第270話 後を追う者達

 立ち止まり、立ち上がり、また進む。辺りの臭いを嗅ぎ、また進む。

 この辺りなのか?

 後ろに続くアルシュとアウロは、ローグが立ち止まる度に緊張の高まりと、心拍の高鳴りを見せて行った。

 そんなふたりのもどかしい思いなど気にも留めず、ローグは何事も無かったかのように再び奥へと進む。肩透かしの度に、ふたりは大きく嘆息。それを幾度も繰り返していた。

 ふたりはこの緊迫した状況に言葉を交わす事などとうに忘れ、灰毛の熊を淡々と追う。

 立ち上がり、また辺りの臭いを嗅ぐ。いつものその動き。だが、唐突に一点を見つめ止まった。いつもと違う動きに、ふたりは黙ってその姿を見守る事しか出来ない。

 ローグの歩くスピードが徐々に上がっていく。見つめていた一点へと急ぐ姿。確実に何かを見つけたその動きに、後ろを行くふたりの心拍はさらに高鳴りを見せた。


 迷いの無いローグの足運びに、灰熊オウルベアーの存在は確信へと変わる。ただ、それが求めるものなのか、そうではないのか、緊張はさらに上がり続けた。

 後ろに流れる枝葉の映像は早くなり、前を行くローグは軽やかに駆け抜ける。パキパキと落ちた枝を踏む音しか聞こえない。アルシュも耳をそばだて、灰熊オウルベアーの影を求めるが、その影を踏む事すら出来なかった。

 走り続けるローグのスピードが上がって行く。

 後ろを行くアウロの呼吸は苦しそうに喘ぎ、距離は徐々に離れて行った。アルシュは必死に喰らい付く。だが、見失わないようにするのが精一杯で、アウロと同じように呼吸は簡単に乱れていった。

 どこまで行く気だ?

 破裂しそうな心臓で必死に喰らい付き、後を追う。

 見失うな。

 その思いだけが、アルシュの足を動かしていた。それでも限界は訪れる。軽やかに駆けぬけるローグとは対照的に、アルシュの足は止まって行く。

 まだか⋯⋯。

 距離が開き始めると、ローグの足は唐突に止まった。

 爆発しかけの肺がギリギリのところで止まり、胸を撫で下ろす。


「おまえ、速過ぎだ。ちっとは抑え⋯⋯ろ」


 両手を膝に突き、息を整える。顔上げた先に映る違和感。

 アルシュは目を凝らし、前方を睨む。びっしりと不自然に垂れ下がるツタが見えると、ゆっくりとそこに近づいて行った。


「アウロ、早く来ーい!」


 見つけた。

 その光景の全身の毛穴が開き、心臓は大きな高鳴をみせる。

 ツタの奥に見え隠れするのは、迷彩色に塗られた分厚く高い壁。

 ローグが壁にガリガリと爪を立てた。

 壁の向こうから人ではない何かの蠢きを感じる。

 間違い無い。いる。


「良く見つけた」


 ローグの背中に手を置き、大きく息を吐き出すとアルシュは口端を上げた。張り続けていた緊張から解放され、空気は少しばかり弛緩する。

 探し物は塀の中。閉じ込めた状態での発見は、最良の答えだ。


「随分としっかりとした壁ですね」


 大きく肩で息をしながら、アウロはその高い壁を見上げた。


「頑丈にしないとならなかったって事だろ。とりあえず、ヤツらの仲間がいないか、気を付けろ。入り口を探して中を確認するぞ」

「分かりました」


 アウロと分かれ、壁沿いに進んだ。人の気配は感じない。時おり聞こえる小さな呻きが、不穏を運ぶ。安堵したのも束の間、その呻きにスッキリとしない心持ちのまま足を動かて行った。

 そびえ立つ壁は集合住宅ほどの高さを見せ、大きな工場ほどの広さを見せる。

 クスの繁殖場と同じくらいか。

 余程見つけて欲しくないのであろう。壁はどこも迷彩色に塗られ、必死に存在を隠そうと苦心した跡が見える。

 やはり誰もいないな。どうやって熊を放つ気だったんだ? これから現れる? こっちが先に着いたって事か?

 頭の中に疑問符が踊りながらも、壁沿いをアルシュはゆっくりと進んだ。

 警戒は解かない。だが、心の片隅では、もう大丈夫と安堵しているのも否定出来なかった。


「ァ⋯⋯ァ⋯⋯アルシュさん!! すぐ来て下さい!! 早く!!!」


 その安堵を掻き消すアウロの叫び。急な呼び声にアルシュの体は素早い反応を見せる。地面を力強く蹴り上げ、アウロの呼ぶ方へと無心で駆け出した。

 何が起こっている? 何が起こった?

 心臓は激しくポンプし、拍動は一気に上がる。心の片隅にあった安堵は消え去り、不安が一気に襲って来た。

 時間などほんの一瞬に過ぎない。ただその一瞬で焦燥は爆発を見せる。

 駆け抜けた先に飛び込んで来たアウロの茫然と佇む姿とその光景に、アルシュの目は見開く。時間の流れは緩慢に感じ、体は思う様に動かない。そして焦燥は思考すら止めようとしていた。


「アウロー!! どけっー!!!」


 静かな森に響き渡るアルシュの悲痛な叫び。思考の止まっていたアウロは、その叫びに再び思考が動き始める。

 アルシュは緩慢な時間の流れに抗い、アウロの前へと飛び込んで行った。


◇◇◇◇


 ドーン! ドーン! と、空砲の白煙が小さな雲を作る。祭りフィエスタの終わりを告げるその合図に、集う住人達が顔上げた。


『『『終了―!! ここまで!! 参加者は速やかに集計所に集合して下さい!! さぁ、優勝は誰の手に渡る!? 【オルファステイム】の逃げ切りか?! はたまた【イリスアーラテイム】の追い上げで逆転してしまうのか?! それとも一気に逆転する強者が現れるのか?! 予断を許さない状況です! 集計が出るまで、しばし祭りの余韻を楽しんで下さい! 結果発表はもう間もなくだ!!』』』


 祭りの終わりを告げる伝声管の声。楽団が陽気な音を高らかに鳴らし、祭りのクライマックスへと誘って行く。


「フィリシア、お疲れ。あれ? デルクスさんは?」


 紅白の腕章を付けたモモが、見回りから集計所へ戻るとキョロキョロ辺りを見回した。


「うん? 何かアウロさんに呼ばれて出て行って、それっきり」

「アウロに? 何かな?」

「さぁね。そんな事よりさ、こっち手伝って! 数がヤバくて集計が追いつかないよ」

「うん、そのつもりで来たのよ。しかし、本当に凄い数ね」


 山と積まれたケージには参加者の札が張ってあり、スタッフ達は数え終わったネズミを大きなケージへと移し替えていた。


「この大きなケージも、もう五個目だよ。ここから一気に増えるでしょう、間に合うかな」

「さすがに大丈夫じゃない」

「ねえ、街の様子はどうだった? こっちは籠りっぱだったからさ」

「そうね⋯⋯大きな問題トラブルも無く、思っていた以上に好評だったわ。飲食物を扱う店、特に露店の方達は毎日でもやってくれって。厄介なネズミを勝手に退治して貰えるのだから、そう思うわよね」

「そっか。勝手にネズミ退治して貰っている感じかぁ。それなら文句は出ないか。あ、菌はどう? こっちで怪しいのはいなかったけど⋯⋯」


 フィリシアは回りの目を気にしながら、モモの耳元に口を寄せた。


「こっちもよ。多少、傷を受けた仔もいたけど、今の所全て陰性」

「やっぱり、アルシュが全部片づけたのかな?」

「ね。でも、どうかな。デルクスもいないし、アウロも見かけない。もしかしたら、何かふたりで動いているのかもね」

「集計がイヤで逃げているわけじゃないと」

「フィリシアじゃないんだから、あのふたりに限ってそれは無いでしょう」

「ぐぬ。ちゃんと数えているじゃん」

「本番はこれからでしょう」

「ぅぅ⋯⋯確かに」

「フフ」


 先を想像してガックリと肩を落とすフィリシアの姿に、モモは思わず吹き出してしまう。そうこうしている間にも、次々に運び込まれるケージに溜め息が零れていった。


「さぁて、やりますかね」

「そうね」


 ふたりは気合いを入れ直し、山と積まれたケージに対峙して行く。

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