異類婚姻譚 10

 今村さんから事態の説明を聞いた俺たちは先生の車に乗り、急いで由美さんの家に向かった。今もなお雨は降っていて、ルーフに当たる雨音が車内の焦燥を加速させる。

 しばらくすると、前方に赤く燃える屋根と黒い煙が見えた。

「ああ!」と由美さんが悲鳴をあげる。尾野崎さんはその肩を強く抱き寄せる。

 炎を上げる家の手前に車を停めると、由美さんが車から飛び降り、泥水に足が浸くのも構わずに駆け出した。

 周囲一帯には木とビニールが焼ける臭いが、むせ返りそうなほど強く立ち込めている。

 由美さんの家も尾野崎さんの家と同じく木造の古い家屋のようで、火の勢いが凄まじい。高い塀の向こうでオレンジ色の炎が見え隠れしている。

「お父様! お母様!」

 そう叫びながら由美さんは家の前に集まって来ている野次馬の中に向かう。

「由美!」

 ひとりの女性が野次馬の間を掻き分けて現れ、由美さんを見つけて抱き締めた。その女性は由美さんのお母さんらしい。

「お父様は!?」

 そういうと由美さんのお母さんは表情を曇らせる。

「それが……蔵の鍵を閉めるってまだ家に」

「なんですって!?」

 出動に時間が掛かるのか、消防はまだ来ていない。そのためか、消火活動は村人たちが集まってバケツリレーで対応している。しかし、雨が降っているのに弱まらない程の炎だ。それでは鎮火に間に合わないだろう。

 その時、燃える家を隣で見ていた尾野崎さんが唐突にバケツリレーのバケツを村人からひったくり、その水を頭の上から被った。

「尾野崎さん!」

 彼はそうするや否や、門を潜って燃える家の中へ飛び込んでいった。

「辰弥さん!」

 泣き叫び、今にも彼を追いそうな勢いの由美さんを先生とお母さんが必死に引き止める。

 その時、轟音と共に屋根瓦が崩れるのが見えた。俺の頭の中に最悪なイメージが浮かぶ。

 危機迫る光景を前に興奮しているのか、熱い空気を前にしているのに指先が冷たい。前髪から雨粒が一滴垂れる。

 俺のこの力はなんのためにある? 物を壊すためか? 人を傷つけるためか? 多分、いや絶対違うだろ。

 自分の心に従え。理屈や理由なんかじゃない。

「あああああっ! クソァァァッ!」

 俺は村人からバケツをふんだくり、頭から水を被る。

「克実くん!?」

「30秒で戻って来ます!」

 珍しく焦ったような先生の声を背に、俺は屋敷の門を潜った。

「くッ、熱い」

 視界一面が赤に染まる。全身が焼けるように熱い。共倒れになる前に早く見つけなければ。

 熱気を吸い込まないよう、濡れたTシャツの裾で口を抑えながら中に進む。見た限り、発火元は母屋ではなく、その横に建っている倉庫のような建物からのようだった。

 確か、「蔵の鍵を閉めに」と言っていたな。

 母屋と倉庫、離れを挟んだ奥に蔵があり、その手前に人影が見えた。急いで駆け寄ると、顔を煤で黒くした尾野崎さんと、大柄な着物姿の男性、恐らく由美さんのお父さん──嘉兵衛さんと見られる人物がいた。

 その男性は力なく倒れており、尾野崎さんは何とかしてその体を抱えようとしていた。

「尾野崎さん!」

「江口さん!? 何してるんですか!」困惑する尾野崎さんの言葉を手で制する。

「この方が嘉兵衛さんですか?」

「そうです!」

「俺が担ぐので早く出ましょう」

「担ぐ? 1人でですか?」

「あなたは先に行って!」

 俺の指示に戸惑いながらも「わかりました!」と言い、尾野崎さんは出口へと駆けて行く。俺は嘉兵衛さんを右肩に担ぎ、その後を追いかける。嘉兵衛さんは恰幅が良く、担いだ感じだと恐らく体重は80kg前後だ。尾野崎さん1人で持ち上げて運ぶことなど到底不可能に近いだろう。来てよかった。

 舞い散る火の粉と落ちてくる瓦を避けながら門まで辿り着くと、尾野崎さんがまだ中にいた。

「どうしたんですか?」

「熱で門の金具が曲がってしまったみたいで、門が閉じたまま開かないんです!」

 彼は力任せに開けようと試みるが、分厚く頑丈な板扉はびくともしない。そうこうしている内にも火の手は背中まで届きそうだ。背中が熱い。

「先生ぇ! 聞こえますかぁ!?」

 俺は戸を叩き、門の外にいる先生に向けて叫ぶ。

「門を蹴破るのでみんな下がってください!」

 俺は嘉兵衛さんを落とさないように気をつけ、持てる全力を使って閉じた板扉に前蹴りを放った。

「おらぁッ!」

 バゴォッと分厚い板が割れるような音と共に、門の板扉が2枚とも吹き飛ぶ。門を潜り、俺たちはようやく外へ出ることができた。

 遠くからサイレンの音が聞こえ、しばらくしてから消火活動が開始された。嘉兵衛さんは奥さんと救急車に乗って病院へと運ばれて行った。

 尾野崎さんは由美さんに火の中へ飛び込んでいった事を怒られていたが、その後にやがて2人は力強く抱き締め合った。お互いの存在を改めて確認し合うように。もう雨は上がったようだ。

「30秒以上は経ってるよ」

 その光景を端っこで見ていると、少し怒気を含んだ声が後ろから話しかけてきた。 

「心配をかけてしまったならすいません。過信じゃないですけど、どうしても行かなければならないと思ったんです」

 腕を組み、ため息と共に先生が言う。

「確かに君は人より頑丈だし、並外れた力も持っている。でも、だからといって自分を犠牲にしてまで人助けをしないといけないわけじゃないんだよ。私はもう若者が命を散らすのはもう見たくないんだ」

「それってどういう──」

 引っ掛かる言葉の意味を聞こうとしたが、尾野崎さんたちに話しかけられたことでタイミングを逃してしまった。

「江口さん、父を助けてくださりありがとうございます」

 由美さんと尾野崎さんが揃って頭を下げる。

「いやいや、お役に立てて良かったですよ」

 俺は頭を上げるように促す。

「しかし、江口さんの腕力は凄まじかったですね! 『1人で担ぐ』と言い出した時は驚きましたが、その後にあの門を蹴破った事にも驚きました。あれが火事場の馬鹿力ってやつですか?」

 興奮気味の尾野崎さんの問いに先生が答える。

「いや、彼は生まれつき筋力が人より倍以上強くてね。アドレナリンが出て、筋力のストッパーが外れると怪力が発揮される体質なんだ」

「実はそうなんです。尾野崎さんと同じく妖怪なんですよ俺も──」

 そう言った途端、俺は膝の力が抜けて、前のめりに地面に崩れ落ちた。顔面が濡れた地面に付き、お尻だけが上がった無様な姿勢になった。

「だ、大丈夫ですか!?」

「救急を!」

 尾野崎さんや先生が焦る中、俺だけはその原因がわかっていた。

「大丈夫ですから皆さん、心配するほどのことじゃないです。力をいきなり使ってお腹が空いたのと、緊張が解けただけです」 

 俺の腹の虫が、夏の夜に響く虫の声に混じって鳴いた。

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