第357話 芽吹きの時、来る? ~映画鑑賞だ! 南雲修一と五楼京華!!~

 南雲監察官室で静かにコーヒーを飲むナグモと五楼京華。


「南雲。お前ともあろう者が、今日はどうした? このコーヒー、あまり美味くないぞ?」

「そうですね。おかしいな。今朝もちゃんと焙煎したんですけど。おっしゃる通り、風味が浅いですね。それに、なんだか香りもイマイチだ」


 ナグモ。いや、南雲さん。それは吉兆です。


「まあ、いい。コーヒーをご馳走になったのだ。ならば、私の持って来た映画のチケットに付き合うのが筋だと思うが?」

「五楼さんには敵いませんね。是非ご一緒させてください」


 南雲と五楼は仕事の期限を午後4時までと定めて、一旦解散した。

 この2人は仕事人間なため、あらかじめ「〇時には仕事をヤメる」と計画しておかなければずっと働き続けてしまう。


 クリスマスからこっち、この2人は食事を共にする事はあってもまともなデートらしい行事に縁がなかったのは、だいたいこれが原因である。


 なお、映画のチケットは五楼上級監察官室の日引春香Aランク探索員が手配しており、南雲の好きな『バックトゥザフューチャー』のリバイバル上映の情報を仕入れて来たのは南雲監察官室の山根健斗Aランク探索員である。


 結構部下から慕われているご両名。

 これも日頃の仕事ぶりによるところが大きい。

 もちろん、人柄もおおいに影響している。


「よし。とりあえず書類整理はここまでにするか。五楼さんをお待たせする訳にはいかない。……30分前。もう正門の前へ行ってしまおう」


 なお、五楼京華も自分の監察官室でほとんど同じようなセリフを口にして、コートを羽織ったところであった。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「それにしても、協会本部かからすぐのところにシネコンがあるのは知っていましたが、結構賑わっていますね。五楼さんはよく来られるのですか?」

「いや。訪れたのはこれが初めてだ。出勤の際に前を通っているから、私も繁盛しているのは知っていたがな」


 南雲と五楼、目的地のシネマコンプレックスに現着する。

 なお、2人して早めに待ち合わせの場所へ移動していたため、映画が始まるまでに45分以上も余裕があった。


「……どうしましょうか?」

「……私に聞くな」


 お忘れの方もおいでになるだろう。

 よって、ここで改めて明言しておくことにする。



 この2人。恋愛偏差値はあの逆神六駆よりも低いのだ。



 そもそも、南雲に恋人がいたのは20代まで遡らなければならない。

 五楼に至っては、南雲よりも長い年月を旅する必要がある。


 どちらも優れた探索員として名を挙げて、若くして監察官に就いた。

 そのおかげで仕事は順風満帆だったが、代わりにプライベートが犠牲となっていた。


「……コーヒーでも飲みますか?」

「……貴様。映画を見る前の女に利尿作用のある飲み物を勧めるな」


 日常会話のキャッチボールもおぼつかない。

 ならば、一緒に食事に行った時には何を話しているのかと言えば。


「そう言えば、五楼さん。来期の昇進査定ですが、Bランク探索員の数が全体のバランスを考えると不足しています。ここは少し査定のハードルを下げるべきでは?」

「ふむ。南雲の意見には聞くべき点がある。……だが、探索員の質を落としてしまっては本末転倒だ。まずはCランク探索員の実力底上げが先ではないか?」


 仕事の話ばかりであった。

 恋愛と言う名のステージに上がった途端に雑魚キャラに成り下がる2人。


 その後も映画館で映画の話をせずに、来期の編制について討論を交わしていたところ、運命の女神が「ええかげんにせぇ」と業を煮やしたのか、ちょっとしたトラブルが起きる。


「だ、誰かぁ!! 泥棒よ!! 誰かぁぁ!! 捕まえてください!!」


 見れば、初老の女性が倒れ込んでいる。

 その傍には全身を黒でキメたひったくり犯が、脇にハンドバッグを抱えて逃走しようとしていた。


「南雲。貴様はご婦人を頼む」

「分かりました。五楼さん、無用な心配でしょうけれどお気をつけて」


 彼らの行動は速い。

 なにせ、日頃からモンスターや敵対勢力と戦っている探索員の総大将と現場指揮官である。


「どけぇ! ぶっ飛ばされてぇのか、女ぁ!!」

「ほう。よく吠える犬だ。そこの清掃員の方。モップをお借りしたい。素手でも問題ないのだが、万が一にも痴れ者の返り血で服を汚したくないのでな」


 悪漢を前にしてあまりにも落ち着いた態度の五楼に清掃員のおじさんも呆気にとられ、「ど、どうぞ」とモップを差し出した。

 『皇帝剣フェヒクンスト』の使い手に得物が渡れば、もはや是非もなし。


 結末の見えた仕置きほど興のそがれるものもない。


「大丈夫ですか? お怪我はされていませんか?」

「ああ、はい。ありがとうございます。ちょっと転んだ時に膝を打っただけです」


「ああ、これはいけない。擦り傷が。失礼します。私のハンカチで申し訳ないのですが、これで止血を」

「い、いえ! 結構です! ハンカチに血がついてしまいます!」


 南雲は初老の女性に向かってにっこりと笑みを見せて、首を横に振った。


「ハンカチは汚れるのが仕事ですので。ご安心ください。普段から噴き出したコーヒーをよく拭いているので、吸水性に優れています」

「は、はあ。ご丁寧に、ありがとうございます」


 そんなやり取りをしていると、五楼が戻って来た。

 右手には女性のハンドバッグを。

 左手には動かなくなったひったくり犯を携えて。


「ご婦人。こちらが貴女のもので間違いはないか?」

「ああ! ありがとうございます! このバッグ、主人が還暦の祝いに買ってくれたもので! ああ! 本当に! なんとお礼を言ったらいいでしょうか!!」


「それは良かった。どうぞ。傷ひとつ付けてはいないつもりですが、ご確認を」

「はい、はい! 本当にありがとうございました!!」


 いかに監察官と上級監察官の身分にあっても、一般人に対するスキルの行使はご法度である。

 が、そのような心配はまったく必要としない。


 この2人が五楼京華と南雲修一だからである。

 それ以上の理由は必要ないかと思われた。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 それから、駆け付けて来た警備員と通報を受けて犯行現場へと参じた警察官に事情を話す南雲。

 一通りの説明を終えると、彼は名刺を差し出して「何かあれば探索員協会にご連絡ください。協力させて頂きます」と断って、騒ぎの中心から五楼の手を引いて共に抜け出した。


「しまったな。もう映画が始まってから30分以上も経っている。これでは貴様も楽しめんだろう。……おい!? 何をする!?」

「あ、すみません。髪にゴミが付いてしまたので。せっかく整えておられるロングヘアーが台無しになってはいけないと思い、つい手を伸ばしてしまいました」


「……この痴れ者が。何を謝る必要があるのだ。……致し方ないな。映画はまた、後日と言う事にするか」


 南雲も「そうですね」と応じた。


「……ああ、なんだ」

「……ええと」


 会話の切っ先が交差する。

 彼らの普段操る剣と違い、その先端は随分と丸く相手に配慮を欠かさない。


「……腹が減ったな。南雲。貴様ならば、この辺りで美味い店を知っているだろう?」

「私もちょうどお食事でもと考えていたところです。何かご希望はありますか?」


「肉が良いな。南雲、貴様もしっかり肉を食え! 最近少し瘦せただろう?」

「分かりました。この近くにステーキ店がありますので、そこへ行きましょう」


 結局2人はいつものように、いつもの通りの雰囲気のまま食事を済ませる。

 だが、心なしか会話が弾んでいたようで、その踏み出した一歩は実に大いなる一歩だったと思われた。


 翌日からは再び仕事に追われる南雲と五楼。

 映画はチケットの有効期限内にちゃんと見て頂きたいものである。

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