第272話 見上げる空

—— 少し先の同時刻。


「ルルライシュー・コーエンミラル」

「アマン・マヌエ」

「ラウダ・グルゲン」


「「「反逆罪の嫌疑が掛かっている。中央セントラルまで御同行願おう」」」


 中央セントラル衛兵ガード隊が、一斉に踏み込んだ。

 ルルは自宅。アマンはギルド。そしてラウダは高級住宅街の隠れ家と三者三様の場所で、抵抗する事もなく静かに拘束されていく。

 ルルはジロリと嫌悪の睨みを利かせ、アマンの張り付いた笑みは強張りを見せた。

 ラウダはやれやれとばかりに大きく溜め息をつき、醜く口端を上げる。その醜悪な笑みに、衛兵ガード達は一瞬の戸惑いを見せた。だが、臆する事なくラウダを後ろ手に縛り上げていく。


「いい気なものだな。私を縛り上げたところで、大きな変革のうねりは止まらないのだよ。お前達のその間抜け面が、蒼ざめて行く光景が目に浮かぶ! 街は阿鼻叫喚! のうのうと生きていられるのも今の内だ! いいか! こんな事をしたところで、何の意味も持たぬのだよ! 分かっているのかっ!!」

「静かにしろ!」

「止めろ! 放せ!!」


 口泡を飛ばし、興奮を見せるラウダの頭を後ろから押さえ付けると、ひとりのドワーフがその横に立った。


「うっさいのう! ピーピー喚くな、いい年こいた爺が! 何も起こらんわ! さっさと連れて行け」


 喚き散らしながら引きずられて行くラウダに、インゴはやれやれと嘆息する。



「やあ、ルル。いい格好だね」


 自宅の居間で取り押さえられたルルの前に、衛兵ガードとは異なる異彩を放つ女が立った。

 怪訝な表情を向けるルルに、女はニコリと粘着質な笑みを返す。


「何だ、お前は? 中央セントラルの者ではないな。こんなところで遊んでいていいのか? その時タイムリミットは、すぐそこまで来ているというのに」

「う~ん。なるほどね⋯⋯」


 落ち着いた表情で、静かに言葉を紡ぐルル。精神的な有利から来るその余裕は、不敵にさえ映った。わざとらしく考え込む女の姿は、ルルから余裕を奪い、怪訝な表情を女に向ける。その表情に、女はさらに粘着質な笑みを深めて見せた。


「何が可笑しい?」

「アハ。いやいや、だってさ、何も起こっていないよ? 何しようとしていたのか知らないけどさ」

「愚か者め! これから起こるのだ! お前達の慌てふためく姿が目に映る!」

「アハハ。いやいや、だから何も起こらないって。もう連れって行っていいよ」


 笑みを浮かべたまま女はルルを顎で指す。その動きに呼応し、衛兵ガードが両脇をがっちりと固めた。


「分かりました。来い!」

「女! お前の顔を覚えたからな」

「あらぁ~怖い。【ブラウブラッタレギオ(青い蛾)】のシーアだよ。いつでも遊びにおいで。あ! ごめん、もう二度と会えないや。今回は出られないから、覚悟しておきなね」

「!!」


 ルルの心を見透かし逆撫でするシーアの言葉に、ルルは驚愕と困惑を見せる。それまでも見透かしていたのか、シーアは軽く肩をすくめて見せた。


「そんなにびっくりする事? あんたの後ろ盾はもうないよ」

「何を言う⋯⋯」


 強い拒否反応を見せるルルの耳元にシーアは口を寄せる。


(【ノクスニンファレギオ】副団長セルバ、そして勇者アントワーヌ。あ、元副団長と元勇者か。あんたの後ろ盾は、もう潰したよ)


 シーアの囁きにルルは大きく目を見開いた。驚愕から言葉を一瞬失い、思考が停止したのが手に取るように伝わる。


「そ、そんなバカな! いい加減な事を言うな!」

「うるさいな、大きい声出さないでよ。バイバイ、うるさいから連れて行って」


 ルルが何かを喚いていたが、シーアは耳を塞ぎ聞こうとはしなかった。


「んで、アルシュのやつはどこほっつき歩いてんだ。人にばっか仕事させて、あんにゃろうめ」


 シーアが南の空を睨んだ。


◇◇


 ———ラウダ達連行の数刻前。



 アウロはゆっくりと目を開けて行く。目の前に猛り狂った灰熊オウルベアーがいない事を祈り、重く感じる瞼を開ける。


「ぁぁぁ⋯⋯」


 その光景に、声にならない声を上げアウロは腰を抜かしてしまう。

 

 アルシュの伸ばしたナイフが、落ちた刃と岩を止めるワイヤーの間に刺しこまれていた。

 腕を伸ばしたまま固まっているアルシュの姿が、アウロの目に飛び込む。岩へと繋がるワイヤーは、軋んではいるものの、ナイフの横腹が切断を拒んでいた。短いナイフの刃が、街を守る最後の盾となった。


「⋯⋯ぶっはぁ~」


 アルシュは大きく息を吐き出し、緊張を解こうと試みる。肩で大きく息を吐きながら、腕は伸びきったまま緊張と興奮が混じり合い、何も考えられずにいた。


「ア、ア、アルシュさん! や、やりましたよ! 凄い、凄いです!」


 アウロの声に振り返って見せるが、目を見開いたままアルシュの表情は固まっている。

 アウロはアルシュの元へと駆け寄り、ナイフを握る手をゆっくりと外していった。ナイフはそのまま刃とワイヤーの隙間に挟んでおく。勢いを失った刃にワイヤーを断ち切る力は無い。だが、その最後の盾を取り除くのは、どうにも阻まれた。

 ナイフから手が離れると、アルシュは膝から崩れ落ちた。何も考えらず、うるさい拍動だけが、耳元で鳴っている。

 自失のアルシュ。その肩を揺さぶり、アウロは興奮を抑えられなかった。


「やりましたよ! もうダメかと思ったけど、アルシュさんが止めてくれましたよ! ありがとうございます!」


 拍動に混じるアウロの歓喜に、止まっていた思考がゆっくりと流れ始めた。

 止めた? オレが? そうか⋯⋯止まったのか。

 ガツッ、ガツッ、と激しい衝突音にアルシュは視線を向ける。閉じられている門に、激しく体をぶつける猛り狂った灰熊オウルベアー達の姿が映った。

 何十、いや、百はいるかも知れないその光景に、背筋から冷たいものが流れ落ちる。

 ふたりの姿を見つけ、興奮状態に陥る姿に恐怖を覚え、これが放たれていたらと想像し、身震いした。


「もし、この数が放たれていたら⋯⋯そう思うと絶望しますね」


 アウロもまた真剣な眼差しで、その光景に見入っている。動物モンスターを良く知るアウロの言葉は、説得力があった。


「やっぱりそうか。数十頭で充分って言ってたもんな」

「はい」


 ふたりは揃って、門の中へと思いを寄せる。混乱パニックは、放たれなかった。その事への安堵から、思考がゆっくりと動き始める。

 まさか他にもあるのか? そうなればお手上げだな。


「アウロ。悪いが、街に戻って中央セントラル衛兵ガードに、この事を伝えて来てくれ。街の警備に団体さんで来ているはずだ。オレは念の為ここで中央セントラルを待つ。気を付けてくれ、まだ終わったわけじゃない。頼んだぞ」

「分かりました」


 駆け出すアウロの後ろ姿に、ようやく落ち着きを取り戻した。


「アウロー! こいつは、あんたの手柄だ!!」


 小さくなって行く後ろ姿に声を掛けると、小さな影が何度も振り返りペコペコと頭を下げて見せた。


「フフ⋯⋯さて、お前らもついてないよな、捕まった相手が悪かった」


 猛り狂うその姿にアルシュは寂し気に呟く。


◇◇◇◇


 北の空が青くなって行きます。

 厳密に言えば、黒い嵐が消えていました。やがて青空は南下を始め、黒い嵐はどんどん消えて行き、雲ひとつない青空が北から広がって行きます。

 私達はその空に見入っていました。こんなに綺麗な青空は見た事が無いかも知れません。今までのどんよりと鬱々とした空が、青く塗り潰されて行きます。

 動く事の無かった重苦しい空気が、爽やかな心地よい風に吹き消されます。その風に乗って聞こえて来るのは安堵と歓喜を纏う歓声でした。


「「「勇者が勝った!! ドラゴンを倒したぞ!!」」」


 私達のところにもその歓声が届きます。寝ている人達も、その歓喜の渦に巻き込まれ、安堵と喜びに包まれて行きました。

 終わった⋯⋯終わったんだ。

 ポロポロと私の目から、涙が零れ落ちます。喜びなのか、終わったという安堵なのか、その涙の理由わけは私にも分かりませんでした。


「エレナ! 良くやった! あんた頑張ったよ! 良くやった!」


 ペスカさんがくしゃくしゃの笑顔で、私の肩を力強く抱いてくれます。

 終わったのは嬉しいです。でも、何かが足りない。

 そうです。まだ、みんなの無事を確認出来ていません。負傷を負っている人達もまだいます。

 まだ終わりじゃない。

 パチン! と両頬を叩き、集中を上げます。まだするべき事は残っています。


「ペスカさん。私達は、もう少しだけ頑張りましょう」


 ペスカさんは少し驚いた顔を見せ、すぐに頷いてくれました。


「さすが、エレナ。さぁ! みんな! 終わりは見えたよ! もうひと踏ん張りだ!」


 ペスカさんの檄にみんな大きく頷き、持ち場へと戻って行きます。

 気が付けば私達の頭上は抜けるような青空を見せていて、その青空はさらに南下し続けます。きっとみんなのいるミドラスまで、この青空は続いていくのでしょう。

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