魔女 2

 喫茶店はお昼時だということもあって客足が多く、窓際の二人掛け席しか空いていなかった。席に着いてメニューを見る。通い慣れてるから正直悩むほどのことはないけど、習慣化した行為というか、ルーティーンみたいな感じだ。

 食べ慣れた卵サンドとチキンライスの大盛りを注文し、お冷を一口飲む。

 スマホを見ると、典子さんからメッセージが来ていた。夏休みが終わる前に杏子ちゃんと3人でご飯に行こう、という内容だった。箱の一件のお礼らしい。確かに「ご飯を奢ってください」と言ったけど、ただの冗談のつもりだった。

 悩んだけど、せっかくのお誘いを断るのも悪いと思い、「行きましょう!」と返信しておいた。

 何料理のお店に行くのかなと考えていると、注文した料理が現れた。

「いただきます」

 ここの卵サンドは、少し焼いた食パンにフワッフワなスクランブルエッグが挟まっていてとても美味しい。これだ、これを食べたかったんだよ。家で何度も再現しようと試したけど、全然うまくいかない。もしこれを家で作れたなら毎朝だって食べたいくらいだ。それぐらい美味しい。

 二口三口で食べ終え、大皿に盛られたチキンライスに移る。元々ここのメニューに大盛りなんてなかったけど、何度か注文しているうちにメニューに追加されていた。

 オムライスも美味しいけど、卵のまろやかさがないチキンライスも絶品だ。バターとケチャップが程よくライスとチキンに合わさっていて、その中に混ざる玉ねぎも甘くて美味しい。

 ガツガツと口に運ぶスプーンが止まらない。寝起きでも関係なく食べられる。

 うまいうまいと無心で食べているうちに完食してしまった。

 満腹になったところで食後のアイスコーヒーを注文する。

 アイスコーヒーは注文してからすぐに来た。ここで飲む食後のコーヒーは格別だ。

 半分ほど飲んだところで、いつの間にか店内の客数が減っていることに気づいた。所々空席が目立つ。

 カランッと店のドアベルが鳴る。何の気なしに入り口を見ると、さっきの教育実習生がいた。篠田先生だったか。

 店内を見回す彼女と目が合う。軽く会釈をすると、こちらに向かってきた。

「江口くん、さっきはありがとうございました」

 人好きのする笑顔でそう言った。

「いえいえ、間に合いました?」

「お陰様で! あ、ここいいかな?」

 先生は俺の目の前の椅子を指す。他の席が空いてるのになんでわざわざ……と思ったけど、話し相手が欲しかったのだろうと思い、「どうぞ」と答えた。

「江口くんは何年生ですか?」

「2年です」

「そうなんですね! 実は江口くんに訊きたいことが色々あってね」

「訊きたいこと?」

 そう言って彼女は手にしていたハンドバッグからメモ帳を取り出した。

「学校の雰囲気とか、先生のイメージとか、教えてほしいなって。ほら、やっぱりあらかじめ色々知っておいた方が馴染みやすくて動きやすいじゃないですか」

「あ、ああ。確かにそうですね。いいですよ。そうだな、学校の雰囲気かぁ……。割と自由な校風で──」

「うんうん」

「制服は冬は学ランとブレザーで──部活は運動部と文化部が─」

「はいはい」

「国語科の小林先生と数学のマッシュルームヘアの先生がデキてる感じで──」

「なるほどなるほど」

 あまりにも根掘り葉掘り聞いてくるから、こっちは取材を受けている気分だ。

「へぇ、面白いですね」

「教師陣のクセの強さは実際に行けばわかりますよ」

「ありがとう、勉強になります」

 改まって礼を言われる。

「いやいや、大したことでは。っていうか、篠田先生もせっかく喫茶店に来たなら、なんか注文したらどうです?」

「そうだった。何かおすすめとかはあります?」

 メニューを手に、彼女は言った。

「コーヒーは美味しいですよ。あとサンドウィッチ系も」

「へー。じゃあそれにしようかな」

 篠田先生はコーヒーとサンドウィッチを注文した。料理が来る前、篠田先生とあれこれ話してみる。

「先生の大学ってこの辺ですか?」

「ううん、私は県外です。親戚の家がこの近くにあるから、そこに下宿させてもらってるんです」

「へー。担当教科ってなんですか?」

「社会科だよ。多分現代社会の授業をさせてもらうはず。江口くんのクラスに当たったらよろしくね」

「社会科かぁ」

 日本史以外は苦手だ。

「面白いですよ社会科の学問は! 私の卒論のテーマは都市の民俗学と流言蜚語についてだからね」

「民俗学……」

 ふとあの怪人が頭に浮かぶ。先生が聞いたら喜びそうな話題だ。

「面白いよ! 都市伝説の研究とか、サブカルチャーが社会に与える影響なんかを調べたりするんですよ!」

 急に饒舌になる篠田先生に驚く。研究者って大体こんな感じなんだろうか。

「あ、ごめんなさい。私ってばつい……。学問とか、好きなものの話になるとテンションがあがっちゃうんです」

「あ、気にしないでください! 知り合いに似たような人がいるんで!」

 しゅんとした篠田先生にフォローを入れる。篠田先生はお茶目に舌を出して「へへ」と笑った。そうこうしているうちにコーヒーとサンドウィッチがテーブルに現れた。

「わー! 美味しそうです! いただきます!」

 彼女はそう言い、サンドウィッチを美味しそうに頬張る。よっぽどお腹が空いていたんだろう。ほっぺたがリスみたいになっている。

 赤城姉妹やマリーさんといった、所作や雰囲気が上品なお姉さんたちを見てきたせいか、頬張る姿勢で食事する彼女の姿は新鮮だった。食に貪欲なのは嫌いじゃないけど。

 彼女は頬張っていたそれをコーヒーで流し込んだ。

「そんな急がなくても」

「あ、いつも研究室では早く昼食を取らないといけなくて、ついその癖が」

 篠田先生も苦労しているクチかな。

「先生、都市伝説の研究って言ってましたけど、具体的にはどんな?」

「え! 興味ある!?」

 先生はキラキラとした丸い目を開き、テーブルを超えて前のめりになる。顔のいい人に詰められたらつい背もたれに力が……って似たようなことが前にもあったな。

「ぬ……俺というか、知り合いが好きで」

「うんうん、いいですね。私のやってたことはですね、都市伝説と言っても『流言蜚語』という、噂やデマの研究なんです。例えば、地域にある空き家に変な噂があるとして、その噂の出どころや理由を探ったりするんですよ!」

「へぇ」

「最近だとですね、この水城市の高岡神社の境内で、とある女子高生が変なものを拾った話とか」

「ここの話ですか! 高岡神社ってすぐそこじゃないですか」

「そうなんです。だから後で見に行こうかなって」

 へぇ。知らなかった。近所にそんな噂があるなんて。

「で、女子高生が拾ったのはなんだったんですか?」

「それがね」篠田さんは言いかけて、水を一口飲む。喋り過ぎて喉が渇いたようだ。「箱なんですって」

「は、はこ」

 思わず鸚鵡返ししてしまった。箱? 脳裏にこないだのことが浮かんだ。いや、多分違うな。思い過ごしだろう。

「そう、箱。それが実に奇妙なものでですね。話によると、ある日の夕暮れ時、女子高生が境内にある稲荷神社の中に入ったときに、そこの鳥居の下に落ちてたのを見つけたとか。形はルービックキューブを一回り大きくしたサイズの木箱で、表面の木目がなんだかおかしい。しかも箱なのに蓋がない。その子は社務所で落とし物を届けたついでに、そこのスタッフの人とそれを調べてみた。すると、箱の表面はパズルのようになっていて、決まった順序に動かしていくと開く仕組みになっていた。開けることができたから中を見てみると──」

「見てみると……?」

「複数の針が刺さった、毛髪の詰められている人形が入っていたんですって」

 いやな想像は当たっていた。その箱はこの前、杏子ちゃんの机に入れられていたものと一緒じゃないか! 一気に鼓動が早くなり、手汗が滲む。

「その後は?」

「わかりません。その子がそれをどう使ったのか、その後の話も」

「怖い話ですね。そんな物が近所に──」

 近所にあるとは、といいかけて飲み込む。ある違和感に気付いたからだ。

 先生はあの呪物を「寄せ集めの不完全な呪い」と言っていた。確かに色々な出典があるみたいだけど、要は誰かのオリジナルだ。コトリバコのように、この世に同じものは二つとないはず。そして、その発見者は佐渡島だけのはず。プライドの高い佐渡島がそれを他人に話すことはないだろう。それから、最後は俺がこの手で破壊した。

 だとすればおかしい。見知らぬ人にまで噂が立つことはないはずだ。

 腕を組み、考え込む俺を不思議そうに先生が見る。

「どうしました?」

「いえ。少しその話に疑問がありまして」

「疑問ですか?」

「実はその話、知ってるんですよ。俺も関わったので」

 ピクっと先生が動く。

「その箱の見た目、中身、全て知っています。直接見たので。だけど俺は最初、それが一体何なのかわからなかった。でも隣にいた詳しい人が言うには、その箱は『呪物』なんだそうです。先生、あなたはさっき、拾った女子高生が『どう使ったのか』といいましたよね。それはその箱が呪物であると知っている人じゃないと言えないはずだ。中身が怖いものの箱を箱として使うとは思えない。それにその呪物は色々なものの寄せ集めで、オリジナルの呪物だそうですが、内容が不完全で機能しないそうです。ここまで要素が重なると流石におかしい。観測者はその女子高生と神社の人だけなんですから。しかも、その神社のスタッフとやらが本当にいたのかさえも、聞く限りあやふやになる。俺は拾った女子高生の人物を知っているので」

 先生はコーヒーを一口飲む。

「ねぇ先生。その箱について知っているのは、俺とその場にいた数人、その箱を使って嫌がらせをした女子高生、後は──」

 ごくりと唾を飲み込む。

「呪物を作った人だけです。これに当てはまる人物が一人しか思い浮かばない。先生、あなたがあの箱を作ったんじゃないですか?」

 手が震えるのを必死に隠す。

 先生はしばらく沈黙しながら俺を見た。その顔にはさっきの笑顔はない。

 悶々と思考を巡らせていると、先生はニコッと笑い、言った。

「正解だよ。よくわかったね」

 彼女は今まで喋っていた女性らしい声とは違う、よく通る中性的な声で「はっはっは!」と笑った。

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