第22話『蒸気船』
「
宿に戻ったオルトはそう一言だけ呟いてベッドへともぐりこんでしまった。
あれからオルトはお店に居た娼婦たちにもみくちゃにされて、遂に女であることがばれてしまった。しかし、今度はそっちの趣味の娼婦たちが寄って来てさらにもみくちゃにされ始めたのだった。流石に顔を赤らめ息を荒げ始めたので俺が助けに入り宿まで連れて帰った。まあ、これも良い経験だろう。
俺はもう一度宿の洗い場に行き自分でお湯を沸かして体を洗った。それから部屋へと戻りオルトの隣のベッドへ横になった。オルトは身動き一つ取らずに寝静まっている。
本来であれは明日船の予約を入れてもう一日ゆっくりとこの街で準備を整えたかったが、今は戦争の所為で南に向かう人は少ないそうだ。予約を入れなくてもすぐに船には乗れる。マルソン川を南に下り三日でセイン領入ることが出来る。いつ追手が来るのかも分からない。ここは急いでセイン領へ入ってしまうのが正解だろう。俺は目を瞑りそのまま眠りについた。
朝になり目が覚めた。鎧戸の隙間から見える外の景色はまだ暗い。俺はベッドから立ち上がり鎧戸を開けた。
東の空はもう白み始めていた。ゆったりとのどかに流れるマルソン川から朝霧が立ち昇っている。川面を渡る冷たい風が吹き込んで来た。
「ふぇっ、くしょん! ううう寒いです……」
「何だ起きてたのか。だったら朝飯食って出発するぞ」
「……」
「何?」
「……なんでも無いです」
そう言ってオルトは頬を膨らませた。どうやら昨晩の事をまだ気にしているみたいだ。ここは俺が何を言っても始まらないだろう。こうやって少女は大人になっていくのだ。たぶん。
「だったら飯を食いに行くぞ」
「はい……」
俺たちは身支度を整え階段を下りた。
朝食の準備はすでに出来ているみたいだ。焼かれたパンの良い匂いが漂っている。
メニューはライ麦の黒パンに具材のどっさり入ったスープだ。キャベツに人参とタマネギに鎧魚の出汁の効いたスープ。固い黒パンをナイフで切ってスープに浸して食べる。
元々よく締まった固いパンなのでふやけたりはしない。ゆっくりと咀嚼し飲み込んでいく。スープのコクと天然酵母の酸味が大変美味しい。俺はさらにスプーンでスープを掬い飲み込んだ。
「食ったらすぐに乗船所に行って船に乗るからな。今朝はほどほどにしておけよ」
俺は注意がてらオルトにそう言った。
「そうですか、わかりました。あの、パンのお替りください!」
「おい、だから、あんまり食べるなよ」
「どうしてですか」
「さてはお前、船に乗ったことないな」
「はい、一度もありません」
「船はな、船酔いと言って乗ってると気分が悪くなるんだ。あんまり食べてると吐くぞ」
「うーん、大丈夫です。私の胃袋は丈夫です」
「俺は知らねえからな」
朝食を終えた俺たちは荷物を抱え港へ向かった。
船着き場には大きな外輪を船体の左右に付けた蒸気船が止まっている。乗船場へ行きセイン領の入り口にあたるミゼーの町までの切符を買う。乗船は三日間。金額は二人で小金貨三枚と銀貨八枚。勿論乗船券だけを買い個室は借りなかった。
チケットをかざして船に乗り込む。船の大きさはちょっとしたフェリー程はある。甲板には大きな木箱が沢山積まれている。その隙間を縫って奥の客室に向かった。
客室の広さは二十畳ほどの板の間だった。そこに大きな荷物を抱えた行商人らしきが三人座っている。俺たちも部屋の隅で荷物を下ろし腰かけた。
「オルト、これ持っておけ」
「何ですか。お金ですか。わざわざこんな人目のある所で……。はっ、まさかナオヤさんはそういう趣味の人ですか!」
「いや、流石に何を言ってるのか分からないが、これは三日分の食費だ。自分で考えて使えよ」
「はあ、そうですか」
俺はオルトに小金貨一枚を渡した。乗船券には食費が含まれていなかった。食べ物は船の食堂と売店で販売されるものを自分で買って食べる仕組みなのなのだ。
俺は板の間の床にマントに包まって横になった。出航は日が高くなってからという事なのでおよそ九時ぐらいなるのだろう。
「ナオヤさん。私ちょっと船の様子を見てきます」
「ああ、うん。出航前には帰って来いよ」
「はい」
俺はそのまま目を瞑った。
〝ボーーーー!〟大きな音で霧笛が響き渡った。床の下の方からボスッ、ボスッとゆっくりピストンの動く音が聞こえてきて、バチャバチャと水音を立てて外輪が回り始めた。
目を開けると室内に老婆と大きな荷物を抱えた女性が増えていた。オルトの姿が見当たらない。あいつ、どこ行った……。
俺は荷物をそのままにしてオルトを探しに甲板へと出た。次第に離れていくオストルの港。少し肌寒い風が吹きつけて来る。
オルトは居た。甲板で大きな紙袋を抱え呆然と回る外輪を眺めている。
「おい、何してんだよ」
「あ、ナオヤさん見てください。これ、グルグル回って面白いんです」
そう言ってオルトは水を掻く外輪を指さした。
「あんまり見つめてると目が回るぞ」
「大丈夫ですよ、私、車の車輪が回るのも好きなんです」
「そうか……」
正直いえば何が面白いのかよく分からない。もしかしてこいつの前世はハムスターか何かだろうか?
「まあ、いいけどな。あんまりはしゃいで水に落ちるなよ」
「はい」
俺はそれだけ告げて船室に戻った。
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