第269話 焦燥を運ぶもの

「お嬢、これがラストだ」

「え?! もう!? そうですか⋯⋯」


 ヤクロウさんが箱一杯の回復薬を広げ、沈痛な面持ちを見せます。

 あとこれだけ⋯⋯。

 負傷者のペースが落ちなければ、あっという間に底をつくのが目に見えました。

 止めどない負傷者の波は、荒波となって私達に向かいます。その波に抗い続ける救護班の疲労は、とうにピークを越えていました。

 ドサっと何かが倒れる音に、自然と視線はそちらへと向いて行きます。またひとり、魔力切れマインドレスを起こした治療師ヒーラーが、地面にうつ伏せてしまいました。肩に手を掛け起こされていく治療師ヒーラーの顔は病人のように蒼白で、ギリギリまで力を使ったのが分かります。

 疲弊した現場に追い打ちを掛けるように、黒い嵐はさらに激しく吹き荒れ、私達の気力を容赦なく削り取って行きました。絶望を運ぶその黒い嵐は、ゆっくりと私達の心を蝕んでいくのです。顔を上げて見渡したところで、光が見えない現状に絶望し、俯き、嘆き、心も体も動けなくなっている人で埋め尽くされていました。


「まだだよ、まだ」


 ペスカさんは、それだけ言って負傷者の元へと駆けて行きます。

 テントに入りきらない人々が地面に横たわり、苦痛に顔を歪め続けていました。

 ですよね。まだ俯くには早いですよね。

 私は顔を上げて、今一度真っ黒な空を見上げました。

 その空は憎らしいほど黒くて、憤りと、もどかしさが積み上がる私の心を映して見え、酷く不快に感じてしまいます。

 何か打つ手は無いでしょうか。

 必死に抗う手立てを考えます。止まらない荒波に、止まり掛ける思考を必死に動かして行きました。


「ヤクロウさん、薬の効能が多少薄くなってもいいので、どうにか増やす方法はありませんか?」

「また、無茶な事を⋯⋯そうだな⋯⋯回復効果を削って痛み止めに特化すれば、どうにかなるかも知れん。ただ、かなり強引だぞ、応急処置にすらならん可能性もあるぞ」


 少し渋い表情を見せるヤクロウさん。ただ、今は出来る事、望みを繋ぐ術となる可能性があるのなら、すがるしかないと思うのです。


「やりましょう。何を準備すればいいですか?」

「強い酒とルプールの細い枝、それとカコの葉だ。あんまり使いたくない手だが仕方あるまい」

「ここで揃いますか?」

「ここら辺でも見かけた。そう難しくはねえだろ」

「聞こえたよ。酒と枝、それとカコの葉だね。四の五の言っている状況じゃないからね。枝と葉は枯れていてもいいのかい?」


 私達の話を聞いていたのか、ペスカさんが私達の会話に割って入ります。


「ああ、大丈夫だ。ルプールの枝とカコの葉を酒で煮詰めると、枝と葉からカンナビダスという成分が出る。ま、手っ取り早い話、そいつはいけないお薬ドラッグだ。痛みを忘れるほどの酩酊状態になる。そいつを回復薬に足して、かさ増しをする」

「なるほど。そう言う事ね。動ける者で、すぐに集めよう。ヤクロウは準備を。エレナは引き続き、ここを頼む」

「はい」

「正念場だな」


 私達は頷き合うと、ヤクロウさんはすぐに竈に火を入れ準備を始めます。


「動ける者はこっちへ!」


 ペスカさんは大きく手招きし、枯れた森へと採取に向かいました。総勢20名ほどがペスカさんの先導で、森へと消えて行きます。何かしらの怪我を負い、痛む体を押し殺してペスカさんの後を追う姿に、私も気合いを入れ直しました。


「クッソ!! あいつら!!」

「落ち着いて下さい! 怪我に障ります! 落ち着いて下さい!」


 運ばれて来る方々の怒り、嘆き、悲しみ。今、ここにないのは喜びだけです。

 終われば笑えるのでしょうか? それとも悲しみに打ちひしがれるのでしょうか?

 今、考えても仕方ありません。ただ、気を抜くとそんな思いばかりが頭を過りました。


「クソ⋯⋯クソ⋯⋯」

「治療を始めますね」


 怒りはもどかしさへと変化し、動かせる腕は顔を覆います。

 大切な仲間を失ってしまったのでしょうか? 思うようにいかない憤りに、もどかしさを積み上げたのでしょうか?

 あらぬ方向へと曲がっている腕はブラブラと力は無く、骨が砕けている可能性を見せています。添え木を当て真っ直ぐに固定して、治療師ヒーラーを探しました。


治療師ヒーラーさん! いませんか!?」


 私の呼び掛けに返事はありません。私は立ち上がり、必死に治療師ヒーラーの影を求めます。薬も人も圧倒的に足りません。それでもこの困難を乗り切る為に、ギリギリまで抗わなくてはなりません。


◇◇◇◇


 喧騒は遠のき、静けさが覆う。いつもと違う雰囲気を感じるのは、迷いのある心持ちのせいなのか。

 アルシュとアウロ、そして【ハルヲンテイム】の灰熊オウルベアーのローグが南西の森の前で立ち止まる。人を拒む鬱蒼とした森を前に、アルシュは緊張していた。

 ここに無かったら。

 ここだけでは無かったら。

 これでダメだったら。

 弱気が顔を出しているアルシュに対し、アウロは対照的に落ち着き払っていた。


「なぁ、本当に見つかるのか?」


 不安な表情を見せるアルシュに、アウロは真顔で頷く。


「もし、この森に隠されているのなら、見つけると思います。灰熊オウルベアーは、集団で生活する珍しい習性を持つ熊です。仲間の匂いを見つけたら、そこに向かって一直線ですよ」

「言っても、なかなかの広さだぞ。見つかるなら御の字だけどな」

「熊の嗅覚って、犬の10倍なんですよ。森の中にいる仲間を見つけるのなんて簡単な事です。ただ、ここに隠されていればの話ですが」

「そこだよな」


 ふたりと一頭は、鬱蒼とした森へと足を踏み入れた。道無き道を踏みしめ、奥へと進んで行く。行く手を拒む枝葉を掻き分け、一歩一歩奥へと進んで行った。


「ローグ! よしよし、お前の仲間がいるか探しておくれ」


 アウロがペチペチと優しく背中を叩く。それを合図にして、大きな体をゆっくりと揺らしながらローグは道無き道を四つ足で力強く踏みしめて行った。

 大丈夫か?

 こんなんで本当に見つけられるのか? 

 焦りからなのか、淀みの無いローグの足取りをアルシュはどうにも懐疑的に見つめてしまう。

 いや、大丈夫に違いない。アウロを信じよう。

 これで見つける事が出来なければ、ここにはいないって事。それは、自身の予想が外れただけで、アウロ達には何も責任はない。

 ローグは時折立ち止まると、体を起こしてスンスンと匂いを嗅ぐ仕草を見せた。


「なぁ、これって灰熊オウルベアーがいるって事か?」

「ええ。仲間の匂いがするのでしょう」

「よっしゃ! んじゃあ⋯⋯」

「喜ぶのはまだ早いです。灰熊オウルベアーの匂いがすると言うだけで、隠されている仔達とは限りませんから」

「⋯⋯ぁ、そうか」


 アルシュの喜びは直ぐに、萎んでしまう。

 アウロの表情から集中は途切れていない。アルシュも気を取り直し、再び集中を上げ直した。

 ジワリと忍び寄る焦燥に、アルシュの体からはイヤな汗が噴き出る。暑くもないのに額や手の平にじんわりと汗が滲み始め、不快感だけが積み重なって行った。

 仲間を求め一心不乱に道を作って行くローグの後を、ふたりは必死について行く。

 奥に進むにつれ、ふたりの緊張は際限無く上がり続け、言葉を発する事など忘れていた。

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