魔女 4

 篠田の姿が見えなくなったのち、ベンチに座ってその新たな『呪物』をもう一度見る。

 見かけは少し汚れた造花に見えるだけで、禍々しいものには見えない。古いものなのか、所々が剥げている。

 スマホで『花冠・呪い・死・ヨーロッパ』というワードを並べて検索してみたけど、ヒットする内容はなかった。それもそうか。調べてすぐに見つかるようなものを出題はすまい。

 今回の呪物の解体は時間との勝負だ。一刻も早く解決の糸口を探さなければならない。

 急いた気持ちを嘲笑うが如く、依然としてネットの海に張った網には何も引っかからない。

「あ、そうだ! 先生!」

 音信が途絶えて久しいが、金策はもう落ち着いてる頃だろうか。

 ダメ元上等! とスマホを取り出し、先生に電話を掛ける。4回の呼び出し音の後、『もしもし克実くん?』という怪人の声がした。

「先生! よかった、出てくれた」

『そんなに慌てて一体どうしたんだい?』

「実は──」

 俺はさっきの出来事を全て先生に話した。聞き終えた先生は、暫くの沈黙の後に、『わかった。それを持って資料室に来てくれ』と言った。電話を終えた後、俺はその足で大学に向かう。

 大学に着いて資料室の扉を開けると、応接スペースに先生とマリーさんがいた。

「あれ? どうしてマリーさんが?」

「家を出る際に訳を説明したら、『私も行く』と言い出して聞かなくてね」

「当たり前だよ!」と興奮した様子でマリーさんがソファから立ち上がる。「杏子や典子に怖い思いをさせたやつに一発お見舞いできるチャンスだもん!」

 ふんっと拳を突き出す。マリーさんもなかなか発想が物騒だ。

「暴力はダメだよ」と先生が宥める。マリーさんはわかりやすく頬を膨らませて腕を組み、再びソファに深く腰掛けた。その雪のように白い肌が仄かに上気している。彼女の感情の起伏はとてもわかりやすい。

「まずは何より、勝負に勝つことが大事なんだ。勝てば篠田はここから出ていく」

「でもそれってさ、場所を変えて同じことをする可能性もあるってことでしょ?」

 先生にマリーさんが突っ込む。

「そこなんだよなぁ」

 俺もソファに座って頭を抱える。あいつの活動自体を辞めさせない限り、臭いものに蓋理論と変わらない。

「まずはその呪物とやらを見せてくれ」

 うーんと唸っていると、先生がそう言った。俺は例の標本箱を渡す。

「普通の造花の花冠に見えるが、これが呪物だと?」

「確か、250年前のヨーロッパを襲った呪いと同じだとかなんとか言ってましたね」

「ヨーロッパの呪いか……。私は西洋に疎いからね。だいぶ難しいな」

 珍しい。先生の蘊蓄が出ない。三人揃えば文殊の知恵というが、どうやら今回は文殊もお手上げらしい。これは……困ったぞ。

 テーブルに置いた呪物を囲んで三人が唸っていると、廊下から足音がして勢いよく扉が開いた。

「失礼しまーす。先生いらっしゃいますか?」

 聞き覚えのある声だ。

「京助さん!」

「あれ、克実くん。それにマリーまでお揃いで。どうしたの?」

 不思議そうに俺たちを見る。相変わらずよく日焼けした肌で、Tシャツ短パンというスポーティな出立ちだった。部活の帰りなのか、スポーツバックパックを背負っている。

「あれ? 京助さんはマリーさんと知り合いなんですか?」

「うん。そうだよ! おひさ」

「よ! 京助! おひさ」

 マリーさんは手を挙げて軽く挨拶をする。フランクな者同士、挨拶もくだけた感じだ。

「月岡くんはなんの用だい?」

「あぁ、そうそう。新刊が出たのでその献本を持ってきたんです」

「新刊?」

 京助さんがバックパックから一冊のハードカバー本を取り出した。

「ああ、そういえば近々刊行予定だったね」

 先生が表紙を開く。その1ページ目には『古瀬尋助』というサインが書かれていた。

「ふ、古瀬尋助!?」

 思わず叫んでしまった。

「克実くん知ってるの?」

「はい! 新聞の連載小説からずっと読んでます! へー、すごい。先生と京助さんのお知り合いだったんですね!」

 そういうと、先生と京助さんが顔を合わせた。

「実はね克実君。古瀬尋助は月岡君の従姉妹なんだよ」

「えぇっ!?」

「前に言わなかったっけ。俺の従姉妹が作家だって」

 そういえばそんなことを言っていたような気もする。

「その人がまさか古瀬先生だとは思いませんよ」

「それもそうだね」

「こ、今度サインを頂いても大丈夫ですか?」

「いいと思うよ。尋さんも若い読者がいるって知ったら喜ぶと思うし」

「やった!」

 サイン本は欲しかったけど値段が高くてなかなか手が出せなかった。たまらなく嬉しい。

 先生はパラパラっと数ページ目を通し、デスクの中に仕舞った。

「で、みんな今日は何してるの?」

 俺の隣に座り、京助さんが訊いた。

「実は──」

 京助さんにも事の次第を話し、切羽詰まっている状況なことも伝えた。

「なるほどね。プチョヘンザッてことね」

「お手上げです」

「プチョヘンザッ!」

 マリーさんが両手を高く上げた。

「呪いねえ。尋さんならわかるかなぁ。小説書くために色んな難しい本読んで勉強してるし」

「……そうだね、博識な古瀬君なら何かわかるかもしれない」

 古瀬先生は先生が「博識」というほどの知識人なのか。さすがだ。

「ちょっと連絡してみますね」

 京助さんはそう言ってスマホを手に部屋を出て、廊下で通話し始めた。そんな簡単に連絡取れるのか!?

「うん、じゃあ明日ね」そう言って電話を切りながら部屋に戻ってきた。

「明日、実物を持って家に来て欲しいって。先生と克実君も一緒に」

「お、俺もですか!?」

「忙しい?」

「めっっちゃ暇です!」

 急な展開に心拍数が跳ね上がる。

「よしよし、先生はどうです?」

「私も空いている。車を出そう。マリーもくるかい?」

「いく!」

「じゃあ決定だね。明日の朝、学校前に集合しましょう。時間は追って連絡しまーす!」

 京助さんはそう言って、軽やかな足取りで部屋を出ていった。彼が来てから展開が大きく変わった。

「俺もそろそろ失礼します。また明日、お願いします」

「うん、気をつけて」

「またね!」

 二人に見送られ、俺は興奮冷めやらぬまま資料室を後にした。

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