第66話 届く声、煽るエール

「エレナー!!」


 暗闇に届くその声に、私の目の前は明るくなります。

 布団は剥ぎ取られ、目隠しと猿ぐつわが外されました。久しぶりの光に瞳がびっくりしてしまい、中々目を開けられません。

 声を出したい。でも、張り付いた喉に声は思うように出てくれません。

 手足のロープも外され、ハルさんが私を抱き締めてくれました。

 これが二度目ですね。温かくて、安堵を覚えるこの感覚。とても好きです。

 暗闇からまた救い上げてくれました。世界が再び色づき、輝きを取り戻します。


「⋯⋯ハルさん⋯⋯すいません⋯⋯」

「何言っているの! 当たり前でしょう! 仲間なんだから。みんなエレナの為に頑張っているのよ」

「⋯⋯すいません」

「そこは、すいませんじゃないでしょう~」


 ハルさんはわざとらしく語尾を伸ばし、笑顔で睨んで来ました。


「は、はい。ありがとうございます」

「どういたしまして。立てる?」


 足元のおぼつかない私に小さなハルさんが肩を貸してくれます。よろよろ、ふらふらと力の入らない体がよろめいてしまいます。


「大丈夫。焦らないで」

「でも、お父さんが⋯⋯」

「あいつが上手い事しているはず、心配しないで。行きましょう」


 ハルさんに支えられ、立ち上がって行きます。

 体にまとわりついている不穏が、汚い毛布と一緒にハラリと落ちて行きました。

 体に力は入らないけど、心は軽くなって行き、前に進む力が沸き起こります。

 絶望と不穏が満たす部屋を、私は一瞥する事も無く後にして行きました。


「エレナ。一応確認させて。この先、私達と行動を共にするという事は、あの父親とは縁を切るという事。まがいなりにも実の父親。縁を切りなさいと、無理強いは出来ない。あなたの意志はどう?」


 過去のみすぼらしい自分をここに置いて行き、色づく世界へまた一歩踏み出す。そこに躊躇も未練もありません。

 私の背中を出会った皆さんが押してくれます。

 踏み出す勇気を私にくれます。

 私は力の入らない体で笑顔を向けまていきました。


「私はもう二度とここに戻りたくありません。みなさんと一緒に笑って過ごしたいです」

「うん。知っていた」


 ハルさんは、むぎゅっと私の頬を挟むと私の額に額を重ねてくれました。

 ハルさんの温もりがとても優しくて、心がポカポカしちゃいます。

 その温もりは私の心に鎮座していた醜い自分を霧散させます。心の隅にあった不安の残滓が消えて行くのが分かりました。


◇◇◇◇


「あのガキ、ふざけやがって⋯⋯」


 ギルドを散々振り回された挙句、担がれていると気が付いたヤコブ。晴れない鬱憤にブツブツと文句を垂れ流していた。喧騒が溢れる広場を、悔しさを露わに地面を蹴り歩く。


「あれ? おーい、ヤコブ! シケたツラしてどうした?」

「お前、鍛冶屋と一緒だったろう? ギルドに入るのを見かけたけど、美味しい話でもあったか?」


 祭りトリミングフィエスタでもつるんでいた、小太りの男とひょろりと背の高い冒険者風情。薄汚い感じが何ともお似合いの似た者同士が顔を寄せ合う。


「鍛冶屋?」

「なんだ、お前知らないでついて行ったのか? 街の端っこで小さな店を構えている鍛冶屋だ。確か、ちょっと変わった白髪のガキと一緒に暮らしているんじゃなかったかな。はっはーん、さてはその顔からすると担がれたか? 欲をかくからそうなるんだぜ」


 薄ら笑いを浮かべる背の高い男に、ヤコブは舌打ちして睨みを利かした。三人は打ち合わせたかのように安酒場へと吸い込まれて行く。


「お前の憂さ晴らしに付き合うんだ。奢れよ」

「ああん?」

「いいじゃねえか、デカイ金入るんだから」

「もう少し小さい声で話せ、バカ」


 口の周りに泡を付け、エールを煽る。空っぽの胃に酒精アルコールが落ちて行くと、口の動きは滑らかになっていった。


「でよ、いくら入るんだよ? これか? これくらいか? おいおい、まさかこれくらい!?」


 小太りの男が、茶化すように指を広げて見せた。ヤコブはその姿を鼻で笑い飛ばし、醜く口端を上げていく。欲まみれの顔は、醜く歪んでいた。


「ま、これは固いな」


 ヤコブはふたりに二本の指を向けていく。見せられたふたりは少し怪訝な顔を見せ合い、一瞬の間と疑いの眼差しを返していった。


「20って事は無いよな⋯⋯」

「おいおい、まさか200か?! 嘘だろ!!」

「ガズ! 声がでけえ! 抑えろ、このバカが」


 ヤコブは小太りの男に向かって静かに吠えた。辺りは気にする仕草を見せ、ふたりに顔を寄せて行く。


「まぁ、100いけばいいかって考えていたが、知らねえ間にいい感じに育ってやがった。あれなら200はいく。うまうまだぜ」

「かはーっ、悪い父親だな」

「ナーセブ、気が合うな。オレも同意見だ」

「うるせえ、捨てずに育てたんだ。てめぇらにはマネ出来ねえんだ、黙ってろ」

「あれは勝手に育ったって言うんだ。あんたが育てた訳じゃねえ」

「ガズ、気が合うな。オレも同意見だ」

『イエー』


 ガズとナーセブ。小太りとひょっこりとした凸凹コンビがカップをコツとぶつけ合い、エールを呷った。


「チッ!」


 ヤコブも大きく舌打ちをして、エールを煽る。

 手はずは整っていた。

 日付変更と共に、成人の登録。その足で、歓楽街の店にサインさせちまえば万事終了。

 あと半日で大金が手に入ると思えば、気も大きくなる。

 舌打ちして、睨みながらもヤコブは余裕を見せていた。


「そういやさっきナーセブが、白髪のガキがどうのって言っていたよな?」

「なんだよ、ガズ。大人の女は相手にしてくんねえから、とうとうガキに手を出すのか」

「バカが、くだらねえこと言ってんじゃねえ。白髪のガキなら、この間の祭りフィエスタの時見たぜ。バカでけぇ女に肩車されて、ヤコブの娘を応援していたぞ」


 ガズの一言にヤコブのカップの手が止まった。険しい表情で、ガズを睨んだ。


「おい、ガズ。そいつは本当か?」

「んな嘘ついて、どうする?」


 欲まみれの緩んだ緊張が、ガズの言葉で一瞬にして引き締まっていった。真剣な面持ちで、事象を整理する。

 ただの偶然? 出来過ぎじゃねえか⋯⋯。

 ヤコブは逡巡して行く。偶然と片づけるには出来過ぎた話に何かが引っ掛かる。


「鍛冶屋がオレに声を掛けたのは、偶然か?」


 ヤコブの呟きにガズとナーセブもカップの手が止まり、互いを見やった。


「偶然じゃなかったら、何だってんだ?」

「だからてめぇは無駄にでけえだけだって、言われんだよ。お前らも付き合え! 行くぞ!」

「まだ、飲み掛けが⋯⋯」

「そんなもん、ほっとけ。お前は飲み過ぎなんだよ! てめぇの腹を見てみろ。いいから来いって!」

「そんなに焦ってどこ行くんだ?」


 ヤコブは焦る素振りを見せ、ふたりを睨みつけていった。


「家だ。あいつエレナが、ちゃんといるか確認にする。イヤな予感がするんだよ⋯⋯」


 エレナと繋がりのありそうなガキと暮らす鍛冶師。

 そいつが声を掛けてオレを連れまわし、挙句の果てに何も無いガセをつかませやがった。何も無いと考えるなら、ただのバカだ。

 舐めやがって。

 剣呑な表情を見せるヤコブに、ふたりは渋々と付き合う。

 焦燥を見せるヤコブの後ろを、スッキリしない面持ちのまま二人はついて行った。

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