魔女 3

「いやぁ、世間は狭いねえ! もう手元に戻ってきちゃったよ」

 篠田先生は、宝塚の男役のような声で話す。手元?

「そうだなあ、君とは色々話すことがありそうだ。ま、とりあえず店を出ようか」

 会計をしようと財布を出すと、「私が出すよ」と伝票を奪い取られ、断る隙も与えられずに奢られた。

「なに、実験のお礼だよ」

「礼?」

 喫茶店を出てしばらく歩き、溜池のある公園の東屋に場所を移した。暑いせいか公園には人影がなく、何を喋っても構わない好都合な状況になっていた。

 篠田先生、改め篠田はブラウスの裾をスカートから出し、東屋のベンチに座る。まるで荒んだOLみたいだ。自分が全ての元凶だと明かした瞬間、彼女は結んでいた髪を解き、両手でわさわさと直した。さっきまでの就活ヘアスタイルが散らかったウルフカットに早変わりした。さらに、やにわに顔を触り出したと思ったら、つけまつ毛を外し、目からコンタクトを取り出した。丸い目の印象は全て作り物で、つけまつ毛とカラーコンタクトで作ったものだった。

 改めて見た彼女の目は、やや吊り目がちなアーモンドアイだった。さっきとまるで違う。可愛い系の顔のイメージから一転、シュッとした美人系の雰囲気に変わった。

 その変わりように今度は俺が目を丸くしていた。

「少しでも警戒されないようにするための変装さ。実際、君にも近付けた」

「……悔しいけど信じ込んでしまった。で、あんた一体何者なんだ?」

 ぐっと篠田は伸びをし、俺に向き直る。

「そうだね、何者か。肩書きなら沢山ある。私立探偵、掃除屋、アマチュア呪術家、ゴーストハンター、インフルエンサー、都市伝説蒐集家、呪物コレクターその他諸々」

 指折り数えながら出されたものは、月刊ムー並みに全て胡散臭かった。

「篠田さんが胡散臭い人なのはわかったよ。非常勤講師っていうのも嘘だったんだな」

「悪いね、騙しちゃって」

 と悪びれる素振りもなく言う。

 俺はそんな篠田にさっきの疑問をぶつけてみる。

「それで、さっき言ってた実験っていうのは何のことなんだ?」

「あぁ、その事ね。喫茶店で君に言った通り、私は流言蜚語の研究をしていてね。学生の時から都市伝説や噂の誕生から衰退までを観測したかったんだ。そこで、自分の作った怪談や都市伝説が、どういう経緯で市井を巡って自分の耳に入るのかという実験をこの街で行うことにした。あの箱はそのスタートさ」

「なんて邪悪な実験なんだ」

「ま、予定より早く私の耳に入ってきたけどね。本来なら君から君の友達へ、またその友達へ、って感じで噂が広まるのが理想だったんだけど」

 そう言って散らかった頭を掻く。

「そうかー、この街には呪術に関して知識を持つ人間がいたのかぁ。盲点だったよ、ほんとうに」

 悔しそうにする篠田に、「本当は呪術だけじゃないんだけどな」と言いそうになった。

「篠田さんよ、わかったならこの街から出て行ってくれ。あんたの撒いた呪物のせいで、一人の女の子が危険な目に遭いかけたんだ」俺はようやく本題を切り出した。「あんたみたいな不審者をこの街に野放しにはできない」

「じゃあ私を警察に突き出すかい? 何と言って? それに証拠は? 呪いをばら撒く女って言うのかい? 警察は信じるかなあ」

 俺からそう言われると思っていたんだろう、返事が早かった。確かに事件性のないオカルトな理由では警察も取り合ってくれないだろう。まったくタチが悪い。

「なら小学生から高校生までの子供に突然話しかける不審者がいるって声掛け事案で通報する」

「それは……ちょっと嫌だな」

「なら──」

「はぁ~。わかったわかった。君は平穏に暮らしたいんだね。でもね、私も色々な街を回ってようやく理想の場所を見つけたんだ。だから簡単には手放したくない。だからね……克実くん。勝負をしよう」

 篠田は「困った子だ」とでも言いたそうに、両手を上げる。

「勝負? 殴り合いなら負ける気はしませんよ」

「発想が物騒だな君は……。違う違う、勝負と言っても私が出す問題に答えてもらうだけだよ。君が正解すれば私はここを去る。私が勝てば、そうだな……君には実験の手伝いをしてもらう。どうだい?」

「手伝いって何だよ。犯罪の片棒を担げってことか?」

「いや、別に法律に触れることじゃないよ。ただ、私の作った都市伝説を君の学校にばら撒いてほしいってだけだ。十代の若者たちは噂話が大好きだからね。それに、今はネットなんかで簡単に情報が共有できる。その速度を利用してみたいのさ」

 本当に碌でもないことを考える女だ。人に呪物を渡したり、言葉によって人心を惑わしたり、変装して姿を変えるなんて、さながら──

「……魔女だな」

 俺の呟きを聞いた篠田がニンマリと笑う。

「じゃあ私が君に勝った時に、君は私の使い魔になるってことだね」

 ふふん、と得意げな顔をされる。

「さぁ、どうする──?」

「やる。受けて立つ!」

 ここで諸悪の根源を絶てるのならやるしかない。

「お、いいねえ。そうこなくちゃ」

「勝った時の約束は守れよ」

「もちろんさ」

 篠田はそう言って右手を差し出す。さしずめ魔女との契約の握手といったところか。俺はそれを握り返した。

「では、私の数ある呪物コレクションから出題しよう」

「数ある!?」

「あるよ、色々たくさん。髪の伸びる人形が5体、チベタンスカル、地獄の見える欄間、猿の手、ご神木に刺さっていた藁人形とか」

「カオスすぎる……。どれか一つは本物が混じってるんじゃないか?」

「混じっていても私には効かないさ」

 彼女はゴソゴソとバッグをいじる。

「私は呪いを信じていないからね」

「呪いは信じる人にのみ作用するってやつか」

 不意に探す手がピタッと止まり、篠田は俺を見た。

「君、さっきから何かと色々詳しいね」

「知人のせいです」

「ふーん。お、あった」

 ようやく彼女はバッグから何かを取り出した。

「おいおい、もしかしていつも呪物を持ち歩いてるのか?」

「これはたまたまさ」

 テーブルに置かれたそれを見る。見た目はA4サイズくらいの木枠の標本箱で、中には鮮やかな緑色の葉に、白い花、赤や濃い紫の木の実が飾り付けられた造花の花束が入っていた。

「これは?」

「今から約250年前のヨーロッパで、子供から大人まで沢山の人々を死に近づけた呪いと全く同じ呪いが掛かっている花冠の一部だ。死に近づけたと言ったが、関わった者の中には死者もいる。特にマチルダという少女の死に様は悲惨なものだった。緑色の水を吐き、白眼が緑に変わり、駆けつけた医者に『全てが緑色に見える』と言ったそうだ。最後は痙攣発作を繰り返したのち、目と鼻から泡を吹いて死んだという。さて出題だ。箱の呪いを解いてみせたように、この花冠にかけられた呪いを解体してみたまえ。期限は……そうだな、明後日のこの時間までだ。場所は同じくここで。楽しみにしているよ」

 篠田はそう言って、わさわさとした髪を揺らしながら去っていった。

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