第175話 新しい友達

「この仔にします。いい? お母さん」

「いいわよ。エレナさん、お願いします」

「かしこまりました。ありがとうございます」


 ソフィーちゃんは寝転んでいる子熊を指しました。名残惜しそうに背中のオルンモンキーの頭をひとつ撫で、私に背中を向けます。オルンモンキーをケージに戻し、灰熊オウルベアーに必要な物をハンジさんに手伝って貰いながら準備を進めました。餌箱やトイレなど小物を次々準備して行きます。

 準備の様子を眺めるおふたりからは、期待の膨らみを感じました。今から始まるこの仔との生活を想像して、ワクワクが止まらないのでしょう。

 飼い方が記載されているマニュアルをお渡しして、ご飯の上げ方や注意点について、ご説明していきます。ふたりのワクワクがこちらにも真っ直ぐに伝わって、お譲り出来て良かったと、心から思えました。


「⋯⋯以上です。分からない事や心配な事があれば、いつでもお問い合わせ下さい」

「分かりました。ソフィーもお礼言いなさい」

「エレナお姉ちゃん、ありがとうございます!」

「宜しくお願いします。仲良くしてあげてね」


 満面の笑みを返しくれたソフィーちゃんに心配は無いですね。


「それでおいくらかしら?」

「はっ! すいません。忘れていました。えーっと⋯⋯」


 あれ? 灰熊オウルベアーっていくら? メモメモ⋯⋯。あー、書いて無い!

 値段の決め方は何て言っていましたっけ? 取れる所から取る⋯⋯は、ちょっと違いますよね。確か仕入れ値の三倍? 二倍? あれ? あれ?


「どうかしまして?」


 ぐるぐると目を回している私の事を、不思議そうにアンナさんが覗き込みます。


「はい、あ、えー、10万ミルドです⋯⋯多分」

「多分?」


 あれ、高かったかな? でも、確か三倍って言っていた気がします。でも、そうすると13万5千ミルド⋯⋯そんな高いかな? うん? あれ?


「思ったより、安いわね。大きいから凄く高くなると思っていたわ。ハンジ、用意して頂戴」

「かしこまりました」


 安いのですか⋯⋯良かった⋯⋯のかな?

 そう言えば、あの時のお礼がまだでしたね。


「アンナさんにお礼を言わなければいけません。お店を代表して、お礼を申し上げます。お店の危機を救って頂き、先日はありがとうございました」


 キョトンと不思議そうな顔を一瞬しましたが、すぐに笑顔を見せてくれました。


「あぁ~。フフフ、ちょっと暑くなったからマスクを取っただけよ。オーバーね」

「いえいえ。アンナさんのおかげでお客さんが戻ってくれたので、店長も胸を撫で下ろしていました」

「私もあなたにお礼を言わないと。あなたのおかげで、ソフィーが毎日楽しそうなの。寂しい思いをさせてしまっているので、友達が出来て本当に良かった。ありがとう」

「そ、そんな、そんな⋯⋯。ソフィーちゃんも学校に行くようになったら、お友達はいっぱい出来ますよ」


 私の言葉にアンナさんはフッと溜め息を漏らされました。少し寂しそうな表情を、向こうで遊んでいるソフィーちゃんに向けます。


「私の仕事があれなので、学校には⋯⋯ね。ある事無い事詮索されたり、いろいろと面倒なのよ。仕方の無い事とはいえ、ソフィーにはあまり気にせずに、のびのび育って欲しいのだけど⋯⋯なかなかね」

「そうなのですか、いろいろと大変ですね」

「フフ、ごめんなさい。愚痴ってしまったわ」


 苦笑いを浮かべるアンナさん。有名でお金があっても、全てが幸せと言うわけには行かないのですね。

 でも、飾らないアンナさんの事をますます好きになってしまいました。


「いえ。いっぱいお話が出来て嬉しいです。まぁ、聞いた所で何の役にも立てないですけど」

「そんな事無いわよ。ソフィーは笑顔になって、私はすっきりするから」


 最後にまた、美しくも満面の笑顔を見せてくれました。


◇◇


 ——— 後日。


早駆けそくたつでーす!」

「ぁ⋯⋯。エレナー!! 早駆けー!」

「はーい」


 早駆け? 私に? 

 思い当たる節が全く無く、フィリシアに呼ばれるままに、受付に向かいました。


「はい、これ」

「ありがとう」


 綺麗な水色の封筒を受け取り、首を傾げます。差出人の所に名前の記載は無く、少し気味悪く感じてしまいました。


「誰から?」

「分かんない。誰だろう??」

「えぇー宛名無し? とりあえず、開けてみなよ」

「う、うん」


 ペーパーナイフで、綺麗に封を開けると中から手紙とチケットが六枚。

 手紙を開くと拙い字で、ありがとうの文字と仲良くやっているよと書いてありました。

 これは、ソフィーちゃんですね! と言う事は、このチケットって⋯⋯。

 チケットにはアンナさんのサインが入っています。これ、アンナさんの舞台のチケットだ!


「なになに? 何だった?」

「アンナさんがチケットをくれた⋯⋯サイン入りで」

「「えええええええええええーーー!!」」

「ちょ、ちょっと声大きいって」

「見せて! 見せて! うほぉー! 本物だー!」


 フガフガ興奮状態のフィリシアはさておき、もう一枚手紙が入っていました。こちらは綺麗な文字で感謝の言葉を綴ってくれています。

 追伸には、感謝の意として、従業員の皆様にチケットを贈ると綴られ、来場の際は連絡が欲しいという主旨も書かれていました。


「従業員の皆様へ、だって。一枚はフィリシアのだね」

「本当! やったぁあああー!」

「でも、行く時に連絡が欲しいって書いてあるから、みんなで一緒に行かなきゃだよね」



「行く、行く」

「エレナ、やるな」


 モモさんとラーサさんは二つ返事で、手を上げます。


「私はいいわ。お店もあるし、そこまで興味も無いしね。行きたい人を連れて行ってあげなよ」

「僕も店を見ているから、みんなで行って来るといい」


 ハルさんとアウロさんは、快く送り出してくれました。

 さて、残り二枚をどうしましょう?


◇◇◇


「きょ、きょ、今日はお招きありがとうございますです」

「い、いえ。頂いたチケットなので⋯⋯」

「エレナ⋯⋯これ食べていい?」

「え? ど、どれ? いいのかな? いいと思うよ⋯⋯」


 フェインさんとキノを誘いました。ふたりとも舞台鑑賞は、初めてだそうです。フェインさんは、厳かな劇場の雰囲気にかなり前からガチガチでした。

 

 先日と同じ様に、行列を横目に上階の特別席です。せり出した部屋からは、舞台を見下ろす事が出来ます。

 私達だけでは少し弄んでしまう広い部屋に、たくさんの料理やデザートが用意されていました。先日の部屋も相当でしたが、今日のこれはこの間の比ではないですね。凄いです。こんな立派な部屋に招待して頂いて、フェインさんと一緒に緊張しています。


「凄い! 凄い!」


 フィリシアのテンションは天井知らずで上がって行きます。


「見やすくていいわね」


 モモさんは、下を覗き込み満足げな笑みを浮かべます。


「こいつは凄いな」


 ラーサさんもモモさんと一緒に下を覗き込んで、感嘆の声を上げて行きました。

 

「⋯⋯こんにちは」

「あ! ソフィーちゃん!?」


 扉からかわいい声と共に、突然顔を出したのはソフィーちゃんでした。いきなり扉が開いて、びっくりしちゃったけど、すぐに笑顔になります。


「一緒に観てもいいですか?」

「もちろんですよ。みなさん! ソフィーちゃんです」


 みんなを紹介して行くと、固かったソフィーちゃんの表情もすぐに柔らかくなります。キノに至っては、自分より小さな子が嬉しいのか胸を張って謎のお姉さんアピールです。


「食べる? 食べていいのよ」

「ありがとうございます?」

「キノ、ほどほどにしなさい。そんなにいっぱい食べられないよ」

「え?! なんで?!」


 キノは次から次へと差し出していた手を止め、驚いた顔を見せます。

 何でそんなにびっくりするかな。キノが食べ過ぎなのですよ。

 そんなやり取りをみんなで笑い合っていると、暗転して劇が始まります。

 今回のアンナさんの役どころは、変わり者のお姫様でした。無能なフリをしながらも、実はとても頭が良くて、知らず知らずのうちにみんなを幸せに導くという役です。

 きらびやかなスポットライトを浴びるアンナさんは、美しいながらも飄々としたお姫様になりきっていました。この間お宅にお邪魔したアンナさんとはまるで別人です。

 ふと隣を見ると、少し寂しそうに舞台を見つめるソフィーちゃん。


「どうしたの? 大丈夫?」


 寂しげな笑みで、コクンと頷いて見せます。どうしたらいいのか分からないから、ハルさんがしてくれた様にソフィーちゃんの肩を抱き寄せました。一瞬驚いたみたいだけど、すぐに頭を預けて来ます。


「一緒に観ようね」


 私が耳元で囁くと、はにかんだ微笑みを返してくれました。

 もしかしたら、舞台のお母さんを見ると寂しくなってしまうのかも知れませんね。舞台の上のお母さんは、お母さんではなくなってしまっていますもの。

 アンナさんの言っていた寂しい思いをさせていると言うのは、こういう事なのかも知れませんね。分からないですけど。

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