の正妻のほとんどが、北の対に住んでいたからだそうです。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る