第100話 最近は大丈夫と言ってばかりです

「きゃあっー%$、むぐ⋯⋯&&%%⋯⋯」

「しーっつ! 静かにしろや」


 目の前の光景に目を剥き、叫びを上げる少女の口をユラとキノは慌てて抑え込んだ。涙目を見せる少女の目の前で、自身の血溜まりに沈むふたりの男。悪臭漂うこの部屋に、血溜まりから沸き立つ鉄の臭いが混じり合う。

 キノは小窓を覗き警戒を強め、少しばかり落ち着きを取り戻した少女にユラは語り掛けていった。


「大丈夫か? とりあえず、落ち着け?」


 涙目のまま、少女は何度も頷いて見せる。少女と言っても成人は過ぎているであろう。小柄な姿が幼さを映し出してはいるが、この状況で正気を保てているのは希少な存在だ。


「ヌシ、名前は? オレはユラで、あっちのちっこいのは、キノだ」

「⋯⋯リン」


 震える声で答える。

 正気を保てていたわけではなさそうだな。

 その様子を見つめ、ユラは再び部屋の惨状に目を凝らしていった。

 ショッキングな出来事が目の前で起こり、ぼかしていた自我が元に戻ったって所か。


「リン。いいか、良く聞け。ここからみんなを連れ出す」

「え?! 無理無理無理無理⋯⋯痛ぁ~」


 ドワーフのデコピンがリンのおでこを襲った。半べそをかきながら、おでこを両手で押さえる。


「無理じゃぁねえ。向こうの馬車をパクって来る」

「無理だよ、危ないよ⋯⋯痛っ!!」


 再び襲ったデコピンに一筋の涙が落ちていく。


「無理かどうか勝手に決めるな。やるって言ったらやるんだよ。いいか、ヌシはここのみんなを説き伏せて、準備をしろ。キノをここに残すから心配すんな」

「無理⋯⋯は、はい」


 三度みたびのデコピンの構えに、戦々恐々と頷いて見せた。その姿にユラも大きく頷き、扉へと向かう。


「キノ、ちょっと行って来る。ここ頼むぞ」

「あいあーい」


 ユラは扉の隙間から外を覗く。月明かりと向かいの小屋から漏れる光を頼りに人の気配を探った。小屋の小窓から漏れる人影を睨み、今一度人の気配を探る。

 よし、いねえな。

 人気の無い事を確認し、一気に外へと転げ出た。一度森へと走り込み、闇に紛れる。フードを深く被り直して、向かいの小屋へと照準を合わせた。

 深い闇は姿を隠し、小窓から漏れる光と声を睨む。


「⋯⋯【炎柱イグニス】」


 反撃の狼煙を上げるべく、ユラは静かに、そして囁くように詠う。

 

◇◇◇◇


「痛っ!! もう! そんな噛んじゃダメでしょう」


 籠の中から、エサ皿を取ろうとしただけでこれですよ。体が小さいせいか他の仔に比べて、機敏な印象を受けます。

 今のところアウロさんの言葉に信憑性は感じられず、手の傷だけが増えていました。


「遊んでもいいけど、散らかしてはダメよ。いい?」


 分かっているのか、分かっていないのか、見つめる私の視線を外し、知らんぷりです。

 これは置いて行ったら、先日の二の舞でしょうか?


「はぁ~」


 私は諦めてガブの籠を抱え、小動物モンスター部屋へと向かいました。



「さぁ、みんなご飯よ」


 ガブの籠には布を被せ、姿を隠します。匂いでバレてしまいますが、姿が見えなければとりあえずは大丈夫みたいです。

 

 いつものように上にいる仔達からご飯を配って行きました。下に降りれば、大型兎ミドラスロップ達の催促のアタックにいつも吹き飛ばされます。体を強くして、いつか耐え抜いて見せると密かに誓っていました。

 みんながご飯に夢中の内に上から掃除を始めます。もう慣れたものですよ、手順も完璧です。いち早く食べ終わったルンタが、二本の尾をうまく使って私の元にやって来ます。はしごに掴まっている私の頭にしがみつき、私の顔を覗いて来ました。


「邪魔しちゃダメよ」


 頭にしがみつくルンタに向かい、上目づかいで釘を刺し、掃除を続けます。

 お、重い。相変わらずなかなか辛い態勢を強いられます。

 ルンタを頭に乗っけたままの掃除は首が鍛えられますね。でも、こうしていると大人しいので、我慢です。

 

 夢中でみんながご飯を食べている内に、出来る範囲を一気に終わらせます。食べ終わるとまったり派と、遊ぶ派に分かれて行きました。特に遊ぶ派の仔達には、気を配らなければなりません。掃除に集中出来るのは、みんながご飯に夢中な今の内だけなのです。

 私が掃除に神経を集中させていると、ルンタがスルスルとはしごを駆け下りて行きます。


「ご飯の邪魔をしちゃダメよ」


 いたずらっ仔なだけに、余計な事をしないか心配です。早くこちらを終わらせて、下に行かなきゃ。


「ちょっと! ルンタ! 何しているの!! それはダメ!!」


 下の様子を伺った時でした。ルンタはキョロキョロと好奇心を籠の布に向けていました。籠に掛けてある布にルンタの手が掛かると、私は一気に焦燥感に煽られて行きます。私は絵に描いたような焦りを見せ、無意識に手を伸ばしていました。

 反射ともいえるその動きに、体がゆっくりと横に倒れて行きます。景色は下へと流れて行き、体が横になって行きます。流れる景色はとても早いのに、頭の中では状況を精査しようとグルグルと思考が渦巻いて時間がゆったりと流れています。

 気が付いた時には激しい衝撃と痛みが、鈍い衝突音と共に体を襲って来ました。


「痛っ⋯⋯」


 激しく打ち付けた、左肩から鈍い痛み。痛みに顔をしかめながら、周りを見渡すと天井から、はしごごと倒れたのがすぐに分かります。

 眼前には半壊した籠の姿。

 籠がクッションの役割をしたようです。

 痛む体を起こすと、前方が見事なまでに潰れている籠の姿が目に飛び込んで来ました。

 毛穴が一気に開き、頭から血の気が引いて行きます。

 ガブ!?

 ガサゴソと動く籠。ガブが無事である事が分かりました。

 ガブを潰していなかった事に少し安堵を覚え、痛む体で立ち上がります。

 奥で丸まっていたからかな? でも、とりあえず良かった。

 ホッと胸を撫で下ろす間もなく、異変に気が付きます。

 あれ?

 私はルンタの姿を探し、辺りを見渡します。この騒ぎでどこかに隠れてしまったのでしょうか?

 どこに行ったのかな?

 ふと見下ろした足元、潰れた籠の側ではしごの下敷きになっている双尾の猿。

 再び毛穴から冷たい汗が噴き出し、頭から足元へと一気に血が逆流して行きます。

 ピクピクと痙攣を見せる小さな体。

 高鳴る心臓を無理矢理抑え込み、痙攣を見せるルンタを抱き抱えます。


「痛っ!!」


 上がらない左肩。そんなもの気にしない。

  

 壊れた籠から中を覗き、ガブの無事をあらためて確認します。


「大丈夫。大人しく待っていてね」


 怯えて丸まっていたガブに声を掛けました。とりあえずの無事を確認、今は私の腕の中で倒れるこの仔を救わなければ⋯⋯。

 私は扉を蹴り、処置室へ駆けて行きます。

 走る振動が痛みに変換され、体中を駆け巡って行きました。

 だから何? 走れ。急げ。

 処置室に飛び込み、伝声管のベルを三回鳴らしました。急を告げるその音は、間違いなく届くはすです。


 上がらない左肩、痛みが駆けまわる体など気にしていられない。

 点滴を掴み、必要な薬瓶を次々と棚から取り出します。


「ファリン⋯⋯麻酔⋯⋯眠剤⋯⋯はいるかな。ルンタ頑張って、すぐに楽にしてあげるからね」


 点滴を刺し、口元でバッグを開始します。

 お願い、誰か早く。


「ルンタ、大丈夫よ。大丈夫⋯⋯」


 大丈夫。

 祈る言葉を呪文のように繰り返し、永遠とも思える長い時間。

 何も出来ない自分がこれほどまでにもどかしく、頼りない存在なのだと痛感させられます。

 バッグの空気を送り込む音だけが静かな部屋に響き、もどかしい時間がゆっくりと流れていました。

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