第201話 木原芽衣の「今すぐ遠くに行きたいです。みみっ」 御滝市・私立ルルシス学院

 木原芽衣は御滝市にある私立ルルシス学院に通っている。

 近隣の県を見渡しても抜きん出ている、生粋のお嬢様学校である。


 御滝市は探索員協会本部から近いため、探索員になる事が決まった際に伯父である木原久光監察官の配慮でこの名門私立へと転校してきた。

 現在は御滝市にある親戚の家に下宿して、芽衣は学業に勤しんでいる。


「芽衣ちゃん、今朝はパンにしたよ。フレンチトースト。好きだったよねぇ?」

「ありがとうです、おば様。芽衣は甘いものなら何でも好きです。人生もハチミツたっぷりなヤツがいいです。みみっ」


「はははっ。芽衣ちゃんは言う事が面白いなぁ! どれ、味見を」

「あなた! はしたないですよ! ちゃんと順番に用意しますから! まったくもう!」


 芽衣の下宿先は遠藤さんのお宅であり、この老夫婦には子供がいない。

 そのため、芽衣を自分の娘のように可愛がっていた。

 遠縁にしておくのはもったいないと芽衣は常々思っている。


「芽衣はもうずっとこの家の子になりたいです」


「あらまぁ! 嬉しい事を言ってくれるねぇ! おばさん、泣いちゃいそう!」

「おじさんもだよ! 芽衣ちゃんさえ良ければ、それでもいいんだけどなぁ!!」


 芽衣ちゃんは良いのだが、良くない部分がこれから登場する。


 遠藤家の電話が鳴った。

 相手は分かっている。

 毎日7時半きっかりにこの家の電話を鳴らす人間は、1人しかいない。


「……みみっ。もしもし。遠藤です」


「芽衣ちゃまぁ! 俺が誰だか分かるかなぁ!? はーっはは! 分かるかなぁ? んー? ヒントが欲しい? 芽衣ちゃまは仕方がねぇなぁ!! 芽衣ちゃまの大好きな人だよ! 最初の名前は久光で、最後の名前も久光! そう、久光おじさんだよ、芽衣ち」



 木原芽衣、無言で電話を切る。



「いやぁ、木原さんも忙しいらしいのに、毎日キッチリしてるなぁ!」

「遠藤のおじ様、そーゆうのじゃないです」


「きっと芽衣ちゃんの事が心配なのね! おばさんも分かるわぁ!」

「遠藤のおば様、そーゆうのでもないです」


 木原芽衣の朝は、こうして始まる。

 今日は史上最年少の探索員である木原芽衣。

 彼女の1日に密着してみよう。



◆◇◆◇◆◇◆◇



「あら、木原さん。ごきげんよう」

「ごきげんようです。みみっ」


 お嬢様学校での挨拶は「ごきげんよう」が世界の掟。

 ルルシス学院でもそのルールは守られており、芽衣も郷に入っては郷に従えの精神で級友と出会う度に「ごきげんよう」を繰り出す。


 彼女は学院の生徒たちから好かれていた。

 元より芽衣は少々ネガティブなところを除けば、可愛らしい美少女。

 むしろ、ネガティブなところでさえ親しみやすさの味付けとなっている。


「木原さん。この間は県外へ遠征に行ったのでしょう? その時のお話を聞かせて!」

「もちろんです。チームの先輩たちが活躍していて、眩しかったです」

「でも、木原さんもすごい戦果を上げたんでしょう? ほら、ここに書いてある!」


 クラスメイトが取り出したのは、月刊探索員の最新号。

 彼女がルルシス学院に転校して来たのを機に、学院へ匿名で毎月100冊ほど月刊探索員を寄贈する者が現れたとか。


「みなさん、席について! 授業を始めますよ!」


 ルルシス学院は中高一貫校であり、中等部3年生の授業は一般の高校2年生の内容とほぼ同じである。

 ちなみにこの話を六駆に聞かせた際「ちょっと分からないんだけど、そんなに急いで勉強する意味は?」とつぶらな瞳で質問していた。



 芽衣を困らせるんじゃないと誰か𠮟りつけてやって欲しい。



 芽衣の学院での成績は極めて優秀である。

 定期テストの順位は上位1割に含まれており、家庭科や体育などの主要科目以外の成績も高レベルを維持している。


 探索員の仕事で長期欠席をする事もある彼女が成績を維持できているのは、ひとえに芽衣の努力の賜物であり、周囲の人間もそれを知っている。

 ゆえに彼女はみんなから好かれていた。


「木原さん、帰りにクレープ屋さんに寄って行きません?」

「あ、ずるいですよ! 今日は喫茶店にお誘いしようと思っていたのに」


 放課後になると、芽衣の争奪戦が始まる。

 早く家に帰ってベッドで丸くなりたい芽衣だが、クラスメイトたちの好意は素直に嬉しかった。


 ちなみにこの話をクララに聞かせたところ「それ、絶対ヤバいよー! なにか下心があるにゃー! だって、放課後の寄り道とか都市伝説でしょー?」とつぶらな瞳で語っていた。



 誰かクララ先輩と大学の帰りにお茶してあげて欲しい。



 さて、そうなると放課後は楽しい下校からお嬢様ライクな優雅極まる時間を過ごすのかと言えば、そうはいかない。

 理由を知りたい方は、次に声を出す者が誰か考えてみて欲しい。

 多分、だいたいお察し頂けるだろう。



「うぉぉぉぉん!! 芽衣ちゃまぁぁ!! 寄り道しちゃあダメだぜぇぇぇ!! 不良になっちまうってぇぇ!! 芽衣ちゃまぁぁぁ! おじ様、ちゃんと見守ってるよぉぉぉ!! うぉぉぉぉん!! 家に帰るまで、ずっと見守ってるよぉぉぉぉ!!!」



 地獄の使者だろうか。


 この強制負けイベントがだいたい週4、調子のいい時は週5で起きるため、基本的に芽衣の放課後は家に直帰することになる。

 なお、誰とは言わないが、某監察官が事務仕事を一切行わない理由の6割くらいがこの「見守り活動」にあると言うのは、あまり知られていない。



◆◇◆◇◆◇◆◇



 家に帰った芽衣は、スマホを取り出してメルメルとラインでメッセージを送る。

 すると、数分ののちに、遠藤家の庭に巨大な門が生えてくる。

 門の造り主はだいたいこの時間、学校で補習授業を受けているため、スキルの遠隔発動を行うだけである。


 ステルス機能を付与してあるため、悪質なストーカーにもバレない。

 ストーカーのおじ様はそもそも煌気オーラ感知がザルなので、多分ステルス機能がなくてもバレない。


「おお、今日も立派なものが出たなぁ!」

「そうねぇ。いつ見ても立派ねぇ。写真撮っておきましょう」


 遠藤家の夫婦は実に穏やかな気性の持ち主であり、共に60を超えて世の中の大概の事は笑って許せる精神的なゆとりも持ち合わせていた。


「じゃあ、遠藤のおじ様、おば様。行ってくるです。お夕飯までには帰るです」


 『ゲート』をくぐったその先には、薄暗い空の世界が待っている。

 湿地帯にある城の謁見の間に繋がる『ゲート』は、芽衣にとっての薬箱だった。


「おおー! 芽衣、待っておったのじゃ!! 今日も一緒に遊ぶのじゃ!!」

「みみっ! ファニちゃんさん、こんにちはです!! 何するです!?」


「実は、シミリートが温水プールなるものを作ったのじゃ! なので、今日は水遊びをするのじゃ!!」

「みみみっ! 遊ぶです!!」


 木原芽衣のストレスは、この遠くにある不思議な世界で発散される。

 この世界の事は彼女のストレスの元凶にも知られておらず、彼女は心から解放される。


「おっ! 芽衣ちゃん、遅いにゃー! あたしお昼から遊んでたから、疲れちったー」



 そして普通にミンスティラリアにいるクララパイセン。



「さあ、芽衣にもこれを! 超高圧式水鉄砲なのじゃ! これでダズモンガーを狙って撃つのじゃ!! 妾が手本を見せるから、見ていて欲しいのじゃ! そりゃ!!」

「ぐああぁぁぁあぁっ!! 吾輩、久方ぶりの出番がこれですか!?」


 終わり良ければ総て良し。

 心行くまで遊んだら、家に帰って優しい老夫婦と食卓を囲み、お風呂で汗を流しフカフカの布団にくるまって眠る。


 木原芽衣の1日はこうして終わるのであった。

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