第101話 あっちもこっちも気になってワタワタしちゃいますよ

 空を隠す生い茂る木々の葉が、月の光を遮ってしまう。完全な暗闇に近い闇が、森を覆ってしまっていた。

 頼みの綱である轍の痕跡は、暗闇にかき消される。マッシュの目でさえ、その痕跡は闇に吸い込まれ見えなくなっていた。

 闇という袋小路に迷い込んでしまい、打つ手を失う。途方に暮れ、嘆息するだけだった。

 ヘッグと共に宛てなく森を彷徨い始めた所に突然鳴り響く爆発音。マッシュの耳はピクリとその遠雷のごとき爆発音へと向く。風に乗ってくるのは微かな煙の臭いと、空へと伸びる一筋の白煙。


 闇夜へ吸い込まれる狼煙は、僥倖か災厄を伝える報せか。

 躊躇はない。ヘッグの純白の首元を二度ほど軽く叩き、狼煙へと向かう。


「頼むぞ」


 マッシュの声にヘッグは首を前に突き出し、闇を斬り裂く。

 鞍上でも手綱を短く持ち替え、態勢を低く保つ。ふたりの視線は真っ直ぐ狼煙へと向き、真っ暗な森を斬り裂いて行った。


◇◇◇◇


「エレナ、どうしたの?! あれ、ルンタ??」


 モモさんが飛び込んで来るなり、私達の姿を見て驚愕の表情を浮かべます。


「は、梯子を倒してしまい、下敷きに⋯⋯。だ、大丈夫でしょうか?」

「落ち着いて」


 私は何度もモモさんに頷き、爆発しそうな心臓を押さえ込みます。


『フィリシア、すぐ来て』

『分かった』


 伝声管はモモさんの冷静な声を運びます。痙攣は治まりましたが、吐く息は荒く苦しそうでした。

 モモさんは聴診器ステートをあて、胸の音に耳を傾けていきます。いつもの柔和な表情は消え、真剣な表情でルンタの前に立っていました。


「ごめん、ちょっと時間掛かった! ありゃぁ、ルンタ! どうしたの?」

「梯子の下敷きになっちゃって⋯⋯どうしよう⋯⋯」


 今にも零れ落ちそうな涙。溢れ落ちる寸前で、グッと我慢します。泣いて、解決はしないのです。


「点滴は⋯⋯ファリンと麻酔⋯⋯眠剤は準備だけね。オーケーオーケー。どんな感じで挟まっちゃった?」

「梯子が上から倒れて、ルンタがうつ伏せの状態で挟まれちゃった」

「なるほど。まず心配なのは背骨、そん次は胸骨かな⋯⋯診てみよう」

「フィリシア、お願い」

「任せな」


 フィリシアの強がりが心強い。その力強い言葉と笑みが私に落ち着きをくれました。


 ルンタの背中を這うように、フィリシアの指が動いていきます。時に力を込めて、時に動きを止めてゆっくりと異常を探っていました。私は祈りにも似た思いで、見守る事しか出来ません。モモさんも一歩引いた所でフィリシアの触診を見守ります。時間はゆっくりと流れ、フィリシアの落ち着きとは反比例するかのように私は答えを急ぎ、焦燥に煽られます。

 

 苦しく見えていたルンタの呼吸は、いつの間にか穏やかになっていました。フィリシアが纏っていた緊迫した空気も幾分、穏やかになったように感じます。


「背骨は大丈夫ね。胸骨も触った感じは折れてはいないね。多分、籠がクッションになったって言っていたから、そんなに強い衝撃はなかったんじゃないかな。少しびっくりして、気絶しちゃっただけでしょう。念の為、後でラーサにヒール落として貰いなよ」

「よ、良かった」


 安心すると、へなへなと体から力が抜けていきます。膝から崩れ落ちてしまい、全身に痛みが襲い掛かりました。


「っつ⋯⋯」


 盛大に打ち付けた左肩がジンジンと熱を帯び、痛みが体中を駆け巡ります。


「ちょっと! エレナ、大丈夫??」


 モモさんが私の肩をそっと抱き、立たせてくれます。


「バーンって、梯子ごと倒れちゃって⋯⋯イタタタ。でも、ルンタがたいした事なくて良かったです」

「ルンタより、エレナの方が重傷ね」

「私は⋯⋯あっ! ガブをひとりにしたままでした! ルンタをお願いします!」

「ガブ??」


 首を傾げるモモさんを尻目に私は再び小動物モンスター部屋へと、急⋯⋯げません。体中をジンジンと鈍い痛みが駆け巡り、足が床を踏みしめる度に電流のように駆け巡ります。足をひきずりながら、必死に向かいました。


「ガブ! ごめん! 大丈夫!?」


 壊れた籠を覗き込むと、恐怖で縮こまるガブが小さい体を更に小さくして震えていました。倒れたままの梯子と半壊した籠に、ブラウも驚いてししまい、ガブにはちょっかいを出していません。喧嘩とかになってなくて良かった。私はホッと胸を撫で下ろして、半壊した籠を再び覗き込みます。


「ガブ、もう大丈夫よ。おいで」


 静かに語り掛けます。ゆっくりと右手を差し出すと、ガブもゆっくりと体を起こしました。少し覚束ない足取りで、籠の外へヨタヨタと進むと私の右手に頭を預けてきます。


「怖かったね。でも、もう大丈夫。こっちにおいで」


 差し出すガブの頭にそっと手を置くと、一瞬ビクっと警戒を見せますが、すぐに頭を預けて来ました。

 出来るだけ優しく、柔らかい手触りでゆっくりと頭を撫でていきます。


「ほらね、もう大丈夫でしょう」


 私はガブを撫でながら、へたり込んでしまいました。私もガブの姿を見て安心したのです。痛みはありますが、目を細めて頭を預けるガブの姿は私を幸せにしてくれました。


「つっ⋯⋯」


 安心が緊張をほどくと、また全身に痛みが襲います。痛みに顔を歪める私を、ガブが心配そうに覗き込んでくれました。


「あれ? 心配してくれるの。ありがとう。大丈夫、ちょっと痛いだけだ⋯⋯よ⋯⋯」


 私の緊張は完全に切れ、目の前は真っ暗になっていきました。


◇◇◇◇


 クソ! 油断した。


 マッシュは己の詰めの甘さを呪った。

 

 燃え盛る小屋を発見、そこに集う者達の混乱に乗じて一気にヤツらを片づけた。手練れらしき者など片手で余るほどしかおらず、三下どもの集まり、所詮、烏合の衆と高を括ってしまった。

 

 そう。片付いたと思った。


 あとは村に送り届けるだけだと考えた。

 その一瞬の弛緩。焼けただれた痩身のエルフが放った、風の刃がユラを直撃。大木を抉るほどの風がユラの体を襲った。

 手の中で、身動きひとつ取らないユラの姿。口から流れ落ちる血が、いつもの冷静さをマッシュから奪い取る。

 盛大な舌打ちは、焦燥の現れ。


「ヒャッハハハハー! ざまぁ!」


 醜い高笑いだけを残し、焼けただれたエルフは引きずる体で森の闇へと消えて行く。

 闇に消えるエルフの姿と、腕の中で動かぬ満身創痍のドワーフ。

 心は揺れる。だが、時間は許してくれない。


「おまえさん、名前は?」

「リ⋯⋯リンです」

「よし、リン。あの月を背にひたすら走るんだ。さして時間も掛からず村に着く。着いたらすぐにエーシャという治療師ヒーラーにユラを診て貰え。いいな」

「は、はい!」


 力強い瞳で、頷く姿にマッシュも頷き返す。


「キノ、おまえさんも頼むぞ。オレはあのエルフを追う。ユラを任せるぞ」

「うん!」


 珍しく感情を露わにするキノの返事。金色の瞳は、力強い意志を見せていた。

 ユラをキノの膝枕に預けると、リンが手綱を握り締めた。ガラガラと走り出す馬車を確認すると、マッシュは森の闇へとヘッグと共に飛び込んで行く。

 焦燥と怒り。

 鞍上から零れ落ちて行く冷静を取り戻せと、必死に頭を冷やして行く。だが、心は反比例するかのように燃え上がり、冷静は零れ落ちて行く一方だった。


 いた。ヤツだ。

 森を瞬足で駆け抜ける聖鳥。暗闇に白光の残像が流れて行く。

 遠目に映る体を必死に引きずる姿。ヘッグのスピードならすぐだ。

 マッシュは手綱を握る手に力を込めた。

 

 !!

 

 眼前から忽然と消えるエルフの姿。

 どこ行きやがった?

 ヘッグのスピードはそのままに、消えた先へと急ぐ。


「止まれ!!」


 手綱を目一杯引き、立ち止まると眼下に広がる闇より深い闇。

 下を覗き込めば、飲み込まれそうな闇を見せる【吹き溜まり】が、黒い口を開いて手招きしていた。

 顔を上げ、辺りを見渡す。暗くて全容を掴めないが、この暗がりの中でもその巨大さは分かった。

 【吹き溜まり】を前にして、額をトントンと叩き、もどかしさを見せる。

 追うべきか、引くべきか。

 ヤツはここを飛び降りたのか? 飛び降りられるほど浅い?

 もう一度下を覗き、自身の考えを否定した。

 顔を上げ、いま一度辺りを見渡す。不自然に盛られた草むらが目に入る。

 ビンゴ!

 掻き分けた草むらから下へと伸びる一本の縄梯子。

 梯子を見つめ、刹那の逡巡。


「⋯⋯クソ」


 再びヘッグに跨り手綱を握った。月を背に森の闇を斬り裂いて行く。自身の落ち度を呪い、後悔と共に森を疾走して行った。

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