怪人 2

 口裂け女? と思わず振り返りそうになる。

「口裂け女?」

「そう。赤いコートを着て、長い髪に大きいマスク、100mを2秒で走るとかのあの口裂け女」

「ここ地元だけどそんな話一回も聞いたことないよ?」

「俺もないよ。見間違いなんじゃないかって言ったけど、アイツが言うにはな、登校中に小学校の方から赤いコートを着た黒い長髪の女がすごいスピードで走り去って行ったんだと」

「ふーん、口は裂けてたの?」  

「いや、大きいマスクでわからなかったんだってよ」

「へー、やっぱりマスク着けてるんだ」

「へーって。信じてないな? アイツ今朝、小学校に出かけたと思ったら、すごい興奮して帰ってきたんだよ。今まで見たこともない顔でな。俺も出発前だったから詳しいことは聞けなかったけど」            

 そう言って2人は出てきたコーヒーに口をつけたようだ。

 口裂け女……俺もそんな話は今まで全く聞いたことがない。そもそもこの街に都市伝説なんか存在するのか?       

 うーん、と他人事なのに気になって頭を捻っていると、奥で新聞を読んでいた男性がおもむろに立ち上がり、カランコロンとこちらに向かってきた。

 後ろの席へ向かう際、持っていた新聞を俺の机に置いた。おい。

「その話、詳しく聞かせてもらえないかね」

 ボサボサの頭に丸いサングラスを着け、よれたワイシャツにスラックス姿で下駄を履いた男性が後ろの二人にそう話しかけた。

「うお……黒澤先生、いらっしゃったんですか」

「いたよ。2人の話は最初から聞かせてもらった。口裂け女が出たというのかね」

「民俗学の先生はやはり気になりますか?」

「私もここいらに来て長いけど一度も聞いたことがないからね」

「そうなんですか」          

「それに、少し引っかかることがあってね」  

 そう言って男性は空いている席から椅子を一脚持ってきて、お誕生日席に座った。

「ああ、君。新聞読み終わったから」

 席に腰掛けた男性は俺にそう言った。

「え?」                 

「店に入った時に探していただろう?」

 そう言って2人に向き直す。驚いた。俺が入店した時から見てたのか。

「ではまず『口裂け女』に就いて話す前に一般的な口裂け女のイメージについて話そうか。アレは全国で語られる怪異で、北は北海道から南は沖縄まで広く噂が語られている。大体の話の筋はこうだ。小学校から下校途中の少年の前に赤いコートを着た女が近づいてくる。見ると顔の半分を覆う程のマスクをつけている。気になるが無視して通り過ぎようとすると女性が立ち止まり、『私、綺麗?』と声をかけてきた。少年が困惑しながら『綺麗です』と答えると、女性はその大きいマスクを外し、耳元まで大きく裂けた口を見せつける。『これでも?』と尋ねるその手には大きな鎌を持っている。怖くなり逃げようとするが少年の肩は女に掴まれる──というのが広く知られているものだろう。オチは地域によってバラバラ。その鎌で口を同じ様に裂かれる、口の中に生えた130本の歯で噛み殺す、怪力で噛み殺す、ポマードと3回唱えて逃げ切る、べっこう飴を撒く……など。手に持っているモノも鎌ではなくハサミ、包丁、剃刀、鉈、メスなどという説もある」

「めちゃ多いっすね」

「それだけ流言蜚語として全国に広まったんだね」

「で、弟はその中のどれかに当てはまる口裂け女を見たんですかね?」

「口裂け女『かもしれない』という女性を見ただけだから、なんとも言えない。それに──」

 先入観というものもあるからね、と煙草を一本取り出して一服した。重たいニコチンの臭いが鼻をつく。

「先入観?」

「そう、例えばテレビ番組とか。君、もう一度新聞を見てもいいかな」

「え? あ、はい」

 求人誌を読むふりになっていた俺に、黒澤と呼ばれた男性が話しかけてきた。驚きつつ新聞を手渡す。

「すまないね。それで君、えっと」

 彼らに向き直り、話を再開する。

「岡山です」

「岡山くん、昨晩家でテレビは見たかい?」

「テレビ……晩御飯中に……確か特番の木曜スペシャルを見ました。あ」

 黒澤さんは新聞紙を広げたようだ。おそらく昨日の番組表を見ているのだろう。

「そう、その内容はこれ。『木曜スペシャル! 怪奇!都市伝説の真相に迫る』だ。岡山君の弟もこれを見たんじゃないのかね」

「見てました!」

「おそらくこの番組の中で『口裂け女』も取り扱われていたはずだよ。小学生の男の子だ、きっとテレビに影響されやすいだろう。面白くて記憶に残るテレビ番組を見た翌日、それに似た風貌の人物を見たら──」

「口裂け女に……見えますね」

 確かに見えるかもしれない。

「そして私が気になった点というのはね、昨日今日と地域内での事案情報が無かったというところだ。一応この地域の不審者情報などは、たとえ大学でも入ってくるからね。もしその女が同じく昨晩のテレビを見て小学生たちに声をかけたり危害を与えようとする人物であれば、私たちにも何かしら一報が入るはずだ。それがなかったということは何もしなかったのだろう。つまり岡山くんの弟が見たのは『口裂け女』ではなく、たまたま似たような格好をした女性だった、ということになる。しかし……この暖かい季節にコートを着るのは違和感があるな。小学生が見てコートと間違える格好。思い浮かぶのはガナーチ、コーディガン、カパ、マッキントッシュ、スリッカー……」

 黒澤さんは何か呪文の様な言葉をぶつぶつ呟いている。気になり、聞き取れた「ガナーチ」という言葉をスマホで調べてみる。中世に着られた、ポンチョの胸に舌状の飾りであるランゲットと大きめのケープ袖のついた外衣。なるほど。「カパ」は……フード付きのマント。もしかして裾の長い服を羅列しているのか。よくそこまで色々な服装を思いつけるな。裾が長くて一見コートに見えそうなものか。

 俺も無い頭なりに思いつくものを連想してみる。何があるだろう、コートではなくコートに見えるもの。雨合羽、浴衣、羽織……。

「赤いバスローブ……?」

 と呟いてみる。

「なんだって?」

 後ろの黒澤さんが顔を上げてこちらを見る。

「あ、すいません。盗み聞きするつもりはなかったんですけど、聴こえて何だか気になってしまって」

「いや、面白い発想だ。そうか、必ずしも外套とは限らない」

 そう言ってまた暫く考え込むと、「これはあくまで仮説、想像上の話なんだが」と口を開いた。

「いや、その前に確認しておこうか岡山くん。君の言った聴講生の麻美さん、遅刻しそうだった事以外に変わった点はなかったかい?」

「うーん、なんだろ。田辺、なんか気づいた?」

「そうだなぁ。あ、香水つけてなかったかも。ほら、いつも柑橘系のいい香りがするじゃん」

「そう言われればそうだったな。あと化粧も薄かったというか、すっぴんに近かった様に見えた気がする」

「麻美さんは子持ちだと言っていたが、それは小学生くらいの子かな?」

「確かそうだったと思います。今日は小学校の学童保育にお子さんを行かせていると聞きました」

「なるほどね。うん」

 黒澤さんは何か納得した様子で話しはじめた。

「これはあくまで確認のしようがない、ただの私の想像の話なんだがね。君たちの会話から導き出した『口裂け女』の正体を話そうか」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る