第32話 砂時計

「これ、まずいわね。出血が思っている以上かも。アウロさん、背中側から抜血してくれる」

「⋯⋯ああ」

「アウロ! しっかり。今はちゃんとしてよ」

「す、すまない。すぐに処置する」


 アウロさんは軽く息を吐きだして、細い管を背中側から通していきました。用意したタライに血がどんどんと溜まっていき、モモさんの予想通りお腹の中でかなりの出血があるようです。


「ラーサ。塩水を出し惜しみなしで」

「うん」


 モモさんのメスがシュクっと奥まで入ると血が噴き出し、モモさんのゴーグルを赤く染めました。すぐにフィリシアがそれを拭います。


「フィリシア、左目もうちょい。ありがとう、大丈夫」


 フィリシアが拭い直し、更に奥へと進みます。

 モモさんの顔をチラっと覗くと厳しい顔のまま優れません。


「アウロさん。もう少し上開いて」


 アウロさんが鉗子で開腹状態をキープ。モモさんの視野を確保して行きます。


「これは時間掛かりそうよ、細かいダメージが多すぎね。脾臓はダメね、肝臓も胃も半分取りましょう。肺は大丈夫。腸もそこまでのダメージなし。心臓も⋯⋯運が良かったわね。脾臓摘出、肝臓、胃の一部摘出。修復入ります」

「モモ、時間どれくらい掛かりそう?」

「急いで二時間半」

「二時間」

「了解」


 ラーサさんの点滴瓶を睨みながらの言葉に、モモさんの集中がまた一段上がりました。切り取った臓器がフィリシアの持つトレイに乗せられて行きます。メスを置き、小さな針で破れている箇所を閉じて行きます。

 

 ラーサさんがコトリと砂時計をひっくり返しました。一時間経過です。あと一時間。

 モモさんが普段見せない険しい目つきを見せ、ひたすら指先を動かしています。

 砂時計の落ちる速度がいつも以上に早く感じます。


「モモ」


 汗を拭うフィリシアが声を掛けると思い出したかのように、体をひとつ伸ばしました。軽く息を吐きだし、また指先へと集中していきます。

 砂時計は無常に時を刻みます。上部に残る砂はみるみる減っていき、ラーサさんも点滴と砂時計を交互に見やって表情は冴えません。

 焦りが緊張を呼び、処置室は静かな緊張に包まれていきます。モモさんの集中は途切れる事なく指先を動かしていました。私はバッグしながら、息苦しい程の緊張に押しつぶされないように抗います。集中を切らしちゃダメ。私はラドの顔を改めて注視しました。

 これ⋯⋯? 

 ラドの瞼がピクっと動きました。覚醒するにはまだ時間が早いはずです。私はモモさんやラーサさんの集中する姿に声を掛ける事を躊躇してしまいました。

 ピクピクと先ほどより震える頻度が上がっていきます。これは間違いなく覚醒に向かっているのが明らかでした。砂時計にはまだ余裕があります。しかし、この状態で覚醒して暴れでもしたら全てが台無し、助けられるものも助けられません。


「か、覚醒の兆候が見られます!」

「嘘でしょう!?」

「瞼振の頻度が上がって来ています。予定より早く覚醒すると思います」

「頻度は?」

「1minに1~2回程度です」

「まずいね、予定より早い。アウロさんどうする?」

「どうする⋯⋯? うーん⋯⋯」

「麻酔増やす? 危険は増すけど術中の覚醒はないよ、どうする?」

「⋯⋯」


 押し黙るアウロさんをラーサさんが激しく睨みつけました。


「いい! このまま! 押し通す!」


 モモさんが手先を止めずに叫びました。鬼気迫る集中力を見せるその姿に私達は圧倒され、行く末をモモさんに託します。

 

 ラーサさんは点滴瓶に痛み止めを流し込んでいきました。万が一覚醒しても、痛みを抑える事で大暴れしないようにとの配慮ですが、どれだけの効果が見込めるのかは不明。開腹状態で動かれたら処置はそこまで。今までの処置が水の泡と化してしまいます。

 私はラドの顔に集中。モモさんを信じて私は私の出来る事をします。


「眼球も動き始めました。覚醒近いです!」

「モモ、まだ大丈夫だよ。落ち着いて」


 モモさんに私達の声が届いているのかいないのか、黙々と指先を動かしていました。滴る汗をフィリシアが拭います。


『⋯⋯グゥゥゥゥ⋯⋯』


 小さな呻き⋯⋯。


「もう覚醒近いです!」

「こっちは終わった」


 モモさんが大きく息を吐きだしながら顔を上げました。それと同時にフィリシアが骨の突き出した脚部の修復にあたります。


「エレナ、もし起きたら少しでいいから気を逸らして」

「ええっ!?」


 フィリシアは割れた骨を薄い鉄のプレートで挟み込み、真っ直ぐに修復していきます。

 起きるよ。絶対間に合わない。


『クゥーン⋯⋯』


 ラドが少し苦しそうな声を上げ、ぼんやりと目を開き始めました。

 私はバッグする手を止めて顔を息が掛かるほど近づけます。

 ラド、私を見て。

 両手で優しく包むようにラドの頭を撫でていきました。


「ラド、頑張ったね。もう終わりよ、良かったね。カガンさんにいっぱい美味しい物貰いな⋯⋯」


 静かに話し掛けると、私の目を真っ直ぐに見つめ返して来ました。やはり猟犬バウンドドッグは賢いです。私の言っている事が分かるようです。私はフィリシアが処置している間ずっと話し掛けていました。この仔が不安にならないように、普段みんながしている声掛けを思い出します。


「よし、オーケー」


 フィリシアの声にラドに笑顔を見せます。


「ラド、お疲れ。頑張ったね」


 みんなの緊張もほぐれ、みんな笑顔を見せますがアウロさんだけどうにも冴えません。ずっと天を仰いだまま固まっていました。


「アウロさん、お疲れって」


 フィリシアはアウロさんの腰をバシっと叩きました。


「ほれ、いい加減に戻れ」

「本当に。今回は長いわよ」


 ラーサさんは呆れ顔を見せ、モモさんアウロさんの肩をポンと叩きます。アウロさんは大きく嘆息して頭を掻きました。ご自身ももどかしいのが伝わります。

 

「まぁ、無事に終わって良かったわね。しばらくは気を抜かず様子を見ていきましょう」


 アウロさんのかわりにモモさんがみんなに声を掛け、無事に処置が終わりました。

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