第67話 日常、監視、接触

 乱暴に押し開いた玄関先から、部屋を覗く。

 目に飛び込んだ、めくれた毛布とベッドの上に転がるロープ。


「クソがぁっー!! クソ! クソ! クソ!」


 いるはずの者がそこにはいない。毛布を怒りのままに投げつけ、怒りのままに吼えた。


「おい、ヤコブ。ちょっと落ち着け」

「そうだ、そうだ。喚いた所で何も変わんねえぞ」


 鼻息が荒いまま、ヤコブはふたりを睨む。

 ふたりの言う通り、喚いた所で何かが変わるわけでも無い。ヤコブはひとつ息を吐きだし、自身を落ち着けて行く。そうは言った所で、早々に落ち着くものでは無い。吐き出す息は荒く、怒りの治まり処に苦慮していた。


「お前らも手伝え、上手くいったら20万ずつ払う。どうだ?」


 ヤコブの吐きだした言葉にガズとナーセブは、ニヤリと笑みを浮かべ顔を見合わせて行く。


「何をすればいい?」

「それ次第だな」


 腑に落ちてはいないが、納得するしかないとヤコブは自身に言い聞かせていく。担がれた事へ怒りの表情を見せながら、ヤコブは落ち着きを取り戻していった。剣呑な瞳でふたりを見やり、顎に手を当てていく。


「簡単な事だ。【ハルヲンテイム】を張って、従業員が出て来たらエレナの居場所を聞き出せ。ちょいと脅せば、ベラベラ話すさ」

「お前はどうするんだ?」


 ナーセブが長い体を折って、ヤコブに迫った。ヤコブは厳しい目つきで、口端を上げて見せる。


「オレは鍛冶屋を洗う。あのクソ舐めたガキに借りを返さねえと。エレナを匿っているかも知れんしな。匿ってなかった所で、力ずくで居場所を聞き出すだけだ。どうせ調教店テイムショップか鍛冶屋が匿ってんだ。すぐに取り返してやる」

「ハハハ、力ずくって大丈夫か? 返り討ちにあったりしてな」


 軽口を叩く、ガズを睨む。


「あんなガキに返り討ちに合う程、落ちぶれちゃいねえ。ナーセブ、鍛冶屋の場所を教えろ」


 ナーセブはイエスの代わりに軽く肩をすくめて見せた。


「居場所さえ分かれば⋯⋯200万⋯⋯そう簡単に引き下がると思うなよ⋯⋯」


 ヤコブは誰に言うでもなく、呟いていた。


◇◇◇◇


 【ハルヲンテイム】は通常運転に戻っていた。次々に訪れる客を捌いていき、つつがない日常を演出する。

 店へと戻ったハルと視線を交わし合い、頷き合った。ハルの深い頷きに、順調に事が進んでいる事が分かり、ひとまずの安堵を見せていく。これでしばらくは、日常に集中出来る。

 

 表面上は何事も無かったかのごとく、日常を送っていた。

 とはいえ、心のどこかに重石が常に乗っている感じは拭えない。晴れない気持ちを笑顔で包み隠し、業務にあたっていた。

 

 バックヤードでは、ハルとキノのふたりが顔を寄せ合う。キノが辺りを見回すと、ハルはキノの耳元で囁いた。


「キノどう?」

「おもてのお店の所と裏のとこ」

「そう。ありがとう。エレナはもう大丈夫だから、心配しないで」

「うん」


 キノは普段見せない真剣な顔を見せた。事の重大さは承知しているのが分かる。

 悪意に対して人一倍敏感なキノのセンサーが反応を見せた。

 ふたりか⋯⋯。

 今すぐに何かを仕掛けてくる人数では無い。

 従業員のみんなに無用な不安は与えたくはないしね。黙っておこう。

 キノの反応を聞いたハルの表情は冒険者の顔を見せていく。

 ま、案の定ね。

 店を張って、あわよくばエレナの情報を手に入れようって魂胆でしょう。

 見え見え過ぎるわ。三下どもが。

 やる事がザル過ぎて、呆れてしまう。

 ハルの表情がまたひとつ厳しさを見せていった。


◇◇◇◇


「おい! いるんだろう! 出て来やがれ!」


 鍛冶屋の店先で吼えるうす汚い冒険者に、後ろ手に首を掻きながらキルロは現れた。面倒そうにヤコブの姿を一瞥して、無表情で相対する。


「あんたか。もういいよ。じゃあな」


 それだけ言うと踵を返し、奥へと引っ込もうとした。

 その姿にヤコブの顔は見る見る険しくなり、再び吼える。


「てめぇ、ふざけんなよ。エレナがいるんだろうが、サッサと出しやがれ! ここに出入りしているのは分かってんだ、とぼけるのも大概にしておけよ」

「あのなぁ、確かに遊びには来るが、今はいねえ。だいたいお前、父親なのに娘の居場所も知らねえのか? そこらんへん、ほっつき歩いているんじゃねえのか?」


 キルロのおちょくるような物言いが、ヤコブの沸点を下げて行く。顔を真っ赤にし、怒りの形相でキルロを睨みつけた。

 涼しい顔で、ヤコブの怒りを冷ややかに受け流す。ヤコブに対し憐みさえ見せる余裕の姿。ヤコブを熱くするには十分だった。


「てめぇ、いい加減にしろよ! 大人しく聞いてやってんだ、サッサと吐け!」


 凄むヤコブに、キルロは反比例するかのように冷ややかな態度を見せていく。大きな嘆息まじりに口を開いていった。


「お前、本当にエレナの父親か? こんなバカから、あんな賢い子が生まれるとは、信じられねえな」

「舐めやがって⋯⋯」


 ヤコブの左手はキルロの胸ぐらを掴み上げ、右の拳を強く握り締めた。

 キルロに焦る姿は皆無。冷ややかな視線をヤコブに向ける。ヤコブの掴み上げる力はギリギリと上がっていき、キルロの胸元を締め上げていく。キルロは口元に冷ややかな笑みを湛え、冷静な瞳を見せるだけ。

 握り締めた右の拳。その拳を怒りのままに振り上げ、キルロの顔面に狙いを定めた。


「お、団長どうした?」

「随分とのんびりな登場だな。こいつが因縁つけてきて、参っているんだ」

「へぇ、そうかい。難儀しているのか」


 突然、奥からひょうひょうと現れた狼人ウエアウルフ。口元は薄い笑み、眼鏡の奥に見える瞳は冷たい凄みを見せていた。

 一瞬の躊躇を見せるヤコブ。

 狼人ウエアウルフは、ふたりの様子を一瞥する。


「それで、その右手をどうするんだい?」


 刹那、ヤコブの眼前に迫る狼人ウエアウルフの顔。耳元で囁いた言葉は低く冷たい。

 一瞬で距離を詰めたそのスピードと、いつでも抜けるであろう腰の長ナイフ。ヤコブはゆっくりと手を放していった。振り上げた拳をほどき、キルロの乱れた襟元を直していく。


「じょ、冗談、冗談だよ⋯⋯」


 キルロの襟元を直すと、ヤコブはそそくさと店を後にした。

 何とも、絵に描いた小物ぶりに呆れるしかない。

 マッシュはずっとニヤニヤと笑みを浮かべ、キルロはやれやれと嘆息していく。


「マッシュ、もう少し早い登場で良かったんじゃねえ? ぶん殴られる所だったぞ」

「うん? あぁ、そうか? 思わず見いちゃったな、あまりの小物ぶりに。いやはや、なかなかお目にかかれんぞ」


 キルロはマッシュの言葉にひと睨み返し、奥の部屋へと顔を向けた。


「ネイン! 顔覚えたか?」

「はい」

「お前さん、頼むぞ」

「お任せ下さい」


 キルロとマッシュの言葉に力強く頷くネイン。フードを深く被り、エルフの長い耳を隠す。足早に店の外へ出ると、小汚い冒険者の後を追って行った。


◇◇◇◇


 夕暮れが迫る。

 影は長くなり、夕闇がゆっくりと迫っていた。【ハルヲンテイム】にあったお客さんの波も引き、受付が凪ぎ始める。その光景が一日の終わりが近い事を教えてくれた。

 ぼちぼち頃合いかな?

 ハルはその様子を見つめ、ラーサに声を掛けていった。


「ラーサ!」

「はいはい」

「キノと一緒に買い出しに行って貰える? リストはこれ」

「了解」

(無理はしないでね)


 ハルは最後にラーサの耳元で囁いた。ラーサは微笑を返し、メモに目を落とす。何て事のない日用品が並ぶリスト。すなわちそれは、見張りの様子を伺って来いという事だ。

 少し緊張している自分にラーサは苦笑いを浮かべる。

 冒険者では無い自分達に課せられた冒険クエスト

 何が出来るか分からないけど、きっと何も出来ないという事では無いはずだ。


「⋯⋯よし」


 緊張を吹き飛ばせと、ラーサは珍しく自身に気合を入れ、顔を上げていった。

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