第35話『セインソース』


 日も暮れ夕食の時間になった。俺とオルトはベッドから這い出して食堂へと向かった。


「ごっはん! ごっはん!」


 オルトがはしゃいで階段を降りていく。階段の下の方から大声で話声が聞こえて来る。手すりから食堂の方を見ると三十人ほどの男たちが酒盛りを開いていた。先程門の所に居た男たちもいるみたいだ。どうやらこの宿屋はこの村の男たちのたまり場にもなっているらしい。


 俺たちは階段を降り食堂の隅の空いたテーブルに座った。すぐに宿屋の女将が料理を運んできた。


 メニューは雑穀の入ったライ麦パンにジャガイモのスープにキャベツのサラダ。そして、大皿に盛られた大量の串肉……。


「おかわりほしければいくらでもあるよ。でも自分で厨房に取りに来な」

「はい、ありがとうございます」


 そう言い残し女将は店の奥へと引っ込んでいった。


「これ何の肉だろう」


 大皿には六本の串に一口大の肉が三つずつ刺さっている。俺はオルトに聞いてみた。


「レッドボアではないですかね」

「ああ、あれか」


 レッドボアはこのイスタニア王国ではどこにでもいるごくありふれたイノシシ型の魔物である。というか魔物で無いイノシシの方がレアである。大きさは約一メートル。大きいものだと人間よりも大きくなることがある。頭に牛のような角があり下顎から牙も生えている。攻撃は突進だけだが、これを受けると人間などは一溜りも無い。ただし、常に一直線に攻撃を仕掛けて来るので、捕らえるのも倒すのも比較的容易な魔物である。どこにでも出現するレッドボアはこの国のタンパク源の一翼を担っている。


 俺は串肉を一つ頬張ってみた。うん、少し硬めだが普通に豚のロース肉だ。あれ? だけど、この味……。


「なあ、オルト。このソースは何だ」


 串肉にとろみの付いた黒いソースがかかっている。


「これはセインソースですよ。セイン領で作られている大豆を発酵させるソースだそうです」

「ああ……」


 そういえばコルトの奴に醤油の作り方を教えたことがあったっけ……。茹でた大豆を発酵させて塩水と合わせて一年寝かす程度の説明をした覚えがある。もしかするとあれだけの情報からこれを作ったのだろうか? もろみの粕が残っているので随分ドロッとしているが、それとなくわかるほど醤油の味を再現できている。香辛料なども混ぜ込んであるので焼き魚弁当に付いて来る醤油系のソースに近い味がする。


「うん、大したものだ」

「私もセインソース好きですよ」


 俺は懐かしい味に夢中になって齧り付いた。



「ふ―、もう食えねえ」


 何とか料理を食べ切った。お替りなんてとんでもない、量が多すぎだ。流石に多かったのかオルトもまだ黙々と食べている。俺は熱々の麦茶を啜った。


「なあ、オルト。明日は朝早いから食べきれないなら残しとけ」

「嫌です。お残しなんて許しません」

「あっそ」


 なぜそこで意地を張るのかはよく分からん。



「おい、そこのにーちゃん」


 ――ん? 背後を振り向くと門の所に居た山賊のリーダーぽいおっさんがジョッキを片手に立っていた。


「はい」


 おっさんはジョッキをグイッと煽りながら話しかけてきた。


「カライソさんが止めねえから、何も言わねえがそんなちっこいのを連れて山を越えるつもりならちゃんと覚悟を決めとけよ」

「あの道、そんなに危険なのですか」

「ああ、今はまだハンターと巡回兵で辛うじて拮抗を保っちゃいるが、いつ街道まで魔物が溢れ出すか分かんねえ状態だ」


 ――スタンピード(集団暴走)寸前か。それはまずい。


 魔物の性格は元になった生物の習性を踏襲する。そして、その上で強い力を手に入れたことで凶暴化している。しかし、普段の魔物はお互いのテリトリーを守りほとんど干渉することはない。だが、一旦数が増えすぎると……。


 お互いがお互いのテリトリーを侵しあいながら領域を拡大していく。そして、そこで衝突が生まれる。その争いに負けたものは新たな安住の地を求めて移動を始める。しかし、魔物の数が増えたことでその隙間がどこにもない。移動した先で新たな争いが起こってしまう。こうしてあちこちで同時多発的に争いが起きるようになる。そして、その絶え間ない争いの中で突如として階位を上げる魔物が現れる――。


 突如、階位を上げて強くなった魔物が周囲の他種族を蹴散らす。そして一斉に移動が始まる。大抵の場合これがスタンピードと呼ばれる集団暴走現象の始まりなのだ。


「……つい先日もハンターのパーティーがスカベンジャーにやられたとこだ」

「スカベンジャーにですか」


 スカベンジャー(腐肉喰らい)は体長一メートルほどの二足歩行の恐竜型の魔物である。強さは先日のブラックドックより弱いが、こいつは十から二十の集団で襲い掛かってくるので厄介だ。だが、通常のハンターのパーティーなら問題なく撃退できるはずである。


「ああ、だいぶ森の中の魔物が凶悪化してるってことだ。気を付けるこったな」

「はい、わかりました」


 おっさんはそう言ってジョッキをグイッと飲み干して自分のテーブルの方へと去っていった。案外、良い人のようだな。強面だけど。


 だが、俺たちには山越えをしないという選択肢はない。恐らく俺とオルトが青の洞窟を無事抜け出しマルソン川を行く船に乗ったことはイスタニア王国宰相のゼルタニスにばれている。いつ、ここまで追手が差し向けられるか分からないのだ。いや、恐らく明日、明後日にはこの辺りにも手配が回ると考えておくのが無難だろう。


 ――しかし、セイン領にまで入ってしまえば王国軍も勝手なことはできなくなるはずだ……。



「もう駄目ですでしゅー」


 見るとオルトがテーブルに突っ伏していた。


「おい、残りをよこせ。俺が食ってやる」

「はい」


 俺はオルトが皿に残した串肉を頬張った。

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