第271話 祭りの終わり

 陽気に盛り上げていた楽団が、音を止める。急な静けさは、街の緊張感を一気に高めた。これから何が始まるのか、言わなくともその緊張が教えてくれる。


『『『お待たせいたしました! 結果発表です!』』』


 疲れ果てたモモとフィリシアは、裏手の集計所でへたり込みながら、街中に響き渡るその声を聞いていた。

 フィリシアは大きく天を仰ぎ、終わった安堵に浸る。


「一生分のネズミを見たよ」

「一生じゃ利かないかも。しばらくネズミはいいわ」


 モモも隣で同じく天を仰いだ。やり切った充足感と何事も起こらなかった安堵から、表情は自然に緩む。


「ふたりともお疲れ。アウロはこっち? 街中で見なかったんだけど」


 裏手からひょっこりと顔を見せるラーサに、モモが疲れた顔を向ける。


「ラーサもお疲れ。何かデルクスさんを呼び出して、どこかに行っちゃったって。そっちはどう? 問題は無かったのかしら?」

「いいのか悪いのか、問題なしだったよ。そういやぁ、アルシュも見かけないけど何かあったのかな?」

「さぁ? フィリシアは何か知っている?」

「いやぁ~知らない」


 首を横に振るフィリシアに、モモとラーサも肩をすくめ合った。


「何にせよ、ここまで来たら結果を待つのみじゃない?」

「だな」

「さすがに疲れたよ」


 三人は微笑みながら安堵感を満喫する。

 嵐のように過ぎ去った時間は、体力と気力も吹き飛ばした。今は抜け殻となった体と、空っぽになった頭に何もする気が起きない。


『『『第三位は⋯⋯!!』』』


 遠くに聞こえる伝声管の煽る声も、三人の耳には届いていなかった。


◇◇◇◇


 焦りばかりが先行し、体がついていかない。

 静かな森に響き渡るアウロの切迫した叫びが、アルシュの体を動かした。

 

 目に飛び込んで来た茫然と佇むアウロの姿。その前に忽然と現れた大きな門。

 その奥で蠢く何かは直ぐに感じ取れた。だが、何かを確認する間など無く、危機は眼前に迫り、止まっていた思考が濁流のように一気に流れ始める。


 大きな門を閉じているワイヤーが、滑車を通じて下へと伸びていた。そこに括りつけられている大きな岩。そしてその岩の落下を食い止めているワイヤーが横へと伸びていた。

 横へと伸びたワイヤーに狙い定めている刃が、頭上で鈍い光を放つ。

 その刃から伸びるワイヤーを止める鍵状の簡易な留め金フック。そしてその留め金フックをかち上げるべく落ち続けている砂時計が無情な時を刻んでいる。

 徐々に傾く砂時計が、今まさに留め金フックを外そうと傾いていた。

 目に映るその光景にアルシュの思考は激しく巡る。

 どうする?

 どうなる?

 無情にも砂時計は落ち切った。支えを失えば、頭上の刃は音も無く落下してしまう。そしてその刃は岩の支えを断ち切り、岩は下へと勢いを増しながら、その自重で門を簡単に開けてしまうだろう。

 堰き止めていたものが放たれてしまえば、その先にあるのは凄惨な混乱パニックでしかない。


 止めねば!

 濁流のように押し寄せる思考はその一点に、焦点フォーカスした。アルシュは動かない体に焦燥しながらも、反射的に門へと跳ねる。


 ゆっくりと傾く砂時計が、刃を支えた留め金フックをカチリと跳ね上げた。

 時間がゆっくりと進む。自身の動きも、もどかしいほど緩慢となり、頭の中の濁流は真っ白に塗り潰された。


「アルシュさん!!」


 アウロの叫びが、時間を動かす。

 届け!!

 ナイフを握るアルシュの腕が必死に伸びる。

 容赦なく落下する刃。世界を終わりへと導く門を開こうと、無慈悲に刃は落下する。

 絶望とも思えるこの状況に、アウロは覚悟を決めた。逃げるのも忘れ、両目をギュっと固く瞑る。


『『『ガァアアアアアアアアアアッツツツツ!!!!』』』


 堰を切ったかのように起こる、灰熊オウルベアーの咆哮。耳を貫くその咆哮は恐怖を運び、あの日の灰熊オウルベアーの姿が再び脳裏を襲った。


◇◇◇◇


 咆哮。怒号。悲鳴。

 恐怖。焦燥。絶望。


 擦り切れる体力と気力に、限界はとうに過ぎています。


 何で? どうして?


 そんな疑問すら、とうに起きなくなっていました。


「エレナ! 点滴をこっちに!」

「ペスカさん、これが最後です」

「薬は?」

「⋯⋯もうすでにありません」


 ヤクロウさんが増やしてくれた薬も、負傷者の大波に簡単に飲まれてしまいました。

 何も出来ない。

 そんな弱気がすぐに顔を出し、私は何度も頭を振ってその思いを振り切って行きます。弱々しく伸びる手を握り、掛ける言葉を探し続けます。

 

 直ぐに治します、もう大丈夫、心配しないで、頑張って。

 

 どの言葉も説得力を失い、紡がれる言葉は泡となって消えて行きました。両手でその手をしっかりと握り返し、そっと胸の上に置いて行きます。それは悲しい繰り返し。


「お嬢、消毒液。こいつで最後だ」


 お酒から酒精アルコールを抽出して、ヤクロウさんが簡易的な消毒液を作ってくれました。ヤクロウさんも、知恵を絞りいろいろと手を尽くしてくれましたが、資材が圧倒的に足りません。もどかしさを募らせるヤクロウさんの表情は厳しいままでした。


「ありがとうございます。ペスカさんに渡してきますね」

「お嬢、大丈夫か?」

「珍しいですね。ヤクロウさんが気遣ってくれるなんて」

「無理すんなとは言えねえ状況だ。だが、無理し過ぎるな。自分が壊れたら意味がねえぞ」


 いつもと違うヤクロウさんの真剣な表情に、軽口は奥へと引っ込んでしまいます。

 でも、大丈夫。何故かそう思えました。


「はい、ありがとうございます。でも、きっと大丈夫です。ハルさんやキルロさんがきっと何とかしてくれますよ。いつもそうじゃないですか」


 私の言葉を聞いたヤクロウさんは、ゆっくりと顎に手を置き少しだけ笑みを見せてくれました。


「違いねぇ、やつらなら何とかするな。んじゃ、もうひと踏ん張りするか」

「はい」


 私達は吹き荒れる黒い嵐に立ち上がります。ヤクロウさんと言葉を交わす事で、あらためて前を向く事を思い出せました。

 モモさんが技術を教えてくれて、縫う練習にいつも付き添ってくれました。

 ラーサさんが薬や点滴の使い方を、フィリシアは骨や筋肉の事を。

 アウロさんが動物モンスターの生態をたくさん教えてくれて、ハルさんは顔を上げて前に進む事を教えてくれました。

 大丈夫。

 みんなの教えを思い出して進めば、私はまだ大丈夫。出来る事は、まだまだあるはずです。


「誰か! こっちを手伝ってくれ!」

「どうしました?」


 医療班に肩を支えられながら、ゆっくりと歩いている獣人の姿が映りました。腕を押さえている手の隙間から、血がしたたり落ちています。

 私は負傷者の元へと駆け出しました。外観から現状を急いで探っていきます。

 傷は深そうですが、顔色はそこまで悪くないですね。他に大きな外傷は、外から確認出来ません。内臓の損傷は免れたと見ていいのでしょうか。


「頼むぞ」

「はい。腕以外で気になるところはありますか?」


 黙って首を振るのを確認して、押さえている手をそっとどかしていきます。

 やはり深いですね。

 真っ赤な血の奥に白っぽいものが見えました。切り傷が骨まで届いています。ヒールが欲しいですが、治療師ヒーラーに余裕はありません。こちらで何とかしなければ。

 モモさんの教えを思い出します。大きな血管の損傷と深度の確認。食堂で練習した手順を思い返し、心配を掛けない様にと微笑んで見せました。


「大丈夫ですよ。消毒して縫いますね。急いで処置するので、痛いですが我慢して下さい。行きます!」

「⋯⋯ぐぅ⋯⋯」


 消毒液を振り掛けると顔をしかめます。染みますよね。

 すぐに針と糸を手にして、まずは奥の傷を縫っていきます。不幸中の幸い、太い血管の損傷は免れていました。もし、血管が破けていたら私では手に負えませんからね。躊躇している時間などありません。私は必死に手を動かすだけです。

 出来る事はあるのです。

 下を向いている場合ではありません。ハルさんやキルロさん達、みんなが帰って来るまで私がここを守るのです。


「応急処置は終わりです。現場が落ち着いたら、治療師ヒーラーさんに診て貰って下さいね」


 痛みに耐えながら、頷く姿に私は顔を上げます。

 あれ? 嵐が止まった?

 気が付くと、吹き荒れていたはずの嵐がピタっと止まり、空気が凪いでいました。

 違和感を覚えたのは私だけでは無かったようです。何人かが顔を上げ、腰をゆっくりと上げると、当たりをキョロキョロと見回し、困惑していました。

 刹那、北方で眩い一柱の光が、天を貫いて行きます。凝視出来ないほどの眩い光に、思わず目を凝らしてしまいました。


「キ⋯⋯ノ⋯⋯?」


 無意識に零れた言葉。気が付くと胸のポケットにしまっていたキノのピアスを、ギュっと握り締めていました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る