閑話 2
「アルビノは動物学的において、メラニンの生合成に関わる遺伝情報の欠損により先天的にメラニンが欠乏する遺伝子疾患がある個体だ。政治的正しさの観点からすると『アルビニズムの人』──People with albinism の方が好ましいという主張もある。先天的白皮症、先天性色素欠乏症、白子症、白化個体などともいう。日本では20000人に1人の確率で生まれるという」
「ソシャゲのガチャよりは確率低いわよ」と言うマリーさんに「色々台無しだよ」と俺。
いつものように先生が蘊蓄を話し出す。今日は煙草を吸わないらしい。
「白子って食べ物みたいなんだよねぇ」
マリーさんが他人事のように言う。呑気だな。
「彼女がこんな帽子を被ったりサングラスを着けてるのにも理由があってね。メラニンが不足してるから、肌が紫外線にとても弱いんだ。最近みたいに日差しの強い日なんかだと、短時間で真っ赤に日焼けしてしまう。アルビニズムの人は皮膚癌になる可能性がとても高いんだ。しかも、羞明といって必要以上の光が眼球内に入るから、サングラスも手放せないんだ」
「大変そうですね……それは」
「慣れだったよ」
そう言って、マリーさんが俺たちにコーヒーを出してくれた。
「まあ、視力を今より下がらないするために定期的に病院に行くのは面倒くさいけど」
彼女は肩をすくめる。
「ちょうど今日も診察日だったんだ」
「ああ、病院の帰りってそういうことだったんだ」
そんな会話をしていると、先生の携帯が鳴り、彼は電話をしに部屋を出た。その背中を見送ってから、俺はあることを思い出した。
「そういえばマリーさん、マリーさんに会いたいって女性がいるんですけど、会ってみますか?」
「変わった人もいるもんね。会ってみようかしら」
「じゃあ呼んでみますね!」
そう言って俺はメッセージアプリで赤城さんにメッセージを送った。すると、数分もしないうちに『行く!!! 待ってて!』という返事が来た。
「来られるみたい」
「じゃあ待つわね」
マリーさんがお菓子を出してくれて、それを食べながら待っていると、部屋のドアが勢いよく開いた。
「お邪魔します!」
「赤城さん、こんにちは」
挨拶もそこそこに、彼女は入ってきた。ずいぶん急いで来たのか息も上がっており、額に汗が浮かんでいる。
「お待たせしちゃってごめんね」
両手を顔の前で合わせて彼女はそう言った。今日はシンプルな白いTシャツに白いサイドラインの入った黒いレギンスという、スポーティーな姿だった。また雰囲気が違うな。
応接スペースに行くと、マリーさんが立ってこちらを向いていた。
その姿を見た赤城さんは俺と同じく目を見張って言葉を失っていた。だが、
「わー! こんにちは、初めまして、赤城典子といいます! すごい、綺麗」
と興奮した様子でマリーさんの手を取って弾丸の如く言葉を放った。マリーさんはその勢いに呑まれていた。
「は、初めまして。逢沢茉莉です」
「茉莉さんって言うんですね! たまに黒澤先生とご一緒にいられる姿は見ていました! 先生の奥様ですか?」
「お、奥様だなんて」
とまた彼女は同じように照れた。今はそれに突っ込んでくれる先生が不在なため、そのまま会話は続行された。
「お2人共、とりあえず座りませんか」
俺は彼女たちにそう言った。2人は話しながらソファと椅子に腰掛ける。
「じゃあ、今は先生と2人で暮らしてるってこと?」
「そうそう。でも黒澤はほとんどこっちで寝泊まりしてるから、月の大半はひとりなんだよね」
後から来た赤城さんの方が、俺よりすっかり打ち解けていた。なんだろう、女子の距離感ってこんな感じなのだろうか。よくわからん。
その間に入れず隣で地蔵になっていると、電話を終えた先生が戻ってきた。
「あれ、赤城くん来てたのか」
「お邪魔してます、先生。克実君からここにマリーちゃんが来ていると聞きまして」
「すいません、呼んじゃいました」
俺がそう言うと、「なるほどね」と先生はため息を吐いた。
「別に来るのは構わないが……赤城くん、あまりマリーのことはあんまり口外しないようにね」
「勿論わかってます先生。私、克実君のことも誰にも言ってませんから」
「それなら大丈夫そうだね」
そう言って先生はマリーさんを一瞥する。
「マリーにも知り合いができるのは好ましい」
彼女たちを見ると、お互いがスマホを出して連絡先を交換していた。色々早いよ。
定位置の椅子をマリーさんに取られている先生は本棚の裏から折りたたみの椅子を持ち出し、そこに腰掛けた。お誕生日席だ。
「気になったんだけど、マリーちゃんと先生ってどこで知り合ったの?」
赤城さんがマリーさんに問うた。問われた彼女は背もたれに体を預け、腕を組んだ。
「私が黒澤と出会ったのは10年近くも前のこと。私は当時、アフリカ東部の村の宗教組織の連中に誘拐されて監禁されてたんだ」
「ちょっと待って! 監禁されてたの!?」
急な話の切り出し方に、赤城さんがストップをかける。その明るい口調とは真逆の内容に俺も驚いた。
「そうなの」
彼女はサラッと答える。
「どうして監禁なんかされてたんですか?」
俺がそう訊くと、先生は膝の上で両手を組んだ。
「彼の地には土着的な信仰を持つ呪術師がいてね。彼らの間ではアルビニズムの人の一部を手に入れると幸福になれるという迷信があるんだ」
「なんですかそれ。そんなん叶うわけないじゃないですか」
「俄かには信じられないだろうけど、本当なんだ。当時、モザンビークという国ではアルビニズムに対しての攻撃が年に100件以上も報告されていた。アルビノの人体は、隣国のタンザニアでは高値で取引され、呪術などに利用されている。ある人道支援団体による調査によれば、完全に揃った骨格に7万5000ドル、当時の日本円で約850万円の根がつく地域もあった。ナイフや斧で手足を切り取られたり、果ては内臓までもが売買されている」
「酷い……」
赤城さんが口を抑える。本当にその通りだ。馬鹿馬鹿しい迷信をどうしてそこまで実行しようとするのか。考えるだけで腹が立つ。
「克実くん、私が最初にマリーについて説明した時に言ったことを覚えているかい?」
「えっと、研究の対象……ですか」
「そうだ。今言った通り、アルビニズムの人は呪術の道具や売買の商品としてしか見られない。『人間として見られない人間』という対象を研究しようと思ったのもこれがきっかけなんだ。私は当時、その調査でアフリカ東部のとある地域に滞在していたんだ。だが、当時国政が不安定だったその国で突如内戦が始まってね。身を隠そうとして入った施設の地下にマリーが閉じ込められていたんだ。その施設というのが表向きは地域の宗教施設、裏はアルビノ信仰を持つ人身売買組織というやつらの隠れ家だったんだ」
「その話だけ聞くと、まるで映画みたいですね」
「設定盛りすぎに聞こえるだろうけど、本当なんだよ」
「それがマリーちゃんとの邂逅だったんですね」
キラキラと赤城さんの目が光った。
「うん、そうなの。地下牢に鎖で繋がれてた私を見るなり駆け寄って、『君を必ず自由にさせる。だから今しばらく待っていてくれ。約束だ、必ず助けに来るから!』って言ったんだ」
マリーさんは両頬を押さえ、照れた様子で言った。雪のように白い肌がほんのりと赤みを帯びている。
「なんて素敵なセリフ!」
俺と赤城さんはそう言って顔を見合わせる。マリーさんが話を続ける。
「それで翌日の真っ昼間。青い空の下に乾いた砂が舞う中、黒澤が白馬に乗って現れたんだぁ」
「馬じゃなくて白いランドクルーザーだよ」
「そして次々と襲いかかってくる人身売買組織の連中を黒澤の護衛と黒澤が薙ぎ倒して、私はこうして外の世界に出てこられたのよ」
先生もそいつらを薙ぎ倒したのか。
「劇的な話だなぁ」
赤城さんがそう言った。
「それからは私がマリーを引き取って、手続きなんかを色々して日本に連れて来たんだ。マリーの素性を知る人が誰もいなかったし、それに第一、また襲われる危険のある場所に置いてはいけなかったからね」
「私も拉致監禁される前の記憶がほとんど無くて、とても困ってたんだ。生まれたのがヨーロッパ圏だったかもしれないっていうのは、私の輪郭的に思うんだけど」
彼女はそう言って白い髪の毛先を弄る。
「帰化して今は日本人ということになっている。日本語も私と私の知己が教えたんだ」
先生はそう言ってコーヒーに口を付けた。
「マリーさんは黒澤先生のところで何をしてるの?」
赤城さんが問うと、マリーさんは指を折って数える。
「えっと、掃除に洗濯と炊事、書類整理に領収書の整理と精算。あと確定申告とか電気代とかの支払いとか」
「マネージャーか! 任せすぎでしょ先生」
「いや違うんだ克実くん、これはマリーがやりたいと言ったからなんだよ」
珍しく先生が狼狽している。
「領収書といえば黒澤、こないだの遠征費の精算ちょっと間違えてたから」
「あ、はい。すまない」
色々してくれているマリーさんに先生は頭が上がらないみたいだ。
頭が上がらないといえば──
「もしかして、この前尾野崎さんの家に行った時に先生にスーツを勧めたのってマリーさん?」
「そうだよ。似合ってたでしょ」
マリーさんはそう言って「ふふんっ」とドヤ顔で胸を張った。やっぱりそうだったんだ。
色々と他愛のない話をしている中、ふと部屋の時計を見ると、もう17時を過ぎていた。俺の視線に気づいたのか、先生も同じく時計を見る。
「いい時間だね」
「そうですね。そろそろお暇しますね」
そう言い、俺は荷物をまとめる。
「あ、じゃあ私も帰ろうかな。急にお邪魔しちゃってすいません」
赤城さんもそう言って立ち上がる。
「いいや、構わないよ」
「マリーちゃん、今度遊ぼうね」
「うん、楽しみにしてるわ典子」
挨拶もそこそこに、俺たちは資料室を後にした。
すっかり雲も晴れて西日が差し込む中、大学の門まで赤城さんと歩く。
「先生がスーツ着てたの?」
「はい。それはそれは見違えるほど似合ってましたよ」
「見てみたかったなぁー!」
惜しむ赤城さんのその顔が夕陽に照らされていて、それがやけに面白かった。
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