第7話 とある公卿と陰陽師 1

〈 場所は変わって、内裏だいりを取り巻く大内裏だいだいりの中にある中務省なかつかさしょう・時系列は元に戻り、葵が“葵の君”として、平安の世に現れて数週間後 〉


 中務省なかつかさしょうは平安時代の律令制(※中央集権的な統治制度)における八省はっしょうのひとつで、帝の補佐、詔勅しょうちょく宣下せんげ叙位じょいなど、朝廷に関する重要な職務の全般を多岐に渡ってになっていたために、八省はっしょうの中では、最も大規模で重要な省とされ、陰陽寮おんみょうりょうもその管轄のひとつであった。


「誰か、陰陽寮おんみょうりょうに使いをやって、“六”の陰陽師を呼んでくれ……」


 中務省なかつかさしょうのトップとして、今日の朝議(会議)に出席していた、中務卿なかつかさきょうは、自分の曹司ぞうし(部屋)に戻ると、小舎人ことねり(雑用係)に、わずかに疲労感をのせた低い声をかける。


 礼儀正しく平伏した小舎人ことねりが姿を消すと、ふところから出した唐紙からかみに浮かぶ、しごく上品な筆のあとに目を落とす。


 手にした唐紙からかみの手紙への、うやうやしさとは正反対に、朝議から引きとった書簡は、文机ふづくえに、どさりと投げ打ってある。


 料紙りょうしを冬の弱い日の光にかざすと、美しい透かし模様が浮かび上がり、焚きしめられた上品な優しいこうかおりは、苛立った心がいやされるようであった。


 中務卿なかつかさきょうは先帝の皇子であったが、母は更衣こういであり『みなもと』の姓をたまわり臣下にくだった存在である。


 ぶっちゃけると、あまりにも多い皇子は国庫を窮迫ひっぱくさせるので、皇位継承者である東宮や、主だった控え要員の数名の皇子を親王に残し、残りは臣下におりるのだ。彼は親王にもなれない“無品親王”という存在であった。


 尊い血筋ながらも、恵まれぬ境遇におちいる元皇子も多くいる中、口にできぬほどの苦労や、紆余曲折はあったが、今現在の彼は、おのれの境遇にしては、破格の中務卿なかつかさきょうとしての地位に就き、内廷や他の重要な省の公卿たちの信頼も厚い人物である。


 幼い頃から大胆な人柄で、優雅を尊ぶこの時代には珍しく、和歌や書の才能もさることながら、もっぱら狩りを好み、幼き頃より特に求められぬ、ともすれば貴族には忌避きひされる武芸にもひいでていた。


 まだ先帝の時代、後宮で火災が発生した折には、誰もが引き留めようとする中で、池の水にざぶりとつかり、女三宮おんなさんのみやであった、現在の左大臣の正室、三条さんじょう大宮おおみやを、立ち込める煙と炎を、かいくぐって助け出したこともある。


 その結果、彼の首筋から右の腕には、火傷やけどあとが、蛇のようにぐるりと残り、申し分ない身分なれど、ことさら外見を重要視するこの時代ゆえ、いまだにひとり身であった。(本人は気楽でよいと、もはや達観している。)


 同じ先帝の子とはいえ、母の身分の違いもあり、女三宮おんなさんのみやとは限りなく薄い関係であったが、この事件の縁もあって、女三宮おんなさんのみやは左大臣家に降嫁し、三条さんじょう大宮おおみやとなられたあとも、彼をなにかと気遣っていたが、厄介払いされた自分と、帝と同腹の妹宮である彼女とは、初めから立ち位置が違うので、もったいなくも心苦しいことである。


 彼はそう思っていた。


 親王のみが就くことが許された中務卿なかつかさきょうの地位に、自分が今現在あるのも、元はと言えば大宮おおみやが、帝や関白、左大臣に働きかけ、影で強く引き立ててくれたからである。


 理不尽だとは思うけれど、努力も才覚も、血と機会がなければ、ほぼ、どうしようもない時代であった。


 前例のなきことで、着任後、しばらくは眉をひそめられていたが、おのれの才覚や努力もともなって、いまでは、おおむね好意的に認められている。


 先の時代のためにも、親王でない自分が、この地位に就いたという前例が、いつか役に立ってくれればと、個人的には思いながら、彼は日々の公務に励んでいた。


 三条さんじょう大宮おおみやは、命の恩人である自分は、帝と同様に実の兄君も同じ、お気遣い無用と、おっしゃってくださるが、手紙のやり取りはともかく、左大臣邸へうかがったのも、姫君の見舞いの日が初めてであった。


「お見舞いありがとう存じます……中務卿なかつかさきょうは、わたくしの命の恩人、どうぞこれからも末永くわたくしを……いえ、わたくしの姫君を、同様に見守ってくださいませ……」

女三宮おんなさんのみや……」


 御簾みす越しに聞こえた、涙をこらえた小さな声は消え入りそうで、気がつけば思わず、ご降嫁する前の名でお呼びしていた。


 とはいえ、彼にできることはあまりなく、多忙な公務ゆえに、都を離れ大和国やまとのくにへの参拝に同行はかなわなかった。


 寺には自分の名でかなりの寄進をし、自宅にて精進潔斎して、姫君の回復を祈願するむねを左大臣に申し上げ、かねてより昵懇じっこんの仲である陰陽師おんみょうじを、差し向けるくらいしかできることもなく、ただただ歯がゆかった。


 ちなみに彼自身は陰陽寮おんみょうりょうを管轄し、それなりに不可思議な現象は見聞きしているが、そう信心深い方ではなく、かと言って、自分自身ができるのは、神頼みくらいしかなかったので、生まれて初めて、真面目に精進潔斎をしていた。


 長く病に伏せる姫君を心配するあまり、もともとたおやかであった大宮のご様子は、御簾越しにも分かるほど、はかなげで心配であったが、大々的な左大臣の薬師如来への参拝が功を奏したのか、姫君の病気平癒の願いが、かなったのは幸いであった。


 そして昨日届いたのが、この唐紙からかみの手紙である。


 手紙には、目前に迫った大嘗祭だいじょうさいのあとにある、豊明節会とよあかりのせちえ饗宴きょうえんの翌々日に開かれる、左大臣家での姫君の回復を祝ううたげに、ぜひにも出席して欲しいと、そう書いてあった。


 年末の行事の間を縫った慌ただしさで、常ならばうたげへの参加は、億劫おっくうな気もするが、大宮の喜びを思えば、自然に祝う気も起ころうというものである。


 しかし疑問がない訳でもない。手紙の内容にはうたげの席に、ひそかにいま呼びにやった“陰陽師おんみょうじ”を連れてきて欲しいとも書いてあった。


陰陽寮おんみょうりょう”というのは、公式には陰陽道を極め、天文から暦、時間、吉凶までを把握する中務省なかつかさしょう管轄寮かんかつりょうのひとつであり、“六”というのは、その中に在籍する『真白ましろ』と呼ばれる陰陽師集団のうちのひとりである。


 壱番からはじまって、六番までの選ばれた陰陽師おんみょうじたちは、背中に白磁色はくじいろの白い絹糸で六芒星を刺繍し、同じく白磁色はくじいろ二陪織物ふたえおりであつらえられた束帯そくたい直衣のうしを身にまとう。袖口から濃い紅色が、わずかにのぞき、黒いしゃくを持つその姿は、まるで朱鷺ときの具現であった。


 小さなさかずきほどの背中にある六芒星の刺繍の中には、それぞれを認識するための数字が、分るか分からないか、それほどの小ささで刺繍されてあり、殿上を許される身分ではないはずの彼らは、その職の特殊性によって、己の役職でも名でもなく、それぞれに割り当てられた番号で呼ばれはするが、後宮への出入りすらも許されている。


『コノ世ノモノデハ無イ存在ト世界ヘノソナエ』


 彼らはその特殊性ゆえに、さまざまな特権を持っていた。



〈 後書き 〉


 葵ちゃん再登場までもう少し……。


 ※後書きを話の中に出てくる物の、ふわっとした補足的紹介欄にたまにできたらと思っています。(専門的に参考になるかと言われると、それはどうかと思いますので、あくまでお話の中の設定程度でお願いします。)


 文中に登場した唐紙は、中国大陸からから渡来した、耐久性もあり、透かしや輝きも美しい紙で、後に京都などで模して、作られるようになりましたが、小説内では、まだ高貴な人しか手にできなかった時代です。(いまではわたしでもお店で買えるように!)


『枕草子』では中宮が、『源氏物語』でも光源氏などが使用しています。

 先帝の内親王で、女三宮だった葵の上の母君が、喜ばしい手紙を自分の恩人である中務卿に出すために使用するのは、自然で似合っているなと思い、取り上げてみました。

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