魔女 終

 真昼間の炎天下、自転車に乗って例の公園に向かうと、既に篠田が東屋で待っていた。気だるげにベンチに座っている。今日はスーツではなく、ツナギの作業着の上を腰に巻き付け、上半身はタンクトップという装いだった。足元はビーチサンダルを履いている。

 タンクトップから伸びる篠田の腕はよく見ると、意外にもアスリートのように引き締まっていた。

 自転車を駐めると、ベンチにもたれかかりながら「遅かったじゃないか」と俺に言った。

「レディを待たせるなよ」

 怪しい笑みを湛えながら言う。魔性の笑みだ。

「寝言は寝て言え」

 魔女の言葉を流し、俺は篠田に呪物を返した。

「お、おお? なんだこのガムテは。まぁいいや」

 篠田は受け取った標本箱を傍に置いた。

「で、だ。呪いは解体できたかい?」

 口角を上げた表情で篠田は言う。挑戦的な顔だ。

「まぁな」

「……ほう」

 俺はテーブルを挟んだ向かいに座る。

「じゃあ、呪いを解こうか」

 俺は先生の口調を真似ながら、篠田が出した出題の解答を始めた。

「──つまり、この造花の葉の色に使われた顔料に含まれるヒ素が、あんたの言う『呪い』の正体だ。どうだ」

 篠田は終始、楽しそうに頷いたり、相槌を打って聞いていた。聞き終わると、少しの間沈黙していたが、やがて大きなため息を吐いて肩を落とした。

「今度は直接的な意味での呪物じゃないから、簡単に解けないと思っていたのになぁ!」

 彼女は散らかったウルフカットをわさわさと掻き回した。

「正解だよちくしょー!」

「じゃあ早くこの街から出ろよ」

 そう立ち去ろうとすると、「ちょ、ちょい待ち」と篠田は俺を引き止めた。

「なんだよ」

「江口くん、今回は一体どうやって解いたんだ? まさか君一人ではないだろう?」

「それは……内緒だな。強いて言うなら『怪人』の手助けだよ」

「怪人?」

 流石に古瀬先生や京助さんのことをこいつには話せない。あの二人は巻き込めない。

「なんとも気になる存在だが……。でもまぁ、仕方ないか。そうだ江口くん、負けてから言うのもなんだけどさ。私の元でバイトしない?」

 上目遣いで篠田が言う。

「本当になんだよ」

「いやぁさ、噂を広めるのも一人でするには中々楽じゃなくてね。学生の手でも借りられれば最高なんだが……って。給料は弾むよ! だから、ね!」

 ほらほら、と指で丸を作って篠田は俺を誘う。

「悪いけど妖怪だの呪いだのに関わるバイトは間に合ってる。もうお腹いっぱいなんだ。他を当たれ」

「んな殺生な! お金かい? お金なのかい? バイト代ならいくらでも……」

「うるせぇ! いいから早よ出て行け!」

 余裕を持っていた最初の表情とは打って変わり、篠田は眉をハの字にして力ない顔になっていた。

「お願いだよぉぉ!」

 また男役のような声で情けない声を出す。

「しっつけぇ!! おいズボンから手を離せ! くそっパンツが見えるだろうが!」

 しつこくしがみ付くその手を払い退けて自転車に跨る。

「あばよ」

 そう告げ、嘆く魔女を背にして公園から引き上げた。

 このまま家に帰ってもよかったけど、事の顛末を伝えるために資料室へと向かった。

「やぁ、克実君」

「こんにちは、先生」

 今日は久しぶりに先生一人だった。一昨日あんなに賑やかだった資料室が、今は時計の秒針の音が聞こえるほど静かになっている。

「お陰様で無事に解決しましたよ。古瀬先生の見解は見事に正解でした。篠田は近いうちに街を出ていくでしょうね」

「そうかい、そりゃよかった。とりあえず無事で何より」

 応接スペースのソファに腰掛けると、先生はいつものアイスコーヒーを出してくれた。

「まったくはた迷惑な異人だったね」

 先生は軋むデスクチェアに座り、呆れたように言う。

「異人……ですか?」

「そうだ。ある社会的集団を訪れ、一時的に滞在するが、用事を済ませればそこを立ち去る者を『異人』という。例として挙げるなら、遍歴する宗教者、職人、商人、乞食、旅行者、巡礼者などだ。篠田の場合で例えてみるなら、呪いやありもしない噂をばら撒く『魔女』として、この街に住む人間からすれば彼女は異人だった」

「異人と言われれば、確かに魔女は人じゃないですね。空を飛ぶし、猫と話すし」

「異人とはいうけど、実はそうでもないんだ。多くの人は魔女が人間ではないと思っているがね、実際のところは違うんだ。現代において、魔女は多かれ少なかれ普通の人間だと考えられている。たとえどんな悪事を働いたとしても、その魔術的効果が人間の範疇を超えるものではないんだ。呪いをかけても、人形に釘を打ったとしても、それはそういう行為をしただけになる」

「俺たちが思い浮かべる魔女は、童話なんかのファンタジーな世界だけでの存在っていうことですか?」

「そうだ。そもそも『魔女』と呼ばれた女性は悪事を働く存在ではなく、病気の治療法なんかの知識が豊富な『賢女』だった。産婆もその中に入る。当時の一般大衆は産婆にしか診察を頼まなかった。その民衆の医者である産婆が人々の病を治せない時に限って、人々は『魔女』と言って非難したんだ」

「それはまた都合のいい話ですね。たまったもんじゃない」

「フランスの民間において、魔女は『物知りで人や家畜の病気の民間療法師で、失せ物の在処や行方不明者の居場所を占う占い師』であるという。だからね、フランスの昔話に登場する魔女は普段我々が想像する魔女像とはかけ離れてるんだ」

「俺やマリーさん、尾野崎さんと同じく、『人間として見られなかった人間』になりますね」

「そうだね」

「それで言ったら篠田も立派な魔女ですね。やってることは胡散臭いし」

「彼女は現代に生きる魔女だね。一度会ってみたいよ」

 はは、と先生は呑気に笑う。

 西洋には疎いといいつつ、魔女についての蘊蓄をしっかり話せるあたり、改めて先生の事を凄いと思った。

 今後この街で篠田と対峙することはないだろうけど、ヤツとはいつか何処かでバッタリ会ってしまうような、そんな気がして仕方がない。

 「もう二度と会いませんように」と願いながら、俺はキンキンに冷えたほろ苦いアイスコーヒーを飲み込んだ。

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