魔女 1

 箱の一件から3日が経った。杏子ちゃんはあれから何事もなく過ごせているようで、取り組んでいた作品も無事に完成したらしい。

 結局、あの後も先生からは何の連絡もなく、8月の後半に入ってようやく落ち着いた休みが手に入った。終わりかけていた課題も済ませた。今は夜更かししては昼まで寝るという惰眠を貪り尽くす生活だ。

 夏休みが終わって、いざ登校となった時に、早寝早起きのサイクルを取り戻せるのか怖いところだけど。

 今日も今日とて、日が高く登った11時過ぎに起床した。もう家には誰もおらず、リビングには蝉の声だけが聞こえていた。欠伸をしてもひとり……なんつって。

 ブランチを家で済ませてもよかったけど、「たまには気分を変えて喫茶店で食べるのもいいか」と思いつき、顔を洗って家を出た。

 今日もピーカン照りで気持ちのいい青が頭上に浮いている。俺は自転車に跨り、陽炎ゆらめくアスファルトへと漕ぎ出した。

 行きつけの喫茶店『浪花屋』は家から少し離れた街中にある。俺の通う高校と、先生たちのいる水城大学とのちょうど真ん中ぐらいに位置する。

 木に覆われたトンネルのような小道を、心地よい風に流されながら気持ちよく進んでいると、前方に携帯を片手に持って右往左往している人を見つけた。就活生みたいなグレーのスーツを着たお姉さんだ。スマホの画面を見ながらあちらこちらを見ては首を傾げてぐるぐるしている。もしかして道に迷っているのだろうか。 

 そんなことを思いつつゆっくり進みながら見ていると、すれ違いざまに顔を上げたその人と目があった。撫で付けるように後ろで髪をまとめて、前髪は七三にしている。丸っこい大きな目が俺を捉える。

「すいません!」

 呼び止められた。

「なんですか?」

「高岡北高校ってどちらですか?」

「北高ですか? 北高ならこの道をしばらく直進して、大通りに出た後に左にひたすらまっすぐ行ったらありますよ」

「ありがとうございます! もしかして生徒の方ですか?」

「そうですよ。あなたは……教育実習生か新任の先生? ですか?」

 俺が聞くと、彼女は少し逡巡した後に「非常勤講師です!」と答えた。今の間はなんだ。

「夏休み明けからお世話になるので、挨拶に伺おうと……」

「へー、非常勤の先生も大変っすね」

 そういうと、彼女は苦笑いする。

「そうなんです。へへ、ありがとうございます。えっと」

「江口です。江口克実」

「私は篠田です。また学校で会いましょう! 江口くん!」

「うっす。じゃあお気をつけて。篠田──先生」

 そう言って別れ、俺はまた喫茶店に向けて進み始めた。

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