第12話 葵の君覚醒『食事療法と方便』

『全部とりかえて!!』


 元、大学一回生(一年生)の十九歳、合氣道部所属、あだ名は“歩く食事管理アプリ”だった、現在九歳の左大臣家の姫君『葵の君』は、運ばれてきた超豪華な食事を初めて見たとき、不相応にもそう叫びたくなった。


 宮中育ちの母君が好む、長期保存&豪華でえることに全振りされた食事は一日二回。しかも母君は見かけによらず、朝も夜と同じような豪勢な食生活をしていた。なかなかの量である。二回で十分である。(普通、朝は、粥になにかしら少々……そんな感じらしい。)


『スマホがあればSNSで拡散したい!』


 しかしながら、そんな美しい食事の並ぶ沢山の膳と、盛りつけだったのにも関わらず、見栄えに全振りされているせいか、時代の食糧事情のせいなのか、栄養バランスは、なきにひとしかった。


『ひょっとして祟りは別にして、これも早死にの一因じゃあ……?』


 葵の君が、美しい食事に抱いたのは、悲しいかな、そんな残念すぎる感想だけだったけれど。


 たたりの件は、あとでゆっくり考えよう。なにせ前世であった現代には、たたりや呪いなどは、存在しないのが通説だ。


 わたしも頭から信じていなかったし。でも実際にたたられてしまうんだよね、どうしたらいいんだろう?


 沢山並んだ美しいうるし塗りに、螺鈿細工らでんざいくの施された『台盤だいばん/お膳のような物』の上には、庶民がほとんど口にできない白米が、山に似たドーム状に高々とそびえるように盛り上げられ、その山の頂上には真っすぐ上から箸が直角に突き刺さっている。


 一瞬ドン引いたが、脳内の外づけHDを検索し、そう言えば、時代的には正式な作法だったと、気を取り直し、とりあえず白米ではなく、次回から雑穀米を食べたいと葵の君は言った。


 むしろ貴族以外には、そっちの方がメジャーなはずだ。簡単に手に入るだろう。


 が、しかし、「姫君の食べるものではありません!」と、珍しくまなじりを上げた母君に、即座に提案は却下され(如来様より姫のプライドなのか?)再び今度は、大学生だった頃の “歩く食事管理アプリ”の方の脳内を検索する。


「では、小豆あずきご飯は、どうでしょうか?」


『素人は小豆あずきと生糸には手を出すな』


 遠い未来で、そしてわたしには歴史の中の相場師(投資家)に、そう言われたほど、生産が天候に左右されやすかった貴重な『小豆あずき』は、母君にとっても“姫君”が口にするに品だったようで、今度はすんなり納得していただけた。


 そんなこんなで、翌日から白米は、ビタミン、ミネラル、植物繊維たっぷりの『小豆あずきご飯』に変更してもらっている。


 今朝も小豆あずきが特盛のお赤飯がおいしい。(昔話に出てくるような、ご飯の山の高さは半分に標高を下げてもらった。多過ぎる。)


 箸が突き立っているのは、もういいや。副菜(おかず)に関しては、醤油と出汁だしが存在しないことに再び驚いたが。学校で習っただろう? そうだっけ? すっかり忘れてた。


 鰹節かつおぶしの元? みたいな汁があって、数種類の蒸した野菜には、塩や酢、味噌、鰹出汁風かつおだしふうの汁をかけて食べる方式です。


『が、母君、塩が、塩が多いです……』


 圧倒的にタンパク質が不足&塩分過多、そして大人は糖分も過多。


 なぜならば一度、父君が飲んでいたにごり酒を、興味本位で、なめるほどに口にすると、糖度が35%は越えている気配がした。


(果物で言うと、柿の糖度は18%くらいです。凄いですね!)


 この世界で無事、大人になって生き延びることができても禁酒しておこう。糖分は果物(菓子)だけで十分です。


 ビタミン不足も、この大盛の白米が示す通り、圧倒的にB1がない。このままでは糖尿病と脚気かっけになってしまう!


 実際、平安時代の貴族は糖尿病が多かったはず……。このあたりは、物語の中だから、平気なのかどうか分からないけれど、用心するに越したことはない。呪いを回避しても、体を壊しては元も子もなくなる!


『魚の塩焼き、鳥の塩焼き、魚の昆布巻き、蒸し野菜の塩がけ、梅干し、塩漬けのなんか数種類、たき物、梅干し、かまぼこ、そして果物(菓子)』


 しかも、母君はソレに、更に塩をかけていた。母君の膳は、まるで北の大地に広がる雪原のよう……。(北海道に行ったことないけど)


 ああそう言えば、味噌にも塩入っているよね?


 仏教が流行はやっているせいで、ガチの意識高い系である貴族は、精進料理、精進潔斎の日々らしい。


 葵の君に転生したわたしは、宗教に特にこれといった深いこだわりはない、典型的な現代人だけど、これじゃあ葵の君が干からびる訳だよ。


 そう思った。


 そして、わたしは前世ビーガンではなかったので、ベジタブルオンリーの食生活の組み立てには、いまひとつ自信がない。


 豆腐は紫苑に聞いても知らないようで、まだ存在していないようだ。味噌があるから大豆は存在する。積極的に食べないといけない。


 動物性たんぱく質を取れるだけ、よしとするかと思った。


 娘が心配で、精進潔斎していただけだった、割と『エア仏教信者』な母君は、姫君に『薬師如来の御告げ』があったのだからと、最近では精進関係を、まったく気にしなくなっている。


 ちょっとドキドキする。


 副菜は、野菜は多め、大豆は限りなく多用し、塩は限界まで控えめに、と、お願いした。


 しかし出汁だしも醤油もない時代、味つけは塩か酢くらいしか、頼りにならないので、葵の君の食生活は、ひたすら食材の味、もしくは、それに酢をかけるだけの、ストイックな生活には違いなかった。


『醤油も出汁だしも入っていない、お吸い物をご想像ください……』


 台盤所だいばんどころが、姫君の無理な要求に、試行錯誤の苦労の末、新しい味つけや調理方法を考案するのは、まだ先のことであった。


 そんなこんなで、満点とはいかないが、かなり改善された食生活、けれど薄味を通り越した、減塩生活を送ることで、悲しいながらも体は内側の健康を、じょじょに取り返してゆく。


 育ち盛り、いまから頑張れば、効果が期待できる!


 葵の君は、半分やけっぱちになりながら、酢をかけただけの蒸しかぶらを口に放り入れて、しっかりと噛みしめた。


 せめて干しシイタケとかないのかなぁ……まあ、キノコは見分けるのが、かなり難しいっていうし……。


 実は少しはあるのだが、そのほとんどは唐への貴重な輸出品となっていたので、葵の君は現在、気づいていなかった。


 間食の果物(菓子)は、基本的には木になる果実以外は、唐菓子からかしと呼ばれる米粉や小麦粉を揚げたものではなく、(チーズ)に、蜂蜜をかけたものに変えてもらう。


 ちょっと生キャラメルみたいな触感もしつつ、ピザの蜂蜜がけを思い出すような一品で嬉しかった。(ピザ生地ないけど。)おいしい! 現在の葵の君の大好物である。


 蜂蜜はビタミンCやビタミンB1、B2、アミノ酸、ありとあらゆる栄養が含まれ、最早、この時代においては、万能薬ともいえるだろう。


 また、『源氏物語』をうろ覚えな葵の君は知らなかったが、蜂蜜は『源氏物語』にも出てくる、香合せの『香』の材料にも使われ、蔵人少将くろうどのしょうしょうである京中の姫君のアイドル、兄君は、乾燥させて粉にして持っていた。


 蜂蜜酒ミードもできるはずだが、残念ながら葵の君は蜂蜜酒ミードの知識はあれど、製造方法は覚えていなかったので、誰か父君や母君用に作ってくれないかなぁと、ぼんやりと思いながら、今日も(チーズ)の蜂蜜がけを楽しみに、おやつの時間を待っている。


 チーズはタンパク質、カルシウム、脂質、ビタミンA、B2などなど、栄養素の多くがバランスよく含まれている。


 蘇は現代のチーズとは、厳密には違うだろうけれど、十分だと葵の君は思った。莫大な量の牛乳を使うらしく、かなり入手困難な品のようで、お願いするのに気が引けたが、健康には変えられない。


 これも母君に頼んで、手に入れてもらっていた。苦学生だった頃と比べれば、なんという贅沢な生活だろう!! しかし、衣服の豪華さよりも、豊かな食生活!! 前世、お洒落にあまり興味がなかった葵の君は、強く思っていた。


 そんなある日、葵の君は小さな壺に、蜂蜜を入れて手元に確保していた。現代で持っていたハチミツリップの代わりに、くちびるに塗ることを、思いついたのである。


 やがてひび割れたくちびるは、ぷっくりとした子供らしい本来の艶を取り戻してゆき、それに気づいた母君まで、唇に蜂蜜を塗るようになっていた。


 わたしが塩を減らし続けているのを見て、自分だけ食べにくいのか、仏様の思し召しと、自分や家族もそろって頑張ろうと思いついたのか、わたしほどに極端ではないが、家中の食事を母君は減塩し、ご飯も毎日、小豆あずきご飯になっていた。


 いつ脳溢血になるか、糖尿病になるかと、いろいろ怖かったので、よかったよかった。


 使用人の人たちは、もともと雑穀米だし、結構、体も動かしているので、塩分も多分、大丈夫だろう。


 母君に至っては、ただでさえ美人だったのに、ますます輝いてきた最近ですよ! お顔がまぶしい!


 実はこの時代、本来、食にこだわるのは下品で、あまり食べない方が、よしとされている。


 なんなら、なにかといえば、「ご飯食べられない……」なーんて言ってる方が、はかなくて上品みたいな雰囲気で、貴族のご婦人や姫君の大切なアピールポイントのようです。


かすみでも食っとけ!』


 葵の君は、そう内心思いながら、念仏のように『薬師如来様の御告げ』を繰り返して、周囲を納得させ続けたのである。


 そんなある日、兄君、蔵人少将くろうどのしょうしょうの友人の公達きんだちが、方違かたたがえで、西の対にやってきていた。


 最近、蔵人少将くろうどのしょうしょうは、実家の用事が忙しいとの口実で、西の対の自分の部屋に寝泊まりしているからだ。(もちろん、葵の君は友人には会っていない。)


 楽しく夜更けまで語り合い、少将しょうしょうが、酒の肴に蘇の蜂蜜がけを出すと、彼はソレを大層気に入っていた。


 少将の妹君が、これを薬として食していると聞いた彼は、貴重な品であるが、最近、病に伏せがちの、自分の母君にも是非にと、どうにか手に入れる算段をつける。


 食生活の改善というのは、抗生物質ではないので、そう早く効き目が出るものでもない。


 が、瀕死の左大臣家の尊き姫君が、薬師如来様の御告げを受けたという、いわゆる“プラシーボ効果”が最大限、発揮されたのであろう。


 公達きんだちの母君は、メキメキと体調を持ちなおすと『蘇の蜂蜜がけ』の効果を親しき妹君への手紙に書きしるす。


 そして、それを知った妹君の女房が……というように、それは第二の『布団製作大流行事件』といった旋風を巻き起こし、ただでさえ供給量の少ない蘇や蜂蜜を求めて、京中の貴族たちは右往左往することになったのであった。


 もちろんのことであるが、葵の君はそんな騒ぎは知らない。


『閑話休題』


 *


〈 後書き 〉


 ※三条の大宮のことを、葵の君に『母宮』と呼ばせるか、『母君』と呼ばせるか、迷ったのですが、母君で書いております。


『葵の君が生まれたころの三条の大宮小話』


三「可愛い……毎日、毎日、前の日よりも愛おしい……」


~ 時はあっという間に流れる ~


葵「……ははぎみ……」初めて喋ったひと言。

三「そうですよ! ははぎみです、ははぎみ、ははぎみ……」

横で感動のあまり泣いてる左大臣。



『陰陽寮小話』(史実とは、かすりもしていません。)


 ・陰陽寮(内務省所属)からの帰り道、いつもはガラガラの、典薬寮てんやくりょうのアンテナショップ前にできた列を見つけた六の同僚“弐”。


 宮内省に属する医療・調薬を担当する典薬寮は、最近の大幅な予算の削減で、なんとか研究に回す副収入を増やそうと、貴族相手のアンテナショップを開いている。


弐「???」とりあえず並んでみる。

六「で?」

弐「蜂蜜と蘇の限定セットが、特別お試し価格で販売されていた」最後のひとつだったので、つい買ってしまった。

壱から六の全員「コレ、本当に蘇……?」

参「おいしいけれど、どうかなぁ?」貴重な品なので、誰も口にしたことが、なかったのでした。

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