異類婚姻譚 6


 隅に荷物を置き、俺たちは座布団に座って卓袱台を囲む。

「彼女の父上は、明日こっちに戻って来られるのだったね」

「はい、その予定です」

「えっと、それじゃあ今日は何もしないんですか?」

「いや、まずはこの地域の調査をする」

「調査ですか?」

「ああ、まずはこの土地の歴史と風俗を知らなければならないからね。尾野崎くん、この村に図書館や資料館はないかね?」

「小さいですが、図書館ならあります。ご案内しましょう」

 到着早々、再び出かけることになった。

 門を出て車に乗ろうとした時、視線を感じた。何気なしにその方を向いて見ると、村の人だろうか。作業着を着た人が数人、畑を挟んだ向こう側からこっちを見ていた。

「よそ者が来るとすぐに噂が広まる」ってこういうことか。監視されているようで何だか居心地が悪い。

 尾野崎さんの案内に従って車で移動し、村の真ん中あたりにある図書館に来た。そこは村役場と併設されているようで、過疎に見えた村だったけど、ここだけは賑わっているように見えた。

 図書館に入るや、カウンターにいる中年女性が声をかけてきた。

「たっちゃん、珍しいね! ここに来るなんて」

「ああ、今村の姉ちゃん久しぶりだね! 今日は大学の先生がうちに来てるんだ」

 たっちゃん……尾野崎さんの事らしい。女性とは親しい間柄なのか、さっきまでの口調とは違って、かなり砕けている。

「どうも、水城大学の教授をしています。黒澤です」

 先生が名乗ると、女性は物珍しそうな表情でジロジロと見た。

「こんな田舎に大学の先生がねぇ。何もないところですけど、ゆっくりしていってくださいね」

 適当なところで話を切り上げ、郷土資料のあるコーナーに入る。地方誌や古新聞、この地域に伝わる民話集などが並んでいる。

「この辺りが村に関係してる本ですね」

 尾野崎さんが本棚を眺めながら言った。

「みたいだね。とりあえず手当たり次第読んでみるか」

 先生はそう言って本を数冊手に取り、抱えながら読書コーナーに向かった。

「私は資料を漁ってるから、克実くんは好きな本を読んでるといいよ」

 どさり、と机に本を下ろした先生が言った。ここで俺が役に立つことはないらしい。

「わかりました、そうします」

 俺は図書館内を見て回ることにした。と言っても特に気になる本などはないので、入り口近くにあった、図書館のオススメコーナーへ足を進めてみる。

 手芸本や旬の食材を扱った料理本などがある中、とある文庫が目に留まった。三島由紀夫の『潮騒』だ。国語の教科書で名前は知っていたけど、まだ読んだことがない。ちょうどいい機会だ、気になっていたし読んでみよう。

 俺はその文庫本を手に取り、空いている椅子に腰掛けた。



   * * *



「終わったよ、行こうか」

 丁度本を戻しに行こうとしたタイミングで、調べ物を終えた先生が俺を呼びに来た。

「何を読んでいたんだい?」

 手に持っていた本を先生が見る。

「『潮騒』です」

「へぇ、渋いの読むんだね」

「名前だけ知ってて、まだ手に取ったことがなかったので読んでみました」

「そうかい。どうだった、面白かったかい?」

「はい、面白かったです。正直、まだ内容を深く理解するまでには至らなかったですけど、超ピュアな話だったってことはわかりました」

 そういうと先生は「ああ」と何か思い出したように呟いた。

「確か、その本は資料室にあったと思う。また読みたいなら貸してあげるよ」

「やっぱりあるんですね。じゃあ今度借ります」

 あの量の書籍が並んである資料室なら、有名どころの本がないわけないだろうな。

 そんな話をしていると、貸し出しのカウンターの方から尾野崎さんがやってきた。

「お待たせしました。これからどうされます?」

「そうだね」

 先生が図書館の時計を見る。もう正午を過ぎていた。

「いい時間だし、昼ごはんにしようか」

 車に戻った俺たちは尾野崎さんの案内で、市街地に出たところにある定食屋さんに向かった。

 そのお店の看板メニューである藁で焼いた鰹のたたきは絶品で、俺と先生は「美味い美味い」と揃って舌鼓を打った。尾野崎さん曰く、隠れた名店なのだそうだ。今度、姉ちゃんにも食べてもらいたい。

 すっかり俺はお店の雰囲気や料理の美味しさに呑まれてしまっていたので、つい値段のこと考えずに食べていたことを、お腹いっぱいになってから気づいた。

「僕の依頼でわざわざ来ていただいているのですから」

 そう言って、先生や俺が出そうとしても受け取らず、尾野崎さんは会計を済ませていた。

 こんなよくわからない高校生のバイトの分まで……。尾野崎さん、ごちそうさまです!

 胃の中をカツオと白米でいっぱいにした俺たちは、翌日の作戦を練るために尾野崎さんの家に戻った。

 屋敷に着いて俺たちが通されたのは、宿泊に使う奥の座敷じゃなくて、そこへ向かう長い廊下の途中にある大広間だった。多分、人をたくさん呼んだ時に使うための場所なのだろう、家具やテレビなどといったものは見当たらず、まるで柔道場のように広々としている。

 尾野崎さんが部屋の隅に重ねてあった座布団を4枚取り出して敷き、俺と先生はそこに並んで座った。

 誰か来るのかな。尾野崎さんは俺たちにお茶を出してくれてからどっか行っちゃったし。先生はというと、胡座で茶を啜っていた。落ち着きすぎだろ。こういう場に慣れているのかな。

 しばらくお茶を啜りつつ待っていると、尾野崎さんが廊下側の襖を開けて入ってきた。

「お待たせいたしました」

 そう言った彼の後ろには、もう1人の人影があった。

「失礼いたします」

 入ってきたのは、ツヤのあるさらりとした長い黒髪を背中で一つ括りにした、泣きぼくろのある線の細い顔立ちの美人な女性だった。臙脂色っぽいブラウスに、黒いスカートを穿いている。

「僕の婚約者の──」

「古舘由美と申します」

 女性はそう言って深々とお辞儀した。その凛とした所作や立ち振る舞いに、育ちの良さを感じる。

「初めまして、黒澤と申します。水城大学で教授をしています」

 先生は正座に直り、礼をした。

「江口です」

 俺もそれに倣って名乗る。先生のように肩書きがないから、どうにも情けない挨拶になってしまう。「バイトです」「高校生です」って言っても特に関係ないしなぁ。

 挨拶を済ませると、2人は向かいの座布団に座った。

「おふたりのことは尾野崎の方から伺っております。私たちのためにはるばる遠方から来てくださり、本当にありがとうございます」

 女性──由美さんはそう言ってまたお辞儀をした。先生はそれを手で制しつつ「いやいや、そこまで改まらなくても」と言った。

 何というか、ここまで「the・お嬢様」という姿を目の当たりにすると、とても恐縮してしまう。生きる世界も、育った環境も違いすぎると感じてしまうからだ。

「尾野崎くんから大体の事情は聞いたよ。由美くんのお父上のこともね」

 先生がそういうと、由美さんは「そうですか・・・・・・」と顔を曇らせる。

「お恥ずかしい話です。まさか父が私たちの結婚に反対し、あまつさえ身分というもので辰弥さ──尾野崎の家を差別するとは思ってもいませんでした。その話をした後日、父は私の知らない家との縁談の話をいくつも持ちかけてきました。もちろん私は反対しましたが、あの人は私の話に聞く耳を持っていませんでした」

 そう話す由美さんの目にうっすらと涙が浮かんでいる。

「聞いた話じゃ君たちは2人とも『筋』や『犬神』といったものについて知らなかったみたいだね」

 尾野崎さんと顔を見合わせて由美さんは頷く。

「はい。父の口からは今までに聞いたことありませんでした。私はそれを父が結婚を反対するために吐いた嘘だと思っているのですが・・・・・・」

 先生はお茶を一口飲み、

「私もそう思いたかったが、それがそうでもなかった。今朝、この村の図書館で土地の歴史や風俗について調べたんだが、残念な事にこの村には『犬神』というものが昔から定着していた。現代では君たちのように若い世代には広まっていない様子なんだが、お父上ぐらいの年代や、さらにその上の世代の人間たちの間では少なからず今でも残っているのだろうね」

 今朝の調査ってそういうことだったのか。最初に裏を取らないと説明も何もないってことなんだろうな。

「そう、ですか」

 先生の言葉を聞いた尾野崎さんと由美さんは落胆したようだった。その古めかしい『憑きもの』信仰は、まるでしつこい油汚れみたいだ。どうにも腹が立つ。

「まあまあ、諦めるのはまだ早いよ。私がお父上に直接掛け合ってみるまではね。理解してくれる可能性は五分といったところだろうが。」

「それと──」と先生が付け加える。「尾野崎くんも確認したが、由美くん。この先、君たちが望まない結果になったとして、今よりももっと状況が悪化したとしても、後悔はないね?」

「ありません」

 由美さんは即答する。その眼に迷いは見えない。腹は既に括っているみたいだ。

「どうか、よろしくお願いいたします」

 尾野崎さんと由美さんは揃って深く頭を下げた。先生は2人に顔を上げるように促し、「『憑きもの落とし』、初挑戦になるが請け負おう」と普段通りの気が抜けるようなヘラッとした顔で言った。

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