第421話 初任給の使い道は ~塚地小鳩、親愛なる弟弟子へ~

 塚地小鳩が専業の探索員になって1カ月が過ぎていた。

 大学生の頃から、もっと言えば高校二年生の頃から探索員の職には就いていたため、特にやる事は変わらない。


 だが、「社会人デビューして初めて貰う給料」と言うものはやはり特別な感じがあるものであり、例えば大学生の頃にバイトをしていた者でも新社会人の初任給はやはり格別と感じるものだと言うデータもある。


 小鳩も多分に漏れず、ゴールデンウィークの間の平日に銀行で記帳した預金通帳に印字された無機質な数字を見て、なんだか少しだけ大人になった気分だった。


「あら、いけませんわね。わたくしとした事が。そろそろ出かけませんと」


 今日はまだゴールデンウィークの真っ只中。

 さらに、チーム莉子のメンバーは監獄ダンジョン・カルケル防衛任務で拘束されていた分、連休に加えて特別休暇もある。


 だが、小鳩は趣味と呼べるものもなく、友人もいない……もとい、少ないため、休みの日が続くとそれを持て余してしまう。

 気付けば、1週間にも及ぶ休暇でやった事と言えば、椎名クララの家の掃除と椎名クララの昨年の成績表を見て絶望したくらいのものであり、「これはいけませんわ!!」と小鳩は焦った。


 「困った時は師匠を頼れ」とは、彼女の師である探索員の生き字引。

 久坂剣友監察官の言葉である。


「まずはデパートに寄って……。ええ、問題ありませんわ。予定の時間には到着できそうですわ」


 小鳩は余暇の時間を師匠の家で過ごす事にしたのだった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 久坂の家は山の奥にある。

 久坂に限らず、同じく監察官の楠木秀秋、および木原久光の住まいも山の奥にある。


 これは、日本探索員協会が定めている「煌気オーラを用いた鍛錬に関するガイドライン」に従った結果であり、協会の査定で基準を超える煌気オーラの持ち主が修行をする際には、周囲に民家がない事や居住地の煌気オーラ耐性値など、多くの基準をクリアする必要がある。


 南雲修一や五楼京華などは協会本部に近い街中のマンションに住み、トレーニングは本部の建物で行っている。

 なお、逆神六駆をはじめとする逆神流はそれをガン無視しているが、協会への貢献度の高さから黙認されていると言う裏事情がある事は公にされていない。


 そんな久坂の家に、一台の車がやって来た。

 ドライバーはもちろん小鳩である。


「おお、よぅ来たのぉ! しかし、小鳩の車はハイカラでええわい!! なんちゅうんじゃったかいのぉ?」


 久坂が笑顔で小鳩を出迎えた。


「確か、スズキのスイフトだったと記憶している! 足回りが本格的な仕様だと聞き及んでいるので、塚地小鳩のようにアクティブな女性にも好まれるらしい!!」

「ほぉ、そうじゃったかいのぉ。しかしお主はようけ物を知っちょるのぉ。55の」


「国籍すらなかった私に住まいを与えてくれた日本の事ならば、いくらでも学びたい! さあ、塚地小鳩! 食事ができている!」

「こやつ、小鳩が来るっちゅうたら張り切ってのぉ。気合入れて食うてくれんと、年寄りにゃあとても処理できんで」


 小鳩にとって、久坂と55番の2人と共に過ごす事ほど有意義なものはなかった。

 どら猫の世話をしながら、たまに親愛なる師匠と弟弟子に会いに行く。


 休日の過ごし方の最適解にたどり着いているかもしれない、小鳩であった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 小鳩は来る途中に寄って来たデパートでラッピングしてもらった包みを取り出した。


「お師匠様。55番さん。これ、ささやかなのですけれど、わたくしの初任給で買ってみましたの。よろしければお納めくださいまし」


 久坂のために買ったのは、ちょっと高級な日本酒である。

 彼ほどの経歴になれば酒を買うのに不自由はしない。


 だが、久坂は表情を崩して喜んだ。


「ほぉ! こりゃあ獺祭だっさいか! ワシの好きな酒を覚えてくれちょるとは、嬉しいのぉ! おう、見てみぃ、55の! こりゃあ美味いんじゃぞ? ひょっひょっひょ!」

「久坂剣友、喜びを隠しきれていないな! あなたが嬉しそうだと私も嬉しい! さすがは我が姉弟子! 学ばせてもらおう!!」


「もぉ、大袈裟ですわよ! 55番さんにも買って来たのですが、お気に召して頂けるでしょうか?」


 55番が受け取ったのは、腕時計だった。

 それは30000円程度の品で、いわゆるブランド品のように高級なものではない。


「これを、私に……!?」

「ええ。55番さん、いつも協会支給の時計を使われているでしょう? 任務にあたる際はそれで良いのですけれど、プライベートは違うものの方が良いかと思いまして。……って、どうなさったのですか!?」


 55番は、目から大粒の涙を流していた。

 戸惑う小鳩に、老人が笑顔でフォロー入れる。


「おーおー。小鳩が55のを泣かせよったわい! よう考えたら、こやつがワシ以外の者からなんか貰うっちゅうのは初めての事じゃったからのぉ! ひょっひょっひょ! 案外涙もろいんじゃ、55のは! 動物番組なんか見よるとすぐ泣くけぇのぉ!」


「塚地小鳩……! 私のために、貴重な給金を……!! 感謝する! 私はこの時計を死ぬまで肌身離さないとここに誓おう!!」

「まったく、本当に大袈裟な人なのですから。こんなに喜んで頂けるなんて、わたくしも嬉しいですわ! さあ、お食事にして頂けますこと? 実はお腹が空いておりますの!」


 55番は「承知した!」と言って、台所へと駆けて行った。

 久坂がそれを見届けて、小鳩に耳打ちした。


「すまんのぉ。気ぃ遣わせてしもうたか。55のは、やっぱりのぉ。元アトミルカっちゅう事情があるけぇ、ワシ以外の者が相手じゃと遠慮する傾向があるんじゃ。小鳩も気付いちょったか」

「ええ。55番さんはとても心根が真っ直ぐな方ですから。ですが、あの方はアトミルカに参加した経緯を考えれば、気に病む必要はないと思いますのよ」


 55番は赤ん坊の頃に捨てられたところをアトミルカに拾われ、戦士として育てられた経緯がある。

 彼は愚直な男で、久坂と戦うまでは「それ以外の正義」を知らなかった。


 が、久坂一門に加わり視野が広がるにつれて見識は深くなり、それに伴って「これまでの自分の生き方が間違っていた」事を知るに至る。

 前述の通りマジメで一生懸命な55番の性格を考えると、放っておけないのが塚地小鳩なのであった。


「初任給っちゅうのも口実じゃろ? 小鳩も素直じゃないけぇのぉ! ツンデレ言うんじゃったか? ひょっひょっひょ!」

「まあ! お師匠様、そのような意地悪をおっしゃるのならば、お酒は返してくださっても良いのですわよ?」


「おお、そりゃあ困る!! すまんかった! こがいなええ酒貰うて失礼な勘繰りをするっちゃあ、ワシも年取ったのぉ! こりゃあお迎えが近いんかのぉ!」

「もうっ。お師匠様、わたくしが弟子入りした頃からそう言っておられますわよ?」


「そうじゃったかいのぉ? ほいじゃったら、10年後も同じこと言うちょるかもしれんのぉ!」

「そうですわね。ずっとその調子でお願いいたしますわ。まだまだお師匠様には教わることが多いですもの」


 55番が大きな鉄鍋を抱えて戻って来た。


「さあ、塚地小鳩! 食べて欲しい! 今日はパエリアを作ってみた! 付け合わせに、アヒージョとイベリコ豚のローストもある! お口に合えば良いのだが!!」


 小鳩と久坂は顔を見合わせて笑った。


「これはご馳走ですわね! わたくし、たくさん食べますわよ!」

「小鳩の持って来てくれた酒に合いそうじゃのぉ! よし、55の! お主もたまには付き合え!!」


 日が暮れるまで賑やかな休日を過ごした小鳩なのであった。

 すっかり葉桜に変わった久坂家の御神木も、枝を揺らして彼らの大切な時間を見守っている。

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