第34話『ヨルテンの宿』


 雨が本格的に降り始めたので俺たちは急いで宿の中へと避難した。


 どうやらこの宿は飲食店も兼ねているらしく引き戸を開けて入った先にはテーブルと椅子が並んでいた。お店の奥にカウンターが見える。


「おや、宿泊かい」


 カウンターの中から旅館の女将らしきおばさんが話しかけてきた。


「ええ、今晩泊めていただけますか」

「夕食付で一人銀貨二枚ずつだよ。朝食はパンとミルクだけ。もっと欲しければ注文しな。水汲み火おこしは自分でやれば自由に洗い場を使ってもいいよ。どうする?」

「お願いします。それにしても結構お安いですね」


 料金は結構安い。この国ではこういった僻地の村でぼったくられることもよくある話だ。そうでなくても利用客の少ない場所は高めである。それらに比べれば随分と良心的な価格だ。


「ああ、この辺りはハンター達にとっての良い猟場なのさ。だからお客も多い。それに、この村はいつも人手不足でさ、少しでも人を呼び込みたいってんで宿代を安くするように言われてんのさ」

「成程、ではお願いします」


 ハンターを多く呼び込めば当然多くの魔物が狩られる。それに、村にハンターがいればもしもの場合の戦力にもなる。俺はオルトと合わせて銀貨四枚を支払った。


「それにしてもアンタ。この村の事を知らないなんて一体ここへ何しに来たんだい。まさか〝村送り〟って訳でもないんだろ」


 確か〝村送り〟とは犯罪者の受ける刑罰の〝開拓村送り〟や他の村を追い出されて別の村へ追放される処罰の事を指す言葉だ。


「違いますよ。シャルディーまで行くつもりなんです」

「まさか弟を連れて山越えするつもりかい。悪い事は言わない、やめときな」


 ――弟とはオルトを指しているのだろう。心外だ、全然似てないのに。だがどうして? 先程の山賊風のリーダーも同じような心配をしていた。


 この村の東には実質的にこの国の国境に当たる街道が通っているはずである。そして街道沿いには一定間隔で砦が築かれており国境警備兵が常駐しているはずなのだ。以前俺たちはこの街道を使いすでに魔族に占領されていたシャルディスク領へと潜入したことがある。その時は街道をハンターや護衛を付けたキャラバンが行き交っていたはずなのだ。


「えーと、今はそんなに危険なのですか」

「アンタ、何にも知らないんだね。今は国境警備兵がブランドル領に行っちまって人手不足なんだよ。だから街道は魔物が多くて危険なんだよ。行商人たちもほとんど使ってないよ。それにタタワル山にゃゾンビが出たって話だし……」


 ――ここでもか……。一体この国はどうなってやがる。


 俺はおばさんに適当に相槌を打って会話を切り上げオルトと共に部屋へと向かった。



 部屋は二階の角部屋だった。窓の外は土砂降りになっている。風も強く吹き森の木々たちが激しく揺れている。俺は荷物を床に置いた。


「ふゅ~~、久しぶりのベッドだ~」


 情けない声を上げながらオルトが窓際のベッドへ飛び込んだ。

 そう言えば昨晩は砦の床で寝て、一昨日は船の中だった。どちらも固い床だったのでぐっすりと眠れてはいなかった。本来であれば疲れを残すところだが、つい先日まで二年近くもこの世界で旅をしていたので俺はもうすっかり慣れてしまった。


 夕食まではまだまだ時間がるので俺もベッドへ横になった。おお、確かにいいものだ。マットレスの中身は藁やイグサなので柔らかさはいまいちだが床に比べれば全然よい。ちゃんと寝具として機能している。


 外からは雨だれの音が聞こえて来る。下からは乾草の匂いが漂ってくる……。俺は安らかな気持ちで目を瞑った。


 しばらくすると横からオルトの立てるスピスピという寝息が聞こえてきた。俺はその音を聞きながらゆったりとまどろんだ。



 どれくらいの時間が経ったのだろう……。不意に外から聞こえて来る雨音が弱まった。


 俺は目を開けてみた。明るい……。どんよりと淀んでいた空が明るくなっている。雨粒にけぶり遠くまで見る事の出来無かった視界が次第に晴れて来る。


 雲が流れていく。見渡す限りの木々の森、その先で真っ白の雲の上から扇をひっくり返したような形のタタワルの峰が顔を出す。


「仰ーぎ見るータタワルー♪ 猛ーき頂きー♪ か……」


 思わず以前に聞いた地元の民謡を口ずさんでしまった。


「うーん、でも、まだまだですね。ノース山に比べると……」


 どうやらオルトも起きていたみたいだ。


「何だ、もう起きてたのか」

「はい、起きました」


 そういえばこいつは北の山岳地帯の出身だった。ノース山はこの国の北にある霊峰ノースを指しているのだろう。ん? ノース山……。


「おい、オルト。お前ノース山に登った事あるのか」

「ありませんよ、あそこは入ってはいけない禁忌の土地でしたから。でも、麓のイルク村の出身です」

「何っ、イルク村は知ってるぞ」

「本当ですか」

「ああ、アレイヤ様の第三の試練でノース山に登ったんだ。その時に立ち寄った。石壁で家を囲ってるところだろ」

「はい、家囲いですね。あそこは風が強いですから。ああやって風よけを作るんです。でも、ノース山に登っちゃったんですか? 罰が当たりますよ」

「仕方ねえだろ、女神の試練なんだから。あの山頂には天空神殿という古代神殿が建っていてそこで神楯と聖剣を貰ったんだ」

「へー、そんなものがあそこに……。あれ? でもナオヤさんは勇者伝では聖剣だけで楯って持ってなかったですよね」

「ああ、楯は重いからすぐ捨てた」

「女神に貰った楯になんてことを!」

「良いんだよ。俺は体に耐性があるし」

「なんて罰当たりな事を……」


 そう言ってオルトはドン引いた。


 本当の事を言えば、あの神殿まで行ったのは俺一人だったので、重たい楯を持ち帰るのが面倒だったのが理由である。その時、他のパーティーメンバーは麓のイルク村の村長の家でぬくぬくと過ごしていた。それにむかついた俺は楯は無かったことにすると決めたのである。

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