第49話『大鱒のフライ』
「この宿でいいか、オルト」
「はい、問題なしです」
すでに日は暮れ辺りは暗くなりつつある。俺たちは商業区のさらに西にある競り市場の前まで宿を探して歩いた。道行く商人たちの間で最も評判の良い安宿がこれだったのである。
――でも、これってゲルじゃねえか。
ゲルとはモンゴルの放牧民たちが使う移動式の住居の事である。そういえば帝国の北の方には遊牧民族が住んでいると聞いたことがあったっけ……。
空き地の中に大小さまざまな円形のテントが張られている。俺たちは手前にあるベッドの看板の掲げた一番大きなテントの中へと入っていった。
「ほへ~~」
テントの中は結構広い。どうやらここは酒場も兼ねているようだ。六脚の丸テーブルがおかれランプの下で二組のお客がお酒を飲んでいた。
俺はさらに奥の大きなテーブルに座っている店員らしき若い女性に声を掛けた。
「あのー、すみません。ここは宿もやってるって聞いてきたのですが」
「うん、やってるよ。何? お客さん?」
「ええ、今晩の宿を求めたいのですが」
「うん、いいよ。二人用天幕なら銀貨二枚だよ。薪は一束銅貨三枚。トイレと洗い場は一番奥の建物だよ」
値段は確かに安い。でも大事な事を言ってない。
「あの食事は」
「ああ、食事ね。おつまみ程度ならここでも出せるけど、ここに泊まる人のほとんどは外に食べに行くか、自炊してるんだよ」
「そうですか、だったら一晩お願いします」
「はーい」
「あ、あと薪も一束ください」
俺たちは薪を抱え教えられた天幕のカギを開けた。荷物を開きランタンを取り出し火を点けた。
「お、結構広いな」
「そうですね」
「それに、これってハンモックだ」
「はんもっく?」
広さは八畳程度。天幕の中央には火を焚く囲炉裏が設置されており、その左右に木枠に吊るされたハンモックが置かれていた。
「確かアビゲイトでは吊りベッドって呼ばれてたな」
「へ~~」
魔族の国アビゲイトはこの場所より南西の海岸沿いに位置しており気温が結構高い。なので寝具にハンモックを使う場合もあったのだ。
「わーーい、ふっげっ!」
オルトは声を上げてハンモックへと飛び込んだ。そして、ひっくり返って落ちた。馬鹿なのか? 馴れないうちはハンモックインは静かに入るのが吉である。
「おい、遊んでないで荷物を置いて飯を食いに行くぞ」
「はい……」
俺たちは荷物を部屋へと置いて夕食を食べに街へと繰り出した。
通ってきた商店街の裏通りが夜の繁華街だそうである。俺たちはランタンを掲げ裏道を進んだ。
いわゆる日本の繁華街のようにネオンが煌めいている訳ではない。それでもそこかしこのお店から明かりが通りにこぼれておちている。窓を覗くと多く人がジョッキを片手に談笑している。店内から楽し気に笑いあう人々の声が聞こえて来る。
「さて、どの店にしようかな」
「私は美味しければどこでもいいです」
「そうだな……」
あまり居酒屋ぽっくなくて落ち着けて美味しい料理がありそうなお店は……。お、あそこかな……。
そこし離れた通りの角に魚の看板を掲げたお店が見える。お客は多いがお酒を飲んでいる人は少ない様だ。
「お前魚は大丈夫なんだっけ」
「えーと、あまり食べた事は無いですがオストルで食べた鎧魚は美味しかったです」
「そっか、だったらここにしてみよう」
「はい」
俺たちは扉を開け店に入った。お店にやたらと若い女性が多い。しかも皆一人客のようだ。どいうこと?
「何になさいますか?」
そう尋ねてきたのはまだあどけなさの残る長い金髪の美少年だった。これが原因だな……。
この国の貴族令嬢は自分の側仕えに美少年を侍らす習慣がある。本来は孤児救済の意味があったのだがいつしか質と数を競い合うようになったそうである。そのためこの国の女性は美少年好き公言することをはばからない。この店も多分それを狙ってやっているのだろう……。味は大丈夫かな?
「何かおすすめはある?」
「そうですね……。今日は大鱒のフライがお勧めです」
穢れを知らぬキラキラした瞳のテナーボイスがそう答える。大鱒というのは食べた事はないので知らないが確かこの国では大型の淡水魚は大抵鱒の名がついていたのでその類だろう。
「だったらそれとパンとシチューと飲み物は果実水で」
「はい、わかりました。お連れ様はどうなさいますか」
「私も同じものでー」
元気よくソプラノボイスのオルトが答えた。あ、まずい……。
店中の女性が一斉にこちらを向いた。癖のある赤髪のオルトは今、男装をしている。結構整った顔立ちで胸も無いオルトは普通に見れば美少年に見えてしまうのだ。
ぎらついた視線が集まっている。あ、奥のテーブルの人が祈りを捧げ始めた。この後、何事も無ければよいのだが……。
料理はすぐに運ばれてきた。大鱒は日本で言えば鮭に似た魚だった。味は申し分ない。しかし……。
俺たちは店中の熱い視線を一身に浴びながら食事をする羽目になった。
「これも美味しいですナオヤさん!」
「そうか……」
オルトのソプラノボイスが店内へと響いた。ちなみにソプラノは男性声に直すと天使の歌声と称されるカウンターテナーに相当する。
もういい黙れ。また祈られるだろ。
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