第102話 落ちたヒールと落ちないヒール
お日様の陽射しを思い起こす、ポカポカと柔らかな温もり。とても心地良い温かみを感じながら、私は目を開きました。
ベッドの傍らで、白光を落とすラーサさんの姿。覚醒しきれていない頭は、この状況が理解出来ずぼんやりと心地良さにまどろんでいました。
「ラーサさん?」
「お! 起きたか。気分はどうだ?」
「何だかポカポカで、気持ちいいです」
「うん。今、ヒールを落としたからな。痛みはだいぶ減るぞ。ルンタも問題ない。あれだったら、ヒール必要なかったかも知れないな、ピンピン跳ね回っているぞ」
「よかったぁ~、ありがとうございます⋯⋯。あ! ⋯⋯ガブ! ガブは?!」
起き上がろうとする私の額をトンと押し、私はまた枕に頭を預けます。
「お・ち・つ・け。ガブってこいつか? ずっとここで大人しくしているぞ」
ベッドの下を覗き込むと、こちらを一瞥してそっぽを向いてしまったガブの姿がありました。
「あなた大人しく待っていたのね。エライじゃない」
こちらをちらりと覗くだけで、またそっぽを向いてしまいました。何だか、こう煮え切らない態度が悶々としますね。
「ヒールって凄いですね。痛みがほとんどありませんよ」
「骨折れてなくて幸いだったよな。このくらいなら、弱いヒールでもかなり効果は高い。今日は無理せず、このまま休めよ」
「もう、大丈夫です。私の不注意ですし⋯⋯」
「や・す・め。分かったか」
ラーサさんの厳しい表情が眼前に迫ってきました。その圧に思わず頷いてしまいます。
「⋯⋯はい」
「うん。宜しい。仕事は大丈夫だ。今日は落ち着いているから心配するな」
ラーサさんはそれだけ言い残し、仕事へと戻られました。
窓を開け放つと、風が吹き抜けて行きます。頬を撫でる風に、ベッドに体を投げ出しひとり嘆息してしまいました。ひとりで引っ掻き回して皆さんに面倒を掛けてしまった気分です。やれやれですね。
ガブは相変わらず、ベッドの下で大人しくしています。大暴れされても困ってしまいますが、いきなりしおらしくされても戸惑ってしまいますね。
「ガブ」
私の静かな呼び掛けに、顔を上げました。視線は逸れる事なくこちらを真っ直ぐに見つめます。
「来る? おいで」
私は布団をポンポンと叩き、微笑みを向けてみました。
どうかな?
スクっと立ち上がると、ポンとひとつ跳ねて布団の上に。
ハァッ、ハァッ、ハァッと可愛く舌を出して見せます。
「よしよし」
私はガブの頭を撫でようと、手を差し出した瞬間でした。
ガブッ。
「痛っ! ⋯⋯くない? あれ?」
咥えた指先を今度はペロペロと舐めてくれました。
尻尾をブンブン振って、嬉しそうなガブの姿に痛みや疲れなんてどこかに吹き飛んでしまいます。
「アハ。心配してくれたのね。ありがとう、大丈夫だよ」
その少し硬い毛先をわしゃわしゃと撫で回します。
あまりの嬉しさに皆さんに迷惑を掛けてしまったのを忘れかけちゃいました。
「ようやくスタートだね」
私はギュっとガブを抱き締めました。
ガブッ!
「痛っ!!」
ちょっと苦しかったみたいです。
ごめんね。
私はもう一度わしゃわしゃと撫で回し、笑顔を見せました。
◇◇◇◇
落ちて行かない。
生気の無いユラを見つめるエーシャの表情は優れない。
【ラカイムメディシナ】に飛び込んで来たふたりの少女。その必死な姿はエーシャの焦燥を煽るのに充分だった。
うす暗い待合の長椅子に横たわる瀕死のドワーフの姿。エーシャの焦燥は止まる事を知らず、天井知らずに上がって行く。
拙い足取りで必死に飛び込み、ドワーフを思う心は、直ぐに詠い始めた。
だが、エーシャの白光は思うように落ちて行かない。激しかった息遣いは、たどたどしい息遣いへと変わり、
どうして? お願い。
思いは祈りとなり、ただただ白光の行方を願う。
落ちて⋯⋯。
キノとリンも傍らで固唾を飲んで見守る。リンは胸の前で手を組み、願う、思う、祈る。キノの金色の瞳は、瞬きすら見せずジッと見つめていた。
「ちょっと、どいてくれ。すまん、どいてくれ⋯⋯」
有り得ない勢いで飛び込んで来た馬車。運ばれて来た、救われた者達。そのただならぬ気配と喧騒に村人達は群がっていた。
キルロ達もまた、その喧騒を聞きつけ村へと駆け付ける。静か過ぎる、凪いでいた空気を一気に撹拌した馬車の姿。そしてその光景に表情を歪めていく。
治療院から伝わるのは、激しい焦りと静かな祈り。群がる村人を掻き分け、キルロはユラの元へ飛び込む。厳しい表情と落ちて行かない白光玉に盛大に顔をしかめた。
「【
キルロは詠う。エーシャの白光より二回りほど大きな金色を帯びる白光の玉。
エーシャの隣に並び立ち、ユラへと落とす。
キルロの金白の玉がゆっくりと、でも、確実に落ちて行く様にエーシャの表情もようやく落ち着きを見せていた。ふたつ光玉が、ユラの体に吸い込まれて行く。エーシャはゆっくりと息を吐き出し、顔を上げて行った。
「うん。これでひとまずは大丈夫。ふたりとも頑張ったわね」
「よ⋯⋯よ⋯⋯良かった⋯⋯」
その瞬間、リンの体は糸が切れたかのようにストンと膝を落とし、安心はボロボロと涙を零させた。
「あんた達何ボサっと突っ立っているの! みんなを中に運び入れなさい! ほら! 早く! 早く!」
小さなエルフの大きな声が、入口から届く。茫然と立ち尽くす村人を鼓舞し、治療院へと救われた者達を運び込んで行った。戸惑いを見せていた村人達も、ひとり、またひとりと手を差し伸べて行った。ある者は帰還に歓喜を見せ、ある者は姿が見えぬと悲嘆にくれる。
悲喜こもごも。交錯する感情は渦を巻き、感情を露わにさせる。治療院の前で沸き起こる感情の波は複雑に絡み合って行った。
「ほら、あなたも大丈夫? 私達の仲間を、みんなを、救ってくれたんだってね。ありがとう。もう、大丈夫。あなたもこちらにいらっしゃい、さぁ」
ハルは膝を落とすリンに、小さな手を差し伸べた。柔らかな青い瞳は、リンに安心を運ぶ。ハルを見つめ、リンはゆっくりとハルの手を握った。ゆっくりと握られる指先が、リンに安堵を呼び起こす。
ベッドに横たわるリンは、すぐに深い眠りへと落ちて行った。体は悲鳴を上げ、限界はとうに越えていた。擦り減った心に鞭を打ち、奮闘していたのがよく分かった。
ハルは、治療の準備を進めながらその姿に微笑む。救ってくれた勇気ある少女を見つめ、心からの言葉を零した。
「ありがとう」
ベッドに眠るリンに声を掛け、喧騒が未だ冷めぬ待合へと駆け降りる。
その惨状とも言える光景に、ハルの表情も自然と厳しいものになって行く。傷を負っている者はほとんどいない。ただ、痩せこけ、俯き、心はどこかに置いてきてしまったかのごとく生気の失せた顔、顔、顔。
何かをぶつぶつと唱えている者。笑っているのか、泣いているのか、怒っているのか⋯⋯その表情から読み取る事は出来なかった。家族の呼びかけは虚しく空回りを繰り返し、喜びを見せていた者は深い困惑を隠さない。
その光景は、ハルの胸を激しく締め付け、もどかしさは怒りへと転嫁する。
人の心を壊す所業。許せない。
ハルは目を閉じ、自身に冷静さを取り戻す。今すべき事を。
パン!
ハルは両手を大きく打ち鳴らした。鼓舞するその
「さぁ、さぁ、みんなをベッドに運ぶよ! 苦しそうな人がいれば、優先で診るからね。ほら、急いで! 急いで! 喜ぶのも、悲しむのも後回しよ!」
そう。
今はすべき事をするんだ。
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