第272話 見上げる空
—— 少し先の同時刻。
「ルルライシュー・コーエンミラル」
「アマン・マヌエ」
「ラウダ・グルゲン」
「「「反逆罪の嫌疑が掛かっている。
ルルは自宅。アマンはギルド。そしてラウダは高級住宅街の隠れ家と三者三様の場所で、抵抗する事もなく静かに拘束されていく。
ルルはジロリと嫌悪の睨みを利かせ、アマンの張り付いた笑みは強張りを見せた。
ラウダはやれやれとばかりに大きく溜め息をつき、醜く口端を上げる。その醜悪な笑みに、
「いい気なものだな。私を縛り上げたところで、大きな変革のうねりは止まらないのだよ。お前達のその間抜け面が、蒼ざめて行く光景が目に浮かぶ! 街は阿鼻叫喚! のうのうと生きていられるのも今の内だ! いいか! こんな事をしたところで、何の意味も持たぬのだよ! 分かっているのかっ!!」
「静かにしろ!」
「止めろ! 放せ!!」
口泡を飛ばし、興奮を見せるラウダの頭を後ろから押さえ付けると、ひとりのドワーフがその横に立った。
「うっさいのう! ピーピー喚くな、いい年こいた爺が! 何も起こらんわ! さっさと連れて行け」
喚き散らしながら引きずられて行くラウダに、インゴはやれやれと嘆息する。
◇
「やあ、ルル。いい格好だね」
自宅の居間で取り押さえられたルルの前に、
怪訝な表情を向けるルルに、女はニコリと粘着質な笑みを返す。
「何だ、お前は?
「う~ん。なるほどね⋯⋯」
落ち着いた表情で、静かに言葉を紡ぐルル。精神的な有利から来るその余裕は、不敵にさえ映った。わざとらしく考え込む女の姿は、ルルから余裕を奪い、怪訝な表情を女に向ける。その表情に、女はさらに粘着質な笑みを深めて見せた。
「何が可笑しい?」
「アハ。いやいや、だってさ、何も起こっていないよ? 何しようとしていたのか知らないけどさ」
「愚か者め! これから起こるのだ! お前達の慌てふためく姿が目に映る!」
「アハハ。いやいや、だから何も起こらないって。もう連れって行っていいよ」
笑みを浮かべたまま女はルルを顎で指す。その動きに呼応し、
「分かりました。来い!」
「女! お前の顔を覚えたからな」
「あらぁ~怖い。【ブラウブラッタレギオ(青い蛾)】のシーアだよ。いつでも遊びにおいで。あ! ごめん、もう二度と会えないや。今回は出られないから、覚悟しておきなね」
「!!」
ルルの心を見透かし逆撫でするシーアの言葉に、ルルは驚愕と困惑を見せる。それまでも見透かしていたのか、シーアは軽く肩をすくめて見せた。
「そんなにびっくりする事? あんたの後ろ盾はもうないよ」
「何を言う⋯⋯」
強い拒否反応を見せるルルの耳元にシーアは口を寄せる。
(【ノクスニンファレギオ】副団長セルバ、そして勇者アントワーヌ。あ、元副団長と元勇者か。あんたの後ろ盾は、もう潰したよ)
シーアの囁きにルルは大きく目を見開いた。驚愕から言葉を一瞬失い、思考が停止したのが手に取るように伝わる。
「そ、そんなバカな! いい加減な事を言うな!」
「うるさいな、大きい声出さないでよ。バイバイ、うるさいから連れて行って」
ルルが何かを喚いていたが、シーアは耳を塞ぎ聞こうとはしなかった。
「んで、アルシュのやつはどこほっつき歩いてんだ。人にばっか仕事させて、あんにゃろうめ」
シーアが南の空を睨んだ。
◇◇
———ラウダ達連行の数刻前。
アウロはゆっくりと目を開けて行く。目の前に猛り狂った
「ぁぁぁ⋯⋯」
その光景に、声にならない声を上げアウロは腰を抜かしてしまう。
アルシュの伸ばしたナイフが、落ちた刃と岩を止めるワイヤーの間に刺しこまれていた。
腕を伸ばしたまま固まっているアルシュの姿が、アウロの目に飛び込む。岩へと繋がるワイヤーは、軋んではいるものの、ナイフの横腹が切断を拒んでいた。短いナイフの刃が、街を守る最後の盾となった。
「⋯⋯ぶっはぁ~」
アルシュは大きく息を吐き出し、緊張を解こうと試みる。肩で大きく息を吐きながら、腕は伸びきったまま緊張と興奮が混じり合い、何も考えられずにいた。
「ア、ア、アルシュさん! や、やりましたよ! 凄い、凄いです!」
アウロの声に振り返って見せるが、目を見開いたままアルシュの表情は固まっている。
アウロはアルシュの元へと駆け寄り、ナイフを握る手をゆっくりと外していった。ナイフはそのまま刃とワイヤーの隙間に挟んでおく。勢いを失った刃にワイヤーを断ち切る力は無い。だが、その最後の盾を取り除くのは、どうにも阻まれた。
ナイフから手が離れると、アルシュは膝から崩れ落ちた。何も考えらず、うるさい拍動だけが、耳元で鳴っている。
自失のアルシュ。その肩を揺さぶり、アウロは興奮を抑えられなかった。
「やりましたよ! もうダメかと思ったけど、アルシュさんが止めてくれましたよ! ありがとうございます!」
拍動に混じるアウロの歓喜に、止まっていた思考がゆっくりと流れ始めた。
止めた? オレが? そうか⋯⋯止まったのか。
ガツッ、ガツッ、と激しい衝突音にアルシュは視線を向ける。閉じられている門に、激しく体をぶつける猛り狂った
何十、いや、百はいるかも知れないその光景に、背筋から冷たいものが流れ落ちる。
ふたりの姿を見つけ、興奮状態に陥る姿に恐怖を覚え、これが放たれていたらと想像し、身震いした。
「もし、この数が放たれていたら⋯⋯そう思うと絶望しますね」
アウロもまた真剣な眼差しで、その光景に見入っている。
「やっぱりそうか。数十頭で充分って言ってたもんな」
「はい」
ふたりは揃って、門の中へと思いを寄せる。
まさか他にもあるのか? そうなればお手上げだな。
「アウロ。悪いが、街に戻って
「分かりました」
駆け出すアウロの後ろ姿に、ようやく落ち着きを取り戻した。
「アウロー! こいつは、あんたの手柄だ!!」
小さくなって行く後ろ姿に声を掛けると、小さな影が何度も振り返りペコペコと頭を下げて見せた。
「フフ⋯⋯さて、お前らもついてないよな、捕まった相手が悪かった」
猛り狂うその姿にアルシュは寂し気に呟く。
◇◇◇◇
北の空が青くなって行きます。
厳密に言えば、黒い嵐が消えていました。やがて青空は南下を始め、黒い嵐はどんどん消えて行き、雲ひとつない青空が北から広がって行きます。
私達はその空に見入っていました。こんなに綺麗な青空は見た事が無いかも知れません。今までのどんよりと鬱々とした空が、青く塗り潰されて行きます。
動く事の無かった重苦しい空気が、爽やかな心地よい風に吹き消されます。その風に乗って聞こえて来るのは安堵と歓喜を纏う歓声でした。
「「「勇者が勝った!!
私達のところにもその歓声が届きます。寝ている人達も、その歓喜の渦に巻き込まれ、安堵と喜びに包まれて行きました。
終わった⋯⋯終わったんだ。
ポロポロと私の目から、涙が零れ落ちます。喜びなのか、終わったという安堵なのか、その涙の
「エレナ! 良くやった! あんた頑張ったよ! 良くやった!」
ペスカさんがくしゃくしゃの笑顔で、私の肩を力強く抱いてくれます。
終わったのは嬉しいです。でも、何かが足りない。
そうです。まだ、みんなの無事を確認出来ていません。負傷を負っている人達もまだいます。
まだ終わりじゃない。
パチン! と両頬を叩き、集中を上げます。まだするべき事は残っています。
「ペスカさん。私達は、もう少しだけ頑張りましょう」
ペスカさんは少し驚いた顔を見せ、すぐに頷いてくれました。
「さすが、エレナ。さぁ! みんな! 終わりは見えたよ! もうひと踏ん張りだ!」
ペスカさんの檄にみんな大きく頷き、持ち場へと戻って行きます。
気が付けば私達の頭上は抜けるような青空を見せていて、その青空はさらに南下し続けます。きっとみんなのいるミドラスまで、この青空は続いていくのでしょう。
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