第274話 ただいま
少し固めのベッドが不安や緊張を全て解いてくれました。安心に包まれた私は、深い眠りへと誘われます。
とても久々に感じますが、実際は何日も経ってはいませんでした。濃密で過酷だった時間が、私の砂時計を狂わせていたのかも知れませんね。
あの息苦しく、黒い現場を忘れる事は出来ないでしょう。激しい緊張の連続と、絶え間なく襲い掛かる無力感。それをみんなで跳ね除け、必死に足掻き続けた濃密な時間。その足掻きは決して無駄では無かったはずです。
それを受け入れ、前を向く強さを学べたと思えましたから。
淡く光る三日月を見つめながら布団に潜ると、そんな事を考えていました。
◇◇
いつもの笑顔で、みんなが出迎えてくれたあの日。その笑顔に、私は日常を取り戻して行きました。
「「ただいまー」」
「「「おかえりなさい!」」」
私とハルさんは有言実行です。湯浴み場へ直行して、煤けた顔を洗い流しました。頭から勢い良くお湯を被って、辛かった思いや光景をお湯と一緒に流して行きます。
でも、胸の奥底に溜まった記憶まで、消せるわけではありません。
「この先、こんな経験する事はきっとないでしょう。だからこそ、辛かった事、悲しかった事、全部含めて、これからの糧にするのよ。いい?」
ハルさんの言葉は優しく寄り添って、前を向く私の背を押してくれます。
確かにあの現場は経験した事の無い、悲しくて、辛い、凄惨な光景でした。でも、みんなそれを飲み込んで、日々成長していくのだと、ハルさんの言葉にあらためて感じたのです。
◇◇
あれから数週間が経ち、すっかり日常を取り戻しました。
日々の業務に追われ、店も、街も、いつもと同じ顔を見せてくれます。ただ、ひとつ違うのは、何気ない日常に幸せを感じること。
「んじゃぁ、いくよ」
「うん、お願い」
パチンと私の耳元で、フィリシアの握るピアッサーが音を奏でます。キノから貰った純白のピアスが私の耳に増えました。
「何か、エレナ急に大人びたんじゃない?」
「エヘ。そうかな~」
「あ、やっぱ前言撤回。変わってないや」
「ちょっと、簡単に撤回しないでよ。ねえねえ、
何故かフィリシアは盛大に顔をしかめます。何がそんなにイヤなのでしょうか?
「カミオだよ。あいつ、これ見よがしに何度も優勝盾を見せびらかしてさ。優勝したのは、お前じゃなくてウチの猫だっつうの!」
「え!? カミオさん? 個人で? 凄いね。お店に勝っちゃったんだ!」
「ズルだよ。ひとりだけ、
「なるほど。作戦勝ちだよ、うん。カミオさん、凄いよ」
「凄くないよ!」
カミオさんの事になるとフィリシアはどうにも辛口です。本当に仲がいい証拠ですかね。でも、これを言うとまた怒りそうなので、黙っておきましょう。
◇
「よう!」
閉店と共に、にこやかに現れたのはアルシュさんです。ニコニコと笑みを浮かべている姿は、新鮮に映りました。アルシュさんも大きな仕事を終えて、ようやくひと息つけたのでしょうか。
「お久しぶり? です。中へどうぞ。ちょうど今落ち着いたところなのですよ」
「いや、遠慮しておく。アルバに戻る途中、挨拶に寄っただけなんだ。あんた、大活躍だったらしいな」
「え? いやいや、そんな事はありません。アルシュさんこそ大活躍って聞いてますよ。アウロさんが興奮しながら、何度も同じ話をされてましたから。街を救った英雄じゃないですか」
食堂で何度もアルシュさんの活躍を聞いています。伸ばした腕の先にあったナイフがこの街を救ったのだと、アウロさんが何度も熱っぽく語っていました。
「止めてくれ、そんな大そうな事じゃない。アウロのおかげだよ」
「謙遜し過ぎるのは良くないらしいですよ。捕まっていた熊達は、どうなったのですか?」
「う~ん、まぁ、聞くな。
少し言い淀むアルシュさんの姿に、何となく察します。捕まっていた仔達は、良い終わりを迎える事が出来なかったって事ですね。
「そうですか⋯⋯カラシュさんも大活躍だったって聞きましたよ」
「あいつもデルクスと組んで熊を見つけたんだ。
「さすがですね」
「褒められるほどのものじゃないさ、エレナの大活躍に比べたら霞むよ。そうそう、落ち着いたら遊びに来てくれ、シュミラが待っている。こいつを言いに寄ったんだ」
穏やかに笑みを浮かべるアルシュさんに釣られて、私の頬も自然に緩んでいました。
「ぜひ。近いうちに遊びに行くので、シュミラちゃんに宜しく伝えておいて下さい。アルバのみんなにも会いたいですしね」
「ああ、必ず伝える」
軽く手を上げアルシュさんは雑踏に消えて行きます。何だかアルバも懐かしく感じますね。そんな日は経っていないはずなのですけど。
あ、ヤクロウさんは相変わらずかな。挨拶はしたいけど、捕まらないようにしなきゃです。マナルさんや、街のみんなも変わらず元気でしょうか。こんな事を思っていると、ますます会いたくなっちゃいます。
◇◇
街の中心部を歩きます。いつもと同じ喧騒なのに、何だか街の雰囲気に踊らされて、ウキウキ楽しくなっちゃいますね。
何て事の無い日常が、こんなにも愛おしく思えるなんて、いつの間にか私の日常がカラフルに彩られていました。
顔上げれば、そこに溢れる笑顔。釣られてこっちも、自然に笑顔になっていきます。
「毎度どうも」
「またお願いします」
いつものお店で、野菜や果物を買い込んで、背中に両手に大荷物です。でも、ちょっと力ついたと思いません? 昔ならこんな大荷物持てませんでしたからね。
「ひゃっ!!」
不意に両手が軽くなって、びっくりして振り返るとマッシュさんがいたずらっぽく口端を上げていました。
「よう、エレナ」
「び、びっくりしましたよ。急に軽くなったんで、泥棒かと思っちゃいました」
「ハハハ、そいつは悪かった。後ろ姿が随分と重そうだったんでね。店までだろ? 手伝うよ」
「そんな、申し訳ないです。大丈夫ですよ」
「遠慮すんな。歩くのがやっとに見えたぞ」
「そんな事ないです、余裕ですよ!」
「余裕には見えんな」
私が少しむくれて見せると、意地悪く微笑んでスタスタと前を行ってしまいます。
マッシュさんと言えば先日、なんと、フェインさんとの結婚式があったのですよ。みんな集まって、賑やかで楽しい時間を過ごしたのです。
「マッシュさん、この間はお招きありがとうございました。とても素敵な結婚式でしたね。フェインさんの花嫁衣裳が凄く綺麗で素敵でした」
お店のみんなは、ふたりの結婚にびっくりしていました。次の結婚は、ハルさんとキルロさんだとばかり思っていたそうです。それはまだまだ先だと思うのですよ、うんうん。
「忙しいところ悪かったな。しかし、まぁ、美味しいところは、全部ハルと団長とシルに持っていかれたな」
「ええ⋯⋯まぁ⋯⋯それは否めませんね。フェインさんは元気ですか?」
「ああ、元気だよ。最近はユラと良くつるんでいるみたいだ。明日から新婚旅行なんだが、あいつ何も準備していないんだよ、大丈夫かな」
「マッシュさんがしっかりしているから大丈夫ですよ。新婚旅行は、どこに行くのですか?」
「とりあえず、あいつが行った事の無い場所を通りながら、最北を目指そうかと思ってな。出来れば、ハルと団長しかたどり着けなかった【最果て】に行ってみたいんだよ。今ならワンチャン行けるかも知れないからな」
「今ならですか?」
「ああ。今ならまだキノがいるかも知れん、むげには扱われんだろ」
「キノか⋯⋯私も会いたいかも⋯⋯」
俯く私にマッシュさんが肩をすくめて見せます。
「何と言うか⋯⋯キノには会うと言うより感じるってのが、近いのかもな。エレナなら、ここにいても感じられるかも知れんぞ」
「ここにいてもですか?」
「ああ。こいつはオレの想像でしかないが、エレナが北で包まれていた黒い嵐。あれは
「??」
困惑している私を一瞥して、穏やかな口調で続けます。
「そうだな⋯⋯精霊が黒と白に分かれていただけで、元はふたつでひとつの精霊だったんじゃないかって思っているんだ。黒は人に対する悪意や憎悪。それが形になったのが、きっと黒い
「あのいたずらっ子に善意は分かりませんが、愛情は確かにあったかもです」
「だろう。
「本当の家に帰った⋯⋯本当の姿に戻ったって事なのですかね」
「うん? お前さんが見ていたキノも本当のキノだよ。本当の姿に戻ったと言うより、本来の姿に戻ったって方がしっくりくるんじゃないか」
「?? キノはキノって事ですかね??」
「ハハハ、まぁいい。そう言う事だ。そういやぁ、アルシュが副団(長)になったの知っているか?」
「え? ついこの間会ったのに、そんな事ひと言も言ってなかったです。それって凄くないですか? 入ったばかりですよね? 大きい
「
「今度会ったら聞いてみます」
何だか、こんがらがったり、びっくりしたりです。でも、マッシュさんとは、こうしてゆっくりと話す機会は少ないので、貴重に感じます。
結局、マッシュさんは、おしゃべりしながら、お店まで荷物を運んでくれました。お礼を言って別れると、私の指は無意識にキノのピアスに触れます。
『会うと言うより感じる』
そんなマッシュさんの言葉を思い出すと、何だかキノがここにいるみたいに思えて、不思議な感じがしたのです。
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