第273話 おかえりなさい
爽やかな風が頬を撫で、透き通るような青空は人々の心を軽くしていきます。
顔は煤け、体中埃にまみれ、疲労と痛みは体に重くのしかかります。それでも、歓喜と安堵に包まれ、人々は抱き合い、笑い合い、平穏の訪れを謳歌していました。
ただ、それと同時に突きつけられる別れという現実。
奥でひっそりと横たわる物言わぬ人達。その前に立ち、人々は涙が枯れるまで泣き続けます。悲しい現実はいとも簡単に希望を握り潰してしまうのでした。潰えた淡い期待を胸の中へと押し込み、今はただ前を向いて行く。そう映りました。
◇
「エレナ! 前線から戻った薬をかき集めておいて」
「分かりました。ジュアさん、戻って来ないですね」
「あいつなら大丈夫よ。ひょっこりと帰って来るから」
「ですよね」
前線から帰還する人の波から、医療班と治療班の方々を探して行きます。終わったという安堵はあっても疲弊は隠せず、煤けた顔でうな垂れている方が多いです。
紅白の腕章を見つけては駆け出し、へたり込んでいるところ申し訳ないと思いつつも、声を掛けていきました。差し出されるわずかな医療品をかき集めては、ペスカさんの元へと急ぎます。
そんな中、無意識のうちに探していました。
ジュアさん、そしてハルさん達【スミテマアルバレギオ】の姿を。
「よう、エレナ。帰ったぞ」
「ジュ、ジュアさん! 良かった! 怪我は? 痛むところはないですか?」
「大袈裟だぞ。帰ったとペスカに伝えてくれねえか」
「分かりました!」
良かった。
探していた顔を見つけ、心は軽くなります。
私はそのまま軽やかな足取りで、ペスカさんの元へと急ぎました。
「ペスカさん! ジュアさんが帰られました!」
「そうか! エレナ、悪い。ここを一瞬頼む」
「はい」
私はすぐに頷きます。嬉しい再会は、心も体も軽くしてくれました。ペスカさんの心も軽くなるはずです。
◇
ジュアの元、盟友の元へとペスカは駆け出した。
「ジュア! おまえ⋯⋯」
「大した事はねえ。ちょっと下手こいた。かっこ悪いからエレナには言うな⋯⋯」
「全く。ちょっと診せてごらん⋯⋯って、おい!
崩れ落ちるジュアの姿に手を差し伸べる。額からの汗と蒼白の顔面。押さえている脇腹から血がじわじわと滲み、今にも滴り落ちそうだった。
「ここまで戻って来たんだ。もう少し我慢しろ。すぐに治してやるから」
ペスカの言葉にジュアは視線を向ける事しか出来なかった。
◇
「エレナ先輩」
その呼び声に私の手は止まります。聞きたかった呼び声に私はすぐに振り返りました。鳥上で見せる満面の笑みに、私も満面の笑みで答えます。
「エーシャさん!!!」
「よ! っと」
「良かった⋯⋯良かった。体は大丈夫ですか? 怪我とかしてないですか?」
「大丈夫だよ。
「良かったぁ~。
ハルさんの姿をキョロキョロと探しますが、ハルさんどころか【スミテマアルバレギオ】の姿は誰ひとり見当たりません。そんな私の姿に、エーシャさん少しバツ悪そうに答えてくれました。
「ぁ⋯⋯みんなと別行動だったんだよね。みんなはずっと北まで行ったんだ。なんで、戻るまで、ちょ~っと時間掛かるかもね」
「⋯⋯そうですか」
「ちょっと落ち込まないでよ。大丈夫だからさ。これを終わらせたのは【スミテマアルバレギオ】だよ。終わったって事は、無事って事だよ」
「で、ですよね。大丈夫ですよね」
「うんうん」
エーシャさんの言葉と笑顔は、私に安堵を与えてくれます。いつもと同じエーシャさんの姿に少しだけ日常が戻った感じがして、心のざわざわは小さくなりました。
魔力切れの魔女は用無しね。
そう言って、エーシャさんはテントの奥へと、休息を取りに消えて行きます。
負傷者の波は消え、休息を終えた
肩を叩き合い無事を称えます。ひとしきり涙を流し、前を向いて行きます。
救護テントに流れる安堵の空気は、みんなを元気づける一番の薬となっていました。
「エレナ、こっちはもう大丈夫だから、少し休んできな」
「え、でも⋯⋯」
「いいから休め!」
「分かりました」
ペスカさんに睨まれて、静々と従います。
テントに戻って毛布を被ると、体が悲鳴を上げていたのに今更ながら気がつきました。鉛のように重くなった体を起こす事は出来ません。眠気が襲って来て、ウトウトと頭に膜が張ります。
ハルさん⋯⋯みんな⋯⋯。
ハルさん達の顔が過り、頭が一瞬の覚醒を見せます。頭が冴えてしまい、眠気が吹き飛びました。でも、またすぐに眠気は襲って来ます。そんな、まんじりとしない時間を繰り返しながら、私は深い眠りへと落ちて行きました。
◇
静かです。ゆっくりと覚醒して行く意識に届く虫の音と、小さな話声。重い瞼を開けると、ぼんやりと浮かぶ人の顔。
「起きたね。お疲れ、エレナ」
その慈愛に満ちた低くて優しい声色。待ち焦がれたその声。
夢と現実の間で、私は少し混乱します。
私、何をしていたっけ? 小
何気ない日常の風景が頭を過り、安堵に包まれました。
私を覗き込む、柔和な笑みを見せる青空のように碧い瞳。
青空⋯⋯。
私の意識は一気に覚醒します。
「ハルさん! ハルさん! ハルさん!」
「アハハハ、痛いって」
「良かった⋯⋯本当に良かった⋯⋯」
「うんうん。エレナも頑張ったね」
覗き込むハルさんを力いっぱい抱きしめます。温かいハルさんの温もりに、嘘じゃないって分かりました。涙はボロボロと止めどなく流れ落ち、押さえ付けていた不安が霧散して行きます。
ハルさんは不安ごと抱きしめてくれて、温かな安堵を私に与えてくれました。
どのくらいこうしていたのか分かりません。長かったのか、短かったのか、ただ私の不安が落ち着くまで抱きしめてくれました。
「⋯⋯はぁ~。もう大丈夫です。ありがとうございます」
「相変わらず泣き虫ね」
いたずらっぽく笑うハルさんに、何だか恥ずかしくなってしまいました。
「だって⋯⋯あ! キルロさんは? みなさんは? キノは?!」
「落ち着いて。みんな大丈夫、心配しないで」
「はぁ⋯⋯良かった」
「あ、でも、あいつは極度の
ハルさんはそう言って、服の破けているお腹をさすります。なにはともあれ、みんな大丈夫で何よりです。
「しっかり休めば大丈夫ですよね」
「そうね。そうそう⋯⋯キノはねぇ、何て言えばいいのかな⋯⋯本当の家に帰ったって感じかな」
「本当の家に帰った?」
「そう」
言葉を選ぶハルさんの姿に、何となく悟りました。
もうここには、いないのだと。
寂しくはあるものの、不思議と悲しくはありません。死んでしまったわけではありませんし、元気でいてくれるならそれでいいと思ってしまいました。ここでの過酷な経験がそう思わせたのかも知れませんね。
「寂しいけど、元気ならいいです」
「うん。彼女はずっと元気よ。そうそう、キノからエレナに伝言を預かっているのよ」
「え? 何ですか」
「『エレナ、ずっと友達』。だって」
「そうですか⋯⋯私もです。ずっと、ずーっと友達です」
「うん」
ハルさんが、優しい笑みで私の頭をわしゃわしゃすると、わざとらしく顔をしかめて見せました。
「エレナ。あなた、ばっちいね。湯浴みしていないでしょう~」
「そんなヒマありませんでしたよー」
「ま、私もなんだけどね。帰ったら真っ先に湯浴みしましょう。それでいつものベッドで起きるまで寝るの。ここまで来たら、仕事なんて1、2日サボったっていいでしょう」
「ハルさん、休めます? 仕事溜まってますよ」
「今、それ言わないでよー! 考えないようにしていたんだから~」
『『ハハハハハ』』
ふたりで笑い合います。平穏に包まれる時間が心地良くて、心が穏やかになっていくのが分かりました。
「帰ろうっか」
「はい」
私は大きく頷きます。
私達も家に帰りましょう。
キノ、また会えるかな? ずっと友達だからね。
私は北方を見つめながら、そんな事を思っていました。
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