閑話 二
篠田との決着がついてから間も無くの夜。家でゴロゴロしていると、典子さんからメッセージが届いた。明日の晩、杏子ちゃんの一件のお礼をしたいとのお誘いだ。場所は俺と赤城姉妹の家の中間地点にある焼肉屋。沢山食べる俺のためにそこを選んでくれたらしい。
翌日の夜。焼肉屋の駐車場で換気扇から流れ出てくる肉の香ばしいにおいに腹を鳴らして待っていると、赤城姉妹が現れた。
典子さんは相変わらずスポーティで涼しそうな服装で、杏子ちゃんは華やかだけど控えめな色のワンピース姿だった。容姿の整った姉妹の姿は眼福だ。
「お待たせ! 予約してあるから入ろ!」
「あ、はい!」
典子さんに手を引かれるまま俺たちは店内に入った。
典子さんが予約してくれたのは完全個室の席で、人目を憚らずに話し、食べられる空間だった。
対面に赤城姉妹が座る。俺はメニューを二人に渡した。
何を食べようか仲良く選んでいる二人に倣い、俺も自分の食べる肉を選ぶことにした。
食べ始めて一時間ほど経った。俺の腹は牛塩タン3人前、カルビやロースとハラミの盛り合わせ、ビビンバを平らげてお腹がはち切れそうになっていた。杏子ちゃんは早々にお腹いっぱいになったそうで、今はデザートのシャーベットを美味しそうに食べている。典子さんはというと・・・・・・
「だからねぇ克実くん! 私は水城大学に来たらいいと思ってるんだよぉ!」
何杯飲んだのか分からないけど、結構なスピードでお酒を入れていたからか同じ話を何度も繰り返していた。目がとろんとしていて、ほっぺたと耳が真っ赤になっている。
いつもハキハキとしているイメージとのギャップで、不覚にもかわいいと思ってしまった。
「ですから、まだ進学先は決めてないんですって! そりゃあ入れたら困りませんけど」
これも何度目かの返事だ。
「だってぇ! 『水大は今のところただのバイト先』って言うからぁ!」
「もー! お姉ちゃん! 先輩が困ってるでしょ!」
控えめな印象だった杏子ちゃんも、姉である典子さんにはかなり砕けた感じだった。
「すいません先輩。いつもならこんなに飲まないんですけど・・・・・・。今日はなんだか楽しいみたいで」
「ううん、全然いいよ。むしろ二人の意外な面が見られて俺も楽しいし」
「え、えへへ」
杏子ちゃんははにかんだ笑顔を見せた。
「典子さんが本格的に寝ちゃう前にそろそろ出るかな」
「そうですね。ほら、お姉ちゃん起きて!」 グラスを持ったまま突っ伏すという器用な状態だった典子さんを杏子ちゃんが揺さぶる。
「んお?」
「お家に帰るよ」
「あーい。その前にちょっと」
杏子ちゃんの肩を借りて、典子さんはフラフラとおぼつかない足取りのままお手洗いに消えていった。心配になる。
杏子ちゃんが会計を済ませて、俺は完璧に寝ている典子さんを負ぶった。
「お姉ちゃんってば、もう!」
「いいよいいよ。どちらにせよ二人を家まで送っていくつもりだったから」
常人離れしている俺の腕力をこういうことに使うのは吝かじゃない。典子さんは静かに寝息を立てている。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
店のある繁華街を抜けて、静かな住宅街に入る。8月も終盤を迎えると、秋の虫たちが一斉に歌い出す。気温はまだまだ落ち着かないのに、月日だけが秋を示してくる。
「今年の夏休みもあと少しか」
「ですね」
「今年は色々ありすぎたなあ。典子さんたちに会ったり、先生に連れ回されたり。火事の中に飛び込んだりもしたな」
「火事!? ですか?」
「うん。典子さんの先輩の方の婚姻事情に関わってね。その時のちょっとした揉め事を俺と先生で解決しに行ったんだ。色々あって火事現場に出くわして、人命救助・・・・・・をしたんだ」
「ええ!? 凄いですね!」
「危ないって怒られちゃったけどね」
そういえば尾野崎さんたちの結婚式がもうすぐだったな。招待状がうちに届いていた。
「詳しくは聞いていないんですけど・・・・・・その、先輩の体質って」
杏子ちゃんがおずおずとした表情で訊く。
「俺の体は人より筋肉量が多くて、アドレナリンが出ると馬鹿力が出るんだ。普通はアドレナリンが出なくても使えるらしいんだけど、俺は無意識に力を押さえているみたいなんだ」
「ブレーキがかかっているんですか?」
「うん。多分、俺がちっちゃい頃に色々あったからだと思うんだ」
「そうなんですね」
「力が制御出来ないから周りに怖がられてね。すぐ物を壊してしまったんだ。力が抑えられるようになった小学校の中学年まで友達が出来なかったよ」
「・・・・・・すいません、私、余計なことを」
「いやいや、いいよいいよ! 謝らなくて! もう過ぎたことだし! 何なら今はこの体質のおかげで色々経験できたからね!」
しゅんとした顔の杏子ちゃんを励ます。優しいこの子に言うべきじゃなかったかも、と少し後悔した。
暫くの沈黙。住宅街にアスファルトを踏む二人の足音だけが静かに響く。
「杏子ちゃんはさ、進路決めてるの?」
気まずくなるのも嫌で、俺は話題を切り出す。
「私は・・・・・・具体的な事はまだ何も考えていないんですけど、やっぱり芸術系かな、と」
「うんうん、そうだと思った。前に見せてもらった杏子ちゃんの絵、めっちゃ良かったし」
「ほ、ほんとですか!?」
「うん。色使いが綺麗で、一目で誰が描いたか分かったよ」
「そ、それは・・・・・・うへへ。嬉しいな」
杏子ちゃんは俺に対しての緊張感を解いてきてくれているのか、話していると、たまにこうして力の抜けた様な素の反応を見せてくれるようになった。
俺はその反応が面白くて気に入っている。
「先輩はどうなんです?」
「俺かぁ。あまり家に負担をかけたくないから、進学するなら国公立かな。それか就職。やりたいことがないし」
「私は直接お会いしたことがないのですけど、黒澤先生・・・・・・でしたか、のいる所は?」
「それも考えたけどね。俺は別に民俗学に興味がある訳じゃないから。妖怪に詳しいとか、好きとかでもないし。俺がたまたま妖怪に近い人間だっただけで」
「そうなんですね」
「うん、いつも振り回されて蘊蓄を聞かされてるから人並みよりは妖怪とか伝承には詳しくなったけど」
先の分からない高校生活は泥の中を裸足で歩いている様な感じだ。踏めども踏めども足下は固まらず前にも進めない。いずれ金色に実る稲を植えているならまだしも、そういう訳でもないし。
「はぁ」
ついニンニク臭いため息が出てしまう。秋の入り口は苦手だ。いつも形のない焦燥感に追われる。なにもかも無くなってしまうようで。
杏子ちゃんと他愛のない会話を続けていると、見慣れた赤城家が見えてきた。
「あ、お母さんがいるんだった」
「えっ」
見ると、確かに窓から部屋の明かりが漏れている。まるで俺たちを迎えるかのように、門柱と玄関ポーチの灯りが点いていた。
杏子ちゃんがインターホンを押すと、ドアが開いた。
「おかえりなさ──まぁ!」
「ただいまお母さん。この人は」
「江口くんね! 典子からお話は度々聞いてます」
「は、初めまして、こんばんわ」
ドアを開けたのは赤城姉妹のお母さん、と言ったら誰も疑わないであろう女性だった。姉妹ととても似ていて、それでいて二人を産んだようには到底見えない若々しさだった。
「お姉ちゃん、家に着いたよ」
「典子さん!」
俺と杏子ちゃんが呼びかけると、むにゃむにゃと呟き背中から降りた。
「ごめんなさいね。迷惑かけて」
「いえ、典子さんにはごちそうになりましたので」
「こんな遅くまで付き合わせてしまって・・・・・・」
赤城さんは申し訳なさそうに言う。
「問題ないです! じゃあ俺は失礼しますね。杏子ちゃん、また学校でね。典子さん、ごちそうさまでした! おやすみなさい」
「先輩、お気を付けて!」
「ばいばーい!」
玄関に立つ二人に手を振り、俺は再び夜道を進んだ。
後日、記憶をなくした典子さんからレシートのような長文の謝罪と反省文がスマホに届いた。
「美味しかったです。また食べにいきましょう!」
とだけ返信しておいた。
黒澤先生と楽しいフォークロア ──怪異と楽しい夏休み 巨勢 尋 @koseHiro
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。黒澤先生と楽しいフォークロア ──怪異と楽しい夏休みの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます