第4話 宮中の騒動 1

「“帝の第一皇子”と言う重い身分の皇子が、わざわざ大和国やまとのくにまで……いくら摂関家せっかんけ、左大臣家の姫君のためとはいえ、一貴族の姫君のために寺詣てらもうでなど……」


女御にょうご、このたびの話は、おろそかにはできません。これは帝の代わりとして扱われる大切なお役目、第一皇子以外に適任者はおりませぬぞ」


 右大臣は自分の娘ではあるが、いまは尊き帝のきさきとして後宮に暮らす弘徽殿女御こきでんのにょうごの下座に座って、彼女の説得に苦心していた。


 女御にょうごの気性から反発は予想できていたが、この一件だけは、なんとしても要求を呑んでもらう覚悟で、今日は後宮の殿舎でんしゃに足を運んでいた。


 少しでも彼女の気をなごませるため、女御にょうごの母である自分の妻、北の方が新しく取り寄せた、側仕そばづかえの女房たちの衣装に使用する布地も持参している。


 ほぼ一生を室内で過ごす、ほとんどの貴族の女君にとって、衣装は数少ない自己主張をできる物であり、自身の社会的地位と財力、趣味の良し悪しがあらわになる物でもあった。


 特に、後宮で過ごす后妃たちは儀式やうたげの折に、御簾みすぎわに座る自分の女房に“打出うちいで”と呼ばれ、外から見えるように装束の袖口や裾を御簾みすの下から、わざと押し出して配置する習慣がある。


 色や地模様じもようかさねの色の趣向は、女主人の評価に関わり、それは后妃同士の華やかな競いどころ。


 弘徽殿女御こきでんのにょうごは、実家の潤沢な援助もあって、高雅こうがな趣味の持ち主と誉れ高い、左大臣家にご降嫁された三条大宮さんじょうのおおみやと並び称される、趣味のよさがもっぱらのうわさで、それが彼女の自慢でもあった。


 布地に目をやったほんの一瞬、彼女の切れ長の美しい瞳に、柔らかな光が浮かんだが、控えていた女房に引き取らせると、再び厳しいまなざしを右大臣に向ける。


「でも、いくら帝の仰せとあっても、一貴族の参拝に……」


 いつもであれば前例のないことと、即座に断っていたであろう。


 弘徽殿女御こきでんのにょうごは、大貴族である右大臣家に生まれ、生まれた時より后妃候補として育てられた上に、元来の気の強さが貴族の間にも知れわたる人物である。


 そんな気位高く、誇り高い弘徽殿女御こきでんのにょうごではあったが、第一皇子の発した一言で、手のひらを返して、代参だいさんに賛成することにした。


「では桐壺更衣きりつぼのこうい代参だいさんさせますか? 帝はわたしが断れば淑景舎しげいしゃに“帝の第二皇子”の母として、桐壺更衣きりつぼのこういは、充分に重い立場であるから、自分の代わりにと、いまにでも頼みにゆく勢いでしたが……」


 あのときの“第一皇子”は、自分の感想を、あえてつけ加えて発言していた。


桐壺更衣きりつぼのこういに、いまにでも頼みに行くんじゃないのかな?」と言うのは、本当は皇子のただの感想だったが。この機会に一度、後宮から遠く離れて、外の世界を見ておきたかったのだ。

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