魔女 5

 翌朝、楽しみにしすぎて集合時間より30分も早く着いてしまった。興奮でよく眠れなかったせいか、まだ目がしぱしぱする。

 日が昇ってまだ間もなく、心地いい涼しさを感じられる朝で、大学前は人通りがなくてとても静かだった。遠くで蝉が鳴き始めているのが聞こえる。こんな早い時間に集合とは、古瀬先生のお宅はよほど遠いのだろうか?

 遠出の時はあまり荷物を持っていきたくない。今日の手荷物は紙袋に入れた例の呪物と、メッセンジャーバッグに入れた古瀬尋助先生の文庫本小説3冊だ。

 暫く待っていると、京助さんが現れた。

「おはよう!」

 彼は朝から元気だ。ハキハキと挨拶する。

「おはようございます」

「先生たちは?」

 そう言って当たりを見渡す。

「まだみたいですね。古瀬先生のおうちは車で行くほど遠いんですか?」

「ちょっとね。田舎すぎて公共交通機関がほぼないんだ。だから車の方がいい」

「へぇ~」

「俺はしょっちゅう通ってるけど」

「しょっちゅう!?」

「部活終わりに尋さんが迎えにきてくれるんだ。今は半同棲みたいな感じ……あ、あれかな? 来た来た!」

 京助さんが手を振る。その先には、いつか見た無骨な黄色いジムニーが見えた。

 ウィンカーが点いて目の前で停まる。助手席の窓が開き、サングラスをかけたマリーさんが顔を出した。

「おは! 後ろに乗って!」

 後ろのハッチを開けて、京助さんが乗り込む。俺はその左隣に座った。後部座席のシートは助手席より固かった。

「じゃあ、行こうか」

「お願いしまーす」

 先生がアクセルを踏むと、低い唸り声を上げてジムニーが走り出した。

 以前乗った時とは違い、車内には賑やかな音楽が流れていた。マリーさんの趣味かな。

「ポッキー食べる?」

 助手席から振り返って、お菓子の箱を俺たちに差し出す。

「食べる! ありがとう」と受け取り、京助さんと半分こする。

「朝からポッキー食べられるのは遠出する時だけだね」

「なんか特別感ありますよね」

 ジムニーはそのまま大きい国道を横断し、どんどん山手の方に入って行った。次第に高い建物は少なくなり、緑のテント屋根を張ったナントカ商店やら、日に焼けて色褪せた看板のカントカ電気商会などの店が目立つようになってきた。

 もう暫くするといよいよ人家も少なくなってきて、田園風景が広がり始めた。まだ青い稲が気持ちよさそうに風に揺られている。京助さんによると、まだ小一時間ほどかかるのだとか。

 外の風景を眺めていると、唐突に京助さんが、

「暇だしクイズでもする? 作ってきたんだ」

 と言い始めた。

「する!」

 とマリーさんが元気よく手を挙げた。本当に元気な人たちだ。

「早押しクイズで、わかった人から挙手してね。それでは第一問!」

 おっほん、と京助さんがわざとらしい咳払いをし、車中クイズ大会が始まった。どうやら全員参加らしい。

「田舎から都会に観光しに来た人の事を『お上りさん』と言いますが、逆に──」

「はい!」

「はい克実くん!」

「お下りさん!」

「ブー! 逆に都会から戻る人を『お下りさん』と言いますが、江戸時代において夫から妻に突きつけられる離縁状のことをなんというでしょうか?」

「え……全然わからん」

「はい!」

「はい、マリー!」

「みくだりはん!」

「正解! さすがだね」

「えぇ……トリッキーすぎる……」

 最初の文はなんだったんだ。全然関係ないじゃん! 似てるのは字数と韻だけだし。変化球すぎる。

「では第二問!」

 困惑する俺を置き去りに、続きが始まった。

「400字詰めの原稿用紙に70文字書くと何行になるでしょう!」

 また変な問題が出ると思いきや、次は普通のクイズだった。

 少しのシンキングタイムの途中、先生が「あぁ!」と言ってハンドルを軽く叩いた。

「上手いね月岡君」

「お、先生わかりました? では解答をどうぞ」

「3行と10文字。3行半だ」

「正解!」

 先生の解答を聞いて、マリーさんは何かを理解したのか「くそー! そういうことか!」と悔しがった。んん、どういうことだ?

 首を傾げる俺をルームミラーで一瞥した先生が、

「克実君、この問題はさっきと答えが繋がっているんだ。『みくだりはん』は漢字で書くと『三行半』になる。つまりは言葉遊びだよ」

 と回答の説明をした。フロントガラスに映る先生の口元がニンマリと笑っている。

「よくこんな問題を考えたね」

 先生が感心して言う。

「この前時代劇を見ていたら思いつきました」

「時代劇見てても思いつきませんよ!」

「しょうもないことを考えるのが好きなんですよ。尋さんにもしょっちゅう『しょうもな!』って笑われます」

 京助さんはそう言って笑った。がっつり体育会系だと思っていたけど、彼は色々な事に詳しいらしい。小説家の親戚だからかな?

「では第三問!」

「まだあるの!?」

 こうして車中クイズ大会が和気藹々と盛り上がりっていたが、第十一問目のシンキングタイムの途中で

「もうすぐ着くよ」

 と先生が言った。車は田んぼと山々に囲まれたのどかな道を走っている。数メートル先には幅の広い川を渡す橋があった。

「暑い日はこの川でよく遊ぶんだ。水も綺麗だし、魚もたくさんいる」

「へー、いいですね!」

 橋を過ぎてから小さい踏切を渡って暫くし、目の前に白い築地塀のある家が現れた。敷地が相当広いのか、塀は首を左右に振らないと視界に収まらなかった。

 塀の前の道に車を停め、俺たちは門の前に立った。

「ここだよ」

 大きい瓦屋根の門にある表札には、確かに「古瀬」と書いてあった。

 いよいよ会えるのか。緊張して心拍数が上がる。手汗がひどい。

「ただいま~! 来たよ!」

 そう言って京助さんは門をくぐり抜ける。お家は大きい平屋の日本家屋で、瓦屋根と太い木の柱が年代を感じさせる。いつか見た『犬神家の一族』に出てくる屋敷を思い出した。

 玄関の扉の前で待っていると、左の中庭から女性が現れた。尋助先生のお家の方かな?

「おかえり京助。これはみなさんお揃いで」

 俺たちをそう言って歓迎するその女性は、所々白いものが目立つ黒髪のセミロングヘアだけど、顔つきから年齢はそう高くないように見えた。多分、20代後半くらいの女性だ。長い前髪の下は吊り上がった目尻の三白眼で、一瞬睨まれてるのかと思ったけど、口元は柔和な感じだった。水色のボーダー柄の白いTシャツに短パンを穿いている。足元はサンダルというラフな格好だ。

「ただいま、尋さん」

「久しぶりだね古瀬君」

「お久しぶりです、黒澤先生」

「え、えぇ!? こ、この方が古瀬先生ですか!?」

 驚きでつい大声になってしまった。

「そうだよ」

「尋助先生っていうから、て、てっきり男性の方かと」

「あ、そういうことね。『尋助』はペンネームだよ。本名は古瀬尋」

 京助さんがさらっと説明する。予想外だった。本を読んでも女性らしさより男性的な目線が目立っていたから、ずっと男性だと思っていた。

「尋ぉ!」

 驚きと動揺を隠せない俺を後ろから押し退け、マリーさんが古瀬先生に走って抱きついた。

「ぐえっ。マリーも久しぶり」

 自分より背の高いマリーさんにぎゅっと抱きしめられた古瀬先生は一瞬苦しそうな顔をしたけど、その熱い抱擁を外そうとはせず、背中に手を回した。

「外で話すのはなんなんで、中に入りましょう」

 京助さんがそう促し、俺たちは古瀬先生のお宅にお邪魔した。

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