第33話 アウロ・バッグスの憂鬱

「あんた何?! あのヒール!」

「そうそう。あんな高位のヒール、話の中でしか知らないわよ」


 ハーフの小さなエルフと妖艶なエルフがキルロに詰め寄る姿を、遠目からマッシュはニヤニヤと面白がって見つめている。妖艶なエルフはさらにキルロへ体を押し付けんばかり詰め寄り、キルロが困惑を深めるとマッシュは指を差して腹を抱えていた。


「シル近い! 近い!」


 エルフを引き剥がそうと必死のキルロを余所に、長身のおさげ女子は口をへの字に曲げ目の前に転がる巨大な丸い甲虫の姿に顔をしかめていた。気持ちの悪い黒光りする腹を見せ、節の付いた脚は力無く宙を指している。


「これは、これは気持ち悪いですねぇ~」


 顔を覆う指の隙間から覗くフェインの姿にマッシュは嘆息混じりに言う。


「フェイン。おまえさん、ボッコボコに殴っておいて何を今さら言ってんだ」



「意外と手こずったわね。やっぱり【吹き溜まり】は一筋縄ではいかないわ」

「だな。とはいえ、さすが副団長って感じだったぞ」

「あら、マッシュ・クライカに褒められるなんて光栄ね」

「良く言うよ。あのエルフもかなりの手練れだな」

「シル? そうね。自身が傷ついても全く怯まなかったもの、相当場数は踏んでいるんじゃない。怯まないといえばフェインよ。スイッチ入ると凄いわ」

「戦える地図師マッパーは貴重だ。まぁ、団長がどう判断するか⋯⋯」

「そこは任せましょう」


 転がる巨大な甲虫を観察しながら、ハルとマッシュのふたりは言葉を交わす。シルから解放されたキルロが声を上げた。


「おーい! マッピングの続きをして、冒険クエストを終わらせちまおうぜ!」


 ふたりは顔を見合わせ、キルロに軽く手を挙げて見せた。


◇◇◇◇


 アウロさんとふたりで処置室の片付けをしていきます。処置の終わったラドはフィリシアがケージに運んで行きました。

 血の付いたベッドに床、手術で使った器具など酒精アルコールや熱湯で消毒していきます。アウロさんと私は黙々と作業をこなしていました。覇気のないアウロさんに掛ける言葉が見つからず、長い沈黙が続きます。ギュッギュッと床を拭く音と、器具の重なり合うカチャカチャと擦れる金属音だけが響いて、ちょっと気まずいです。

 話し掛けるべき? 黙っているべき? 私のコミュニケーション能力の低さが爆発しています。

 どうしよう⋯⋯。


「エレナ、お疲れさま」

「は、はい。アウロさんもお疲れさまでした⋯⋯ラド、元気になるといいですね」

「そうだね。今までみたく片腕として冒険クエストには帯同出来ないけど、普通に暮らす分にはきっと問題ないよ。カガンさんもその辺りは分かっているはず」

「元気になってくれるなら、それでいいと思います」

「そうだね」


 突然声を掛けられて少しびっくりしてしまいましたが、アウロさんの微笑みに相変わらず力はありません。

 私はアウロさんにも元気になって貰いたいのですよ。でも、私なんかが何かを言って元気になるとは思えない⋯⋯でも⋯⋯ぐるぐる頭の中が回ってクラクラしてきました。


「ア、 アウロさん!」

「うん? どうした?」

「あ、あの私はアウロさんにも元気になって貰いたいです。いつも、元気を貰っているのでお返ししたいのですが、あ、あの、その、返し方というのが分からないので⋯⋯何と言えばいいのか⋯⋯」


 気が付くと私の口から言葉が零れていました。ぐるぐる回り過ぎて良く言葉も吟味せず言葉を発してしまい、アウロさんは嘆息すると困ったように笑顔向けます。


「そっかぁ。だよね。エレナにまで心配掛けちゃった。ごめん、ごめん。でも、きっともう大丈夫。うん、大丈夫」


 まるで自身に言いきかせるみたいに発した言葉。笑顔に力は感じられないけど、少し吹っ切れたのかも知れません。雰囲気がいつものアウロさんに近くなったように感じます。


「良かった。いつものアウロさんが戻って来ましたね」

「僕はね、【オルファステイム】にいたんだよ。そこをクビになって、ハルさんに拾って貰ったんだ」

「え!?」


 唐突なアウロさんの告白に少し驚きましたが、あの時の様子を思い出すと確かにふたりともアウロさんの事を知っているようでした。とても優秀なアウロさんがクビになるって【オルファステイム】は厳しい所なのでしょうか。自嘲ぎみに言葉を発するアウロさんに、私はどんな顔をすればいいのか、またまた困ってしまいます。


「僕が面倒を見ていると片っ端からダメ出しされてね。最初のうちは反抗していたのだけど、きっとそれも面白くなかったのかな。あからさまに嫌がらせを受けるようになって、何をしても否定されて⋯⋯そのうち何が正解で何が間違っているのか分からなくなっちゃったんだ。ある日、動物モンスター達の面倒を見ていると自分が何をしているのか分からなくなって、鍵の開いた、たくさんのケージの前で固まってしまったんだ。案の定そこから逃げ出した動物モンスター達で店がパニックになっちゃって、幸い怪我人が出なかったから良かったけど、そんな状態でも体が動かなかった僕は本当の役立たずだったよ⋯⋯あの人達に会うとどうしても、あの日の事を思い出して、思い出すなって思えば思うほど、思い出したくないあの日に戻っちゃうんだ。あの日みたくまた体が動かなくなったらどうしよう⋯⋯って。困ったものだよね」

「何となくですが分かります。私も思い出したくないあの日に戻りそうになった事ありますもの。いえ、あの時は戻っていたかも⋯⋯フィリシアが来てくれて、私は救われました。アウロさんには救ってくれる方がいなかったのですよね」


 私の言葉に少し驚き、苦笑いを浮かべて逡巡しています。うん、うんと軽く頷いて見せるといつものアウロさんに戻ったように感じました。


「そうか。そうだね⋯⋯。クビになったって言ったけど、本当は逃げ出してしまったんだ。自分のミスが大事になって恐ろしくなってね。気が付いたら店の外だよ。ダメダメだよね。【オルファステイム】には手を差し伸べてくれる人はいなかった。でも、今はハルさんや店のみんながダメな僕の背中を押してくれる。それがきっと救いになっているのかな。うん、きっとそうだね。それすらも忘れかけていたよ。ありがとう、エレナ。おかげで思い出せたよ」

「いえ、いえ、いえ、いえ、私は何もしてないです。でも、いつものアウロさんが戻って来てくれて良かったです」


 アウロさんの柔らかな笑みに安堵します。


「ここは当初ハルさんひとりで回していたんだ。お客さんも少なかったとはいえ大変だったんじゃないかな。【オルファステイム】を逃げ出した僕は、性懲りもなくまた動物モンスター達に携わる仕事が出来ないかと、出来たばかりのここを訪れてみたんだ⋯⋯」


 アウロさんが少しばかり遠い目をしています。何かを懐かしむように微笑む姿を見つめながら、私はその柔らかな声色に耳を傾けていきました。

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