怪人 1

 肩の凝るような冬の寒さも終わりを告げ、束の間の暖かい春がやってきた。日差が学ランを包みんで身体を温める。

 1年生最後のホームルームを終えて友人たちと別れる。俺はその足で学校の近所にあるコンビニに立ち寄った。平日の昼前ということもあってか客足はまばらだ。俺はレジ脇のATMコーナーに行き、ラックに設置されているバイトの求人情報誌を手に取った。春休み中は特に予定がないので、この機会に短期のバイトをしてみようと考えていたのだ。

 2冊ほど取り出して店を出る。スマホの時計を見るといい時間だったので、帰宅する前に昼ごはんを食べようと近所の行きつけの喫茶店に入った。

 『浪花屋』というその喫茶店は年季を感じさせるオレンジ色のレンガが特徴的な外観で、かなり古くから経営しており、地元民に長年愛される憩いの場だ。

 店内は明るい外観とは対照的に落ち着いた色調に統一されていて、ところどころにゆらめく紫煙がまさに『純喫茶』然としている。気分転換に立ち寄るには丁度いい場所なのだ。

 客用に置いてある新聞を読もうと店内を見る。

 実は最近、たまたま手に取った新聞で面白い小説の連載が始まった事を知った。それまでまともに新聞なんて読まなかったけれど、これをきっかけに毎朝新聞を読む事が日課になった。古瀬尋助という人が書いている小説で、これは俗にいう『日常の謎』を取り扱ったミステリーものになる。細やかな心理描写と情景描写、所々に見える笑いのセンスが読んでいて退屈さを感じさせない。読むと普段の日常生活にスパイスが加わり、生活の視点が少し変わってわくわくする様な、そんな作品だ。

 いつもは入り口近くの棚の上に置いているけど、見当たらないと思ったらどうやら先客が読んでいるらしい。店内の一番奥、カウンター席の向かいの二人掛けの席で男性が新聞を読んでいるのが見えた。俺以外にもここの新聞を読む人がいるのか。昨日の日付のものなのに。

 そう、この喫茶店には一つ不思議なところがある。それは置かれている新聞の日付が全て1日前のものなのだ。

 実は昨日、うっかり新聞を読み忘れてしまってまだ今日の分を読めていない。今だけはこの店の新聞の情報遅延システムに助けられる。

 まあいいや、そのうち読み終わるだろう。俺はいつも通り空いている窓際の席に座る。表面がヤニでベタついたメニューを取り、少し悩んだ末にオムライスとコーヒーを注文した。

 料理を待つ間に持ってきた求人誌を開く。取り敢えず目ぼしいものに印を付けて詳細を見てみるが、春休みという微妙な期間で条件に合ったところは見当たらなかった。

「高望みしすぎたかな」

 浅い期待が外れて落ち込んでいると、オムライスとコーヒーが机に現れた。何はともあれ、まずは腹ごしらえだ。いただきます。

 そういえば休み時間に学校の食堂でパンか何かを買って食べようと思っていたけど、食堂も昨日までだったことをクラスメイトから聞かされて、自分の情報収集能力の無さにこれまた落ち込んでいた。次からはもう少し学校のことにも関心を持とう……。

 オムライスを食べ終えて食後のコーヒーに口を付けて落ち着かせていると、ドアベルを鳴らして若い男の2人組が入ってきた。

 2人は俺の後ろに着席する。

「暑かったな」

「ねー、学部でボランティアするとは思ってなかったよ」

「古墳の中にまで入るとは思ってなかったしな」

「本当だよ……。ああ、そうそう。今日麻美さん来てたよな」

「来てた来てた。やっぱ子持ちの主婦とは思えんぐらい美人なんよなぁ」

「な! 脚も長いし。最初モデルかと思ったよ」

「でも今日ちょっと様子おかしかったよな」

「そうだね。いつも余裕があって遅刻しないのに今日はだいぶ急いで来たもんな」

「な。すいませーん、アイスコーヒー2つ」

 静かな店内だから2人の会話が聞きたくなくても聞こえてしまう。どうやら2人は近所の大学の学生らしい。

「あ、そうそう。今日さ、弟から変な話を聞いたんだよ」

「変な話?」

「うん。登校中に口裂け女を見たんだと」 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る