第23話『カエルの詩』


 カエルの詩が聞こえて来るよクワクワクワクワ、ケロケロケロケロ、クワッ、クワッ、クワッ。


 俺は中々船室に戻ってこないオルトを心配して、もう一度甲板を覗いてみた。オルトは見事に吐いていた。


「ぎもぢ悪いです~~~」


 船縁に掴まりケロケロと吐いている。俺は背中をさすってやった。


「まったく、言わんこっちゃない。吐くもん吐いたら船室に行って大人しくしてろ」

「はい……」


 どうやら外輪を見つめたことで目を回し船酔いを起こしたようだ。この船は木造船で喫水がやや高い。さらに浅瀬を避けるためか頻繁に舵を切る。その度に船体が軋むような音を立てて揺れるのだ。割と船に乗る機会の多かった俺は大丈夫だが一度も経験の無いオルトは一溜りも無かったのだろう。

 俺はオルトが吐き切った頃を見計らい船室に連れていき床に寝かせた。


「暫く寝ていろ」

「はぃ……」


「あらあら、どうされましたか」


 後ろを振り向くと後から船に乗り込んで来た女性が話しかけてきた。

 年の頃は二十代前半。長身でやや鋭い目つきだが容姿端麗。森人の血が混ざっているのか、黒髪に緑の毛が入っているのが見える。服装は大正ルックな紺の袴のようなズボンに留袖の付いた若草色の上着を着ている。この服装は確か……。


「大丈夫ですよ。どうも船酔いしたみたいで、少し休めば治ります」

「そうですか、私は薬師のティドルといいます。何か必要でしたらお声をかけてください」

「いります! お薬ください!」


 横になったままのオルトが叫んだ。この服装は薬師が旅装の時に好んで着る服だ。


「お前な……」

「だって気分悪いんですよ! 目の前がぐわんぐわん揺れるんですよ。私、死んじゃいます!」

「死なねえよ。休んでれば治るよ」

「どうしましょう。お薬必要でしたら調合しますよ」

「ください!」

「仕方ない。お金は払いますから一服盛ってやってください」


 これで静かになるなら安いものだ。永遠に眠ってろ!


「はい、ではすぐに調合しますね」


 そう言ってティドルは自分の荷物の所へ行き、背負い箱の引き出しを開けて薬の調合を始めた。


 この世界には魔法がある。その中には治癒魔法という便利なものも存在するがこの国においては魔法が貴族に独占されていて一般人に使われることはほとんどないのが現状なのである。そこで治療のために薬を作る薬師という職業がある。薬師は種々の薬草を使い薬を作る。体系的にも確立されていて漢方的な生薬のみならず鉱物から抽出した薬品なども扱っている。中には外科手術を行う人もいると聞いたことがある。


 ティドルは数種の薬草をすり鉢に入れて混ぜ合わせている。微かにミントの香りが漂ってきた。最後に水を入れ漉し器を通してカップに注いだ。


「出来ました。どうぞ」

「船酔い程度でお騒がせしてすみません」

「いえいえ、いいんですよ」


 俺はティドルからカップを受け取った。


「……」


 いつの間にか静かになったと思ったらオルトは既に眠っていた。俺はカップを強く額に叩きつけた。


「起きろ! こんにゃろ」

「ふぎゃ! 何ですか! 何するんですか!」

「何するじゃねえよ! お前が頼んだから薬飲めよ」

「もう」


 ぶつぶつ言いながらオルトは上体を起こしカップを持って飲み始めた。


「あ、これおいしいです。爽やかですっきりしてるのに落ち着く味です」

「ふーん」

「何ですか、そんな顔しても飲ませてあげませんよ」

「いらねえよ。お前は飲んで大人しく寝てろ」

「もう」


 これが今代の聖女の姿だと思うと、こっちが恥ずかしくなってくるのは気のせいか?


「元気な妹さんですね」

「いえ、ただの行きずりです」


 俺はきっぱりと言い切った。それにしても、この姿のオルトを一発で女と見抜くとは……。


「あの、もしかしてエルフィンですか」

「え?」

「いえ、エルフィンの中には精霊視の出来る人もいると聞いたことがあったので……」


 エルフィンとは小妖精を意味する言葉でこの国ではエルフやドワーフの精霊種の血の混ざっている人の事を指す言葉である。特に魔力の強い森人(エルフ)は貴族の間でもてはやされていたために混血の人が少なからずいるのだ。そして、精霊視とは魔力を感じ取る力の事でそれが出来るとその人の様々な情報を知ることが出来るらしい。


「ええ、そうです。森人の血が少し混ざっています」

「もしかして宮廷薬師の人ですか」

「いえ、違います。セイン領のシャルディにお店を構えています」

「え、シャルディですか。俺たちも今そこへ向かってるところなんですよ」


 シャルディは旧シャルディスク領の領都のあった街である。セイン領に名前を替えた今でも街の名はそのままなのだろう。セイン領へ入り黒の森に向かうには都合の良い場所である。しかし……。


「だったら一緒に行きませんか? ティドルさん」


 俺の横でオルトが言った。


「そうですね、でも私、途中の町にいくつか薬を届けないといけませんので……」

「いえいえ、こいつの言う事は気にしないでください。俺たちも商売で少し寄るだけなので……」

「えー、いいじゃないですか。旅は人が多い方が楽しいんですよ」

「お前はもう寝てろ」

「ふげっ!」


 俺はオルトのマントを引っ張って寝かしつけた。


「本当に気にしないでください」

「はあ」


 俺たちは追われている身だ。青の洞窟を抜け出してすでに三日目。そろそろ俺たちが洞窟内に居ない事がばれる頃だと思う。この先一緒に居ては迷惑をかける事になるかもしれないのだ。それにこの国の人間に俺たちがアビゲイトを目指していることを知られるわけにはいかない。

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