異類婚姻譚 5

 尾野崎さんが資料室に来てから数日後の早朝。玄関で支度していると、姉ちゃんに声を掛けられた。

「おはよう、早いね」

「うん、遠いみたいだからね」

「携帯、鍵、着替え、しおり、全部持った?」

 腕を組み、壁に寄りかかった姿勢の姉ちゃんが言った。

「遠足じゃないんだから。全部持ったよ」

 いつもは寝ている時間だからか、姉ちゃんは寝癖頭にしぱしぱした目をしている。

「気をつけてね」

「うん」

 返事をするとともに、スマホが鳴った。先生が着いたらしい。

「行ってきます」

 玄関を出ると、少し肌寒い空気に包まれた。

 家の前に見慣れない無骨なデザインの黄色いジムニーが停まっている。その横には先生が立っていた。運転のためか、珍しく革靴を履いている。

「おはよう」

「おはようございます」

 挨拶もそこそこに、先生はハッチバッグを開け、俺の荷物を積み込んだ。

「助手席に座ってくれ」

 言われるまま、俺は助手席に座った。積み込みを終えた先生が運転席に座る。

「そうそう。私はあまり気にしていないんだが、この車は乗り心地が悪いらしくてね。気分が悪くなったらすぐに言ってくれ」

「わかりました」

 キーを回し、エンジンをかける。振動と共に「ドゥルンッ」と唸るような音を立てる。最近の静かなハイブリッド車とは大違いだ。

 ──なぜ俺が先生とこんな早朝から出かけることになったのか。それは先日、尾野崎さんが資料室を立ち去った直後にまでさかのぼる。

「一泊か、長引けば二泊ほどになる」と先生が呟いた。どうやら今回は遠征になるらしい。その間先生は留守にするのか、と思っていた矢先に「克実くんも勿論来るんだよ。君のお姉さんから外泊の許可はもらってるからね」と拒否をする隙も与えて貰えず、見事に道連れにされたのだ。勘弁してほしい。

 そうこうあって出発から数分、先生と何気ない世間話なんかをしていたら、慣れない早起きのせいなのか、いつの間にか眠ってしまった。次に目が覚めたのは、高速道路のサービスエリアで朝食を摂る時だった。

 遠出をするのが久しぶりで、朝食を家で摂らないことに新鮮さを覚えた。

 寝ぼけた頭を朝食で覚まし、改めて乗車すると、先生が腕時計を見て「あと2時間ほどで着くよ」と言った。スマホで時間を見ると、8時を過ぎた頃だった。

 サービスエリアを出て、またしばらく高速を走る。少しずつだけれど、近づくたびに緊張感が増してきた。

 窓の外を流れる風景を眺めながら、先日の尾野崎さんの話を思い出す。今現代でも残る『憑きもの』の信仰と、それに左右される人生のこと。

 その時の先生の説明を頭の中で反芻していると、ちょっと気になる箇所があった。

「先生、『憑きもの』のことで質問があるんですが」

「何かな」

「『憑きもの』といってもたくさん種類があるんですよね?」

「そうだね」

「それなら何で『憑きもの』の中で尾野崎さんの村の人たちは犬神に限定したのでしょうか?」

「ほう、いい質問だ。そうだね、犬神についても説明しよう」

 ハンドルを片手で持ち、先生が人差し指を立てる。

「その答えには、今向かっている四国地方の自然にヒントがある」

「四国に?」

「ああ。四国地方にはね、動物のキツネが殆ど存在しない。つまり、人に憑く動物はキツネではなく、もっと身近な生き物であるイヌに焦点が当てられ、妥当性を有したんだ。一般人がごく普通のイヌを利用して、誰にもバレずに呪術を行うことは可能な事だと考えたわけだ」

「それ故に一般家庭が犬神筋にされやすいわけですね」

「そうだ。かつて『犬』という字には『小さい』という意味があった。実際、犬の字が付く地名の土地や沼は他に比べて小さかったりする。つまり、犬神を人に憑かせるという性質を実現可能にするためには、犬神は人にバレないほどの大きさであることが求められたんだ。元土佐藩士が編纂した『皆山集』という書物では、高岡郡の犬神は『尾に節はあるが、クシヒキネズミに似たものではないか』と推察している。他にも、山口県の相島にはイヌガミネズミというハツカネズミに似た生物がいる。その犬神の言説にある『床下に住む、升のはかり込みをして主人の家を裕福にさせる、壺の中で飼われる』というものを可能にするためには、ネズミ程の大きさであることが必要だったんだ」

「手に入りやすく、尚且つ小さいから余計に憑きものにさせやすかったということですね」

「さらにいえば、小ささを求めた理由には、『蠱毒』という古い呪術が関係しているんだ」

「蠱毒って確か、毒虫とか毒蛇を壺に入れて、生き残った一匹を呪いたい相手の家の下に埋めるってやつですよね」

 昔、妖怪モノの漫画で見たことがある。

「それは一番ポピュラーなやつだね。その中で生き残った一匹を『蠱』という。最後まで生き残ったのが蛇ならば『蛇蠱』、猫ならば『猫蠱』、ドジョウの場合は『泥鰍蠱』と名前も変わる。そしてその『蠱』を用いて呪う相手を噛ませたり、食事に混ぜたり、床下に埋めたりすることで、呪われる相手は原因不明の病になって急死するとされた。興味深いことに、蠱毒を行う術者は呪いを行うたびに裕福になると考えられていた」

「だから富を持つ人間が疑われたんですね」

「ああ。さらに言えば、この蠱毒の由来は古代中国にあり、陰陽道系の呪術とされた」

 陰陽道かあ。そういうのは安倍晴明と土御門家くらいしか知らないな。確かに呪いの陰湿さというか、ドロドロしたような感じの呪い方は陰陽師がやりそうな感じがする。

「犬神の起源は色々ある。極限まで飢えた犬の首を切り落として床下に埋めたもの、数匹の犬を戦わせて生き残った犬を殺して犬神にする事、中国から日本に来た妖怪を討伐した際に、妖怪の分割された体の一部が諸国に飛び散って犬神になった、弘法大師が猪の害に悩まされる農民に授けた犬の絵から犬が飛び出して犬神になったなどね。犬を戦わせる行為は蠱毒だ。『犬蠱』という」

「飢えた犬の首を切る、というのも聞いたことがありますね」

「そして、これらを行う術者は当然の如く忌み嫌われた。江戸時中期から明治時代にかけて刊行された谷川士清撰の辞書、『和訓栞』には『犬神の義四国にあり。甚だ人を害す。犬蠱也。かヽる類は甚処の人も婚を絶交を締ばず』とある」

「それは尾野崎さんが結婚に反対される理由のひとつって事ですか?」

「それがルーツのひとつだとしてもおかしくない。君の疑問に対しての答えをまとめるならば、尾野崎君の住む地域は犬が身近にいる風土であり、なおかつ手順がシンプルで誰でも簡単に行える『蠱毒』という呪術を認知し、『犬神』という名を知っている人間が少なからず村にいたから、ということになるだろう。理解できたかな?」

「ええ、なんとなくは」

「それでいい」

 先生は満足げな顔をした。

 膨大な知識を運転しながらでも披露できる先生に、俺は改めて脱帽した。さすが専門家だ。

 しばらくするとやがて車は高速を降り、気づけば山道を走っていた。出発時に先生が言っていた通り、この車はここに来て乗り心地の悪さを発揮した。

 舗装されていない砂利道のような箇所の、わずかな段差に乗り上げる時だけでも車体が跳ね上がる。サスペンションというか、クッション性のない固めのシートの上をバウンドし続けているからか、そろそろお尻が痛くなってきた。

「これは酷いですね」

「そうだろう? だが中々丈夫なんだ」

 はは、と先生は笑いながらハンドルを切る。

「自衛隊の車みたいだ」

 俺は窓枠の上にあるアシストグリップを握る。そうでもしないと、このひどい振動にバランスを崩してしまいそうだからだ。

「乗ったことあるのかい?」

「社会見学で自衛隊の駐屯地に行ったときに乗りました。びっくりしたんですが、シートベルトなかったんですよあの車」

「高機動車はただの移動手段だからね。快適さは微塵もないさ!」

 上下に揺れ動く車中から景色を見ると、自分たちが深い山の中にいることがわかった。

 背の高い杉の木々に覆われていて、気まぐれに開けた窓からは涼しく湿った土の匂いが入ってきた。

「ナビを見る限りだと、もう少しで着くよ」

 木漏れ日の差す景色を楽しんでいると、先生がそう言った。

 強いカーブを曲がること数回、パッと木々が視界から消え、田園風景の広がる土地に出た。

「ああ、あそこ。あの村だ」

 先生の指差す方を見ると、少し先に建物がちらほらと現れていた。

 点々と民家が立ち並ぶ村の中を車で進み、田園地帯の隅の方にある屋敷の前に先生は車を停めた。

 大きい瓦屋根の門、背の高い土塀が年季を感じさせる屋敷だ。旧家ってやつかな。

 先生が門のベルを鳴らす。

 しばらくすると門が開き、中から先日の男性──尾野崎さんが現れた。

「お待ちしておりました。ご足労感謝いたします」

 そう言って彼は深々と頭を下げる。

「中へどうぞ」

 そう言って俺たちを中へ招き入れた。

「すごいお家ですね」

 玄関部分にあたる土間の上がり框に腰をかけて靴を脱ぎながら、少し中を見回す。農家らしく、薄暗い土間の隅には肥料のようなものが詰められた袋が積まれている。

 案内されるまま長い廊下を奥へと進む。入ったことのないタイプのお家に緊張する。これが和風建築というのだろう。綺麗な板間の廊下に、お寺でしか見たことのないような数の襖。まるで昭和の映画の中に入ったようだ。

「宿泊はこの座敷をお使いください」

 言われるまま入ったのは畳の香りがする、床の間のある8畳の座敷だった。

「え、いいんですか? ご家族のご迷惑には」

「その心配には及びません」

 俺が言い終わる前に尾野崎さんが言った。

「この家には僕1人しか住んでいませんので」

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