第273話 おかえりなさい

 爽やかな風が頬を撫で、透き通るような青空は人々の心を軽くしていきます。

 顔は煤け、体中埃にまみれ、疲労と痛みは体に重くのしかかります。それでも、歓喜と安堵に包まれ、人々は抱き合い、笑い合い、平穏の訪れを謳歌していました。

 ただ、それと同時に突きつけられる別れという現実。

 奥でひっそりと横たわる物言わぬ人達。その前に立ち、人々は涙が枯れるまで泣き続けます。悲しい現実はいとも簡単に希望を握り潰してしまうのでした。潰えた淡い期待を胸の中へと押し込み、今はただ前を向いて行く。そう映りました。



「エレナ! 前線から戻った薬をかき集めておいて」

「分かりました。ジュアさん、戻って来ないですね」

「あいつなら大丈夫よ。ひょっこりと帰って来るから」

「ですよね」


 前線から帰還する人の波から、医療班と治療班の方々を探して行きます。終わったという安堵はあっても疲弊は隠せず、煤けた顔でうな垂れている方が多いです。

 紅白の腕章を見つけては駆け出し、へたり込んでいるところ申し訳ないと思いつつも、声を掛けていきました。差し出されるわずかな医療品をかき集めては、ペスカさんの元へと急ぎます。

 そんな中、無意識のうちに探していました。

 ジュアさん、そしてハルさん達【スミテマアルバレギオ】の姿を。


「よう、エレナ。帰ったぞ」

「ジュ、ジュアさん! 良かった! 怪我は? 痛むところはないですか?」

「大袈裟だぞ。帰ったとペスカに伝えてくれねえか」

「分かりました!」


 良かった。

 探していた顔を見つけ、心は軽くなります。

 私はそのまま軽やかな足取りで、ペスカさんの元へと急ぎました。


「ペスカさん! ジュアさんが帰られました!」

「そうか! エレナ、悪い。ここを一瞬頼む」

「はい」


 私はすぐに頷きます。嬉しい再会は、心も体も軽くしてくれました。ペスカさんの心も軽くなるはずです。



 ジュアの元、盟友の元へとペスカは駆け出した。


「ジュア! おまえ⋯⋯」

「大した事はねえ。ちょっと下手こいた。かっこ悪いからエレナには言うな⋯⋯」

「全く。ちょっと診せてごらん⋯⋯って、おい! 治療師ヒーラー! こっち! 急げ! 早く来い!」


 崩れ落ちるジュアの姿に手を差し伸べる。額からの汗と蒼白の顔面。押さえている脇腹から血がじわじわと滲み、今にも滴り落ちそうだった。


「ここまで戻って来たんだ。もう少し我慢しろ。すぐに治してやるから」


 ペスカの言葉にジュアは視線を向ける事しか出来なかった。



「エレナ先輩」


 その呼び声に私の手は止まります。聞きたかった呼び声に私はすぐに振り返りました。鳥上で見せる満面の笑みに、私も満面の笑みで答えます。


「エーシャさん!!!」

「よ! っと」


 聖鳥アックスピークから、軽やかに飛び降りる義足の魔術師マジシャンに、私は無意識のうちに飛び込んでいました。


「良かった⋯⋯良かった。体は大丈夫ですか? 怪我とかしてないですか?」

「大丈夫だよ。魔力切れマインドレス以外、元気元気」

「良かったぁ~。みなさんスミテマアルバレギオは、どこですか?」


 ハルさんの姿をキョロキョロと探しますが、ハルさんどころか【スミテマアルバレギオ】の姿は誰ひとり見当たりません。そんな私の姿に、エーシャさん少しバツ悪そうに答えてくれました。


「ぁ⋯⋯みんなと別行動だったんだよね。みんなはずっと北まで行ったんだ。なんで、戻るまで、ちょ~っと時間掛かるかもね」

「⋯⋯そうですか」

「ちょっと落ち込まないでよ。大丈夫だからさ。これを終わらせたのは【スミテマアルバレギオ】だよ。終わったって事は、無事って事だよ」

「で、ですよね。大丈夫ですよね」

「うんうん」


 エーシャさんの言葉と笑顔は、私に安堵を与えてくれます。いつもと同じエーシャさんの姿に少しだけ日常が戻った感じがして、心のざわざわは小さくなりました。

 魔力切れの魔女は用無しね。

 そう言って、エーシャさんはテントの奥へと、休息を取りに消えて行きます。


 負傷者の波は消え、休息を終えた治療師ヒーラー達の復帰と共に現場の混乱は治まっていきました。

 肩を叩き合い無事を称えます。ひとしきり涙を流し、前を向いて行きます。

 救護テントに流れる安堵の空気は、みんなを元気づける一番の薬となっていました。


「エレナ、こっちはもう大丈夫だから、少し休んできな」

「え、でも⋯⋯」

「いいから休め!」

「分かりました」


 ペスカさんに睨まれて、静々と従います。

 テントに戻って毛布を被ると、体が悲鳴を上げていたのに今更ながら気がつきました。鉛のように重くなった体を起こす事は出来ません。眠気が襲って来て、ウトウトと頭に膜が張ります。

 ハルさん⋯⋯みんな⋯⋯。

 ハルさん達の顔が過り、頭が一瞬の覚醒を見せます。頭が冴えてしまい、眠気が吹き飛びました。でも、またすぐに眠気は襲って来ます。そんな、まんじりとしない時間を繰り返しながら、私は深い眠りへと落ちて行きました。



 静かです。ゆっくりと覚醒して行く意識に届く虫の音と、小さな話声。重い瞼を開けると、ぼんやりと浮かぶ人の顔。


「起きたね。お疲れ、エレナ」


 その慈愛に満ちた低くて優しい声色。待ち焦がれたその声。

 夢と現実の間で、私は少し混乱します。

 私、何をしていたっけ? 小動物モンスター部屋の掃除だっけ?

 何気ない日常の風景が頭を過り、安堵に包まれました。

 私を覗き込む、柔和な笑みを見せる青空のように碧い瞳。

 青空⋯⋯。

 私の意識は一気に覚醒します。


「ハルさん! ハルさん! ハルさん!」

「アハハハ、痛いって」

「良かった⋯⋯本当に良かった⋯⋯」

「うんうん。エレナも頑張ったね」


 覗き込むハルさんを力いっぱい抱きしめます。温かいハルさんの温もりに、嘘じゃないって分かりました。涙はボロボロと止めどなく流れ落ち、押さえ付けていた不安が霧散して行きます。

 ハルさんは不安ごと抱きしめてくれて、温かな安堵を私に与えてくれました。

 どのくらいこうしていたのか分かりません。長かったのか、短かったのか、ただ私の不安が落ち着くまで抱きしめてくれました。


「⋯⋯はぁ~。もう大丈夫です。ありがとうございます」

「相変わらず泣き虫ね」


 いたずらっぽく笑うハルさんに、何だか恥ずかしくなってしまいました。


「だって⋯⋯あ! キルロさんは? みなさんは? キノは?!」

「落ち着いて。みんな大丈夫、心配しないで」

「はぁ⋯⋯良かった」

「あ、でも、あいつは極度の魔力切れマインドレスで、しばらく起きないかもね」


 ハルさんはそう言って、服の破けているお腹をさすります。なにはともあれ、みんな大丈夫で何よりです。


「しっかり休めば大丈夫ですよね」

「そうね。そうそう⋯⋯キノはねぇ、何て言えばいいのかな⋯⋯本当の家に帰ったって感じかな」

「本当の家に帰った?」

「そう」


 言葉を選ぶハルさんの姿に、何となく悟りました。

 もうここには、いないのだと。

 寂しくはあるものの、不思議と悲しくはありません。死んでしまったわけではありませんし、元気でいてくれるならそれでいいと思ってしまいました。ここでの過酷な経験がそう思わせたのかも知れませんね。


「寂しいけど、元気ならいいです」

「うん。彼女はずっと元気よ。そうそう、キノからエレナに伝言を預かっているのよ」

「え? 何ですか」

「『エレナ、ずっと友達』。だって」

「そうですか⋯⋯私もです。ずっと、ずーっと友達です」

「うん」


 ハルさんが、優しい笑みで私の頭をわしゃわしゃすると、わざとらしく顔をしかめて見せました。


「エレナ。あなた、ばっちいね。湯浴みしていないでしょう~」

「そんなヒマありませんでしたよー」

「ま、私もなんだけどね。帰ったら真っ先に湯浴みしましょう。それでいつものベッドで起きるまで寝るの。ここまで来たら、仕事なんて1、2日サボったっていいでしょう」

「ハルさん、休めます? 仕事溜まってますよ」

「今、それ言わないでよー! 考えないようにしていたんだから~」

『『ハハハハハ』』


 ふたりで笑い合います。平穏に包まれる時間が心地良くて、心が穏やかになっていくのが分かりました。


「帰ろうっか」

「はい」


 私は大きく頷きます。

 私達も家に帰りましょう。

 キノ、また会えるかな? ずっと友達だからね。

 私は北方を見つめながら、そんな事を思っていました。

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